シードルとりんごジュース3
唯さんが起きたのは夕方だった。
窓開けっぱなしだったけど、二人で抱き合って布団に潜り込んでたから意外と平気。
俺も少し寝て、起きたら唯さんの髪に指を絡ませたりして遊んでた。
「起きました?」
腕の中の唯さんが、小さく唸って身動ぎしたから声を掛けた。だけど返事がないし、顔を上げない。まだ寝てるのかなとも思ったけど、耳が赤い。
「どうしました?」
小さな赤い耳。右手で包んで、親指で輪郭を辿った。
ビクンって唯さんの身体が揺れて、赤い顔が俺を見上げる。近い。このままキスしても良いかな。
「具合はどうです?まだ気持ち悪いですか?」
「いえ、大丈夫です。…今は、心臓、口から飛び出そうな感じです」
「それは大変です。受け止めてあげましょうか?口で」
ドンって拳で胸を叩かれた。
真っ赤な潤んだ瞳で睨まれても逆効果。上目遣いだし、マジでこのまま襲いたい。
「水、飲みます?」
我慢する為に会話を続けた。
でも右手は唯さんの頬を撫でて、親指が唇の柔らかさ確認してる。そこに目が吸い寄せられて、心臓、ドクドクしてる。
「飲み、ます…」
俺の親指を吐息が撫でてくすぐったい。なんだか全身、とろとろに蕩けそうな感じがする。
「口移し、します?」
願望を口にしたら激しく拒絶された。自分で飲みますって、そんなに声を上ずらせて焦らなくても良いのに。くっくっくって喉で笑いながら身体を起こして、俺はベッドボードの水を取る。
「これさっきのなんで、新しいのを入れて来ます」
「いえ、これで平気です」
俺と一緒に身体を起こした唯さんの顔は耳まで真っ赤。俺の手からグラスを受け取って彼女は水を飲む。こくこく上下する白い喉を眺めて、俺は黙る。
「春樹さん色っぽいです。ドキドキします。その顔、やめて」
水を飲み干した唯さんに謎の抗議をされた。その顔やめてって言われても、困る。
「生まれつきです」
空になったグラスを受け取ってベッドボードに戻したら、視界の端で唯さんが首を横に振ってる。
「普段はもっと硬派な感じです。そんな、甘いお色気顔ではありません」
「それは…だって、あなたに欲情してます」
唯さんが変な声出した。ぴあって叫んで壁まで後退る。
なんだよその声って思ったら可笑しくて、俺はまた喉の奥で笑った。
「か、からかったんですか?私多分、春樹さんより経験値下です。本気にします!」
「本気です」
ベッドの上で追い詰める。
壁に張り付いた彼女ににじり寄って、壁と俺の身体の間に閉じ込めた。両手を壁について見下ろした唯さんは動揺しまくりで視線彷徨わせて、甘酸っぱいリンゴみたいな顔してる。
やば。程々にしておかないとマジでやばい。
「まぁ、焦りません」
前髪掻き上げておでこにキスしてから身体を離した。
にっこり微笑んで見せたら唯さんが布団掴んで潜り込む。布団の中で、何か叫び始めた。
経験値、例の彼とはどこまで積んだのか気になる。でもそんな事を気にしたって仕方ない。
「腹減りません?昼、酒しか飲んでないんじゃないですか?」
俺も昼はシードルラッパ飲みで飲み干しただけ。腹減った。
布団の中から唯さんの顔が出て来た。目だけで俺の顔を見上げて、何故だかほっとしてる。
「どうしました?食べられそうにないなら無理しなくて良いですよ?」
「いえ、大丈夫です。…色気が薄れました」
「昨日から色気ってなんですか?」
「無自覚ですか?ただでさえ格好良いのに、春樹さんはたまに色気が出るんです。心臓壊れます」
よくわからん。でも褒められてるのかな。まぁいいかと思って俺は立ち上がる。両手突き上げて身体を伸ばす俺を、唯さんがベッドに座ってじっと見上げてた。何か用かなと思って首を傾げて見せたら、ふわっと穏やかな笑みが彼女の顔に浮かぶ。
「お腹空きました。お酒はもうこりごりです」
「毎回可愛いですけどね。酒は慣れです。でも、無理する必要もありません」
「はい!」
まだ少しクラクラするって言ってたけど、水飲んで時間経てば大丈夫だろう。
二人でリビングに入ると空の酒瓶が転がってて、オヤジ二人は上機嫌になってた。
「陣!息子と嫁が来たぞ!」
「おー、愛しの息子よ!孫はもうすぐかい?楽しみじゃのぅ」
「酔っ払い共、飯は?乾き物ばっか食ってんじゃねぇよ」
酔っ払い二人のバカな言葉に反応して、唯さんが真っ赤になってる。
「唯ちゃん大丈夫か?悪かったなぁ」
「いえ!自分で飲んだんですからお二人の所為ではありません!むしろご迷惑をお掛けして、本当にすみません」
陣さんが真面目に心配したら、唯さんが恐縮してる。
義雄さんも唯さんを心配してから俺に近付いて来て、小声でバカな事を言った。
「潰れた女の子襲ったのか?それは流石にいけないぞ?」
「アホかっ!介抱しただけだ、この酔っ払いがッ」
酔っ払い共の所に一人で残したら餌食になる。だから唯さんの手を引いて台所に連れて行った。
冷蔵庫の中身を確認して、唯さんと酔っ払いオヤジ達の為に雑炊を作る事にする。まだクラクラが抜けないって言う唯さんが手伝おうとしてくれたけど、危ないから側に置いた椅子に座っててもらう。
「春樹さん手際が良いですね。調理師免許、持ってるんですか?」
「いえ、まだこれから勉強して取る所です」
会話しながら、陣さんから頼まれてた事を思い出した。材料入れて煮込んでる鍋の火を弱めて、俺は唯さんに振り返る。
「唯さん、次の仕事って決めてます?」
困った顔で笑った唯さんを見て、まだなんだってわかった。だけど黙って彼女の言葉を待つ。
「そろそろ探すべきかなとは思うんですけど…何の仕事をしようか、迷ってるんです」
「前は何してたんですか?」
「経理の仕事です。それも、堅実だと母に言われたからで…母がいないと私、なんにも決められないんだなって」
俯いた彼女が浮かべたのは自嘲の笑み。唯さんの中で、母親はすげぇ大きな存在だったんだな。
「良かったらうちで働きませんか?」
「え?」
「調理師免許取る為に厨房での仕事をメインに切り替えたいんです。それでバイトを雇うかって話が出てるんですけど、唯さんが次の仕事を探す繋ぎでも良いのでどうかなって」
唯さんは動揺して、迷ってる。
急ぐ話でもないからゆっくり考えてみて下さいって言って、話は終わりにした。雇うとしたらバイトとしてだし、ウェイトレスだ。ちゃんとした正社員で働いてた人には抵抗あるかなとも思う。
他人が与えられるのはきっかけだけ。後は本人次第って陣さんが言ってた。俺もきっかけを与えられてここにいる人間だから、踏み出す怖さは知ってる。
この申し出が唯さんの重荷にならなければ良いなって、俺は願った。




