不良な俺と綺麗な彼女6
源三さんは朝一に来る常連客。七十代らしいけどはつらつとしていて騒々しい爺さんだ。違う物が欲しい時には先に言われるから、何も言われない時にはいつも同じ物を用意する。トーストとスクランブルエッグのモーニングプレート。それとブレンド。モーニングって言っても名ばかりで、時間なんて関係無しで置いているメニューなんだけどやっぱり当然、一番多く出るのは朝の時間なんだよな。
源三さんが座るのは決まってカウンター席。他のお客さんが少ない時間にやって来て、俺や陣さんと世間話をする。
「あんがとよ。で、どういう知り合いなんだよ」
ブレンドとモーニングプレートを机に置いた俺に、源三さんは興味津々って顔を向けて来た。
「午後の常連さんです」
「常連がなんで店先の氷溶かしてたんだぁ? しかも服、お前さんのだろ」
目敏い爺さんだなって、苦笑する。
「彼女に聞いたんじゃないんですか?」
「知り合いだとしか言わなかったから坊主に聞いてるんじゃねぇか」
「まだ、そういう関係ではないです。服は事情があって貸しただけですよ」
「まだ、ねぇ?」
「はい。まだ」
口の片端を上げて笑った源三さんに笑みを向けて、俺は他の客の注文を取りに行く。唯さんは、いつもの席でココア飲みながらぼんやり庭の雪だるまを眺めているようだ。雪だるま、まだ形は保っているけどこれも氷の塊。小さいやつらは崩れ始めているものもあった。
ココアを飲み干して、唯さんが一旦帰ると言って会計をしに来た。今度は俺の負け。ココアの代金を押し付けられる。
「借りた服、洗濯してからお返ししますね。また後で来ます」
「お待ちしています。気を付けて帰って下さい」
「はい。眼鏡、お借りしていきますね」
ドアの向こうへ消えた背中を見送った俺は、客に呼ばれて忙しなく仕事へ戻った。
昼のピークを過ぎて俺の休憩が終わったいつもの時間。唯さんが店に戻って来た。自分の服に着替えて化粧もしている。すっぴん可愛いかったなって思い出して、また見られるかななん
て考える。
「眼鏡、ありがとうございました」
今回はカウンター席。腰を下ろした唯さんが掛けていた眼鏡を外して、俺の方へ身を乗り出して来た。
「やっぱり素敵です。今日はこれでお仕事しますか?」
まだ温もりが残っている眼鏡。唯さんの手で掛けられて、俺の顔には熱が上った。俺が浮かべた表情に気付いた彼女も頬を染め慌て始める。二人赤い顔で動揺して、変な空気だ。
「い、いつも通り飄々としていて下さいよ。そんな反応されたら照れてしまいます」
「俺、飄々としてますか?」
「してます。いつもにっこり微笑んで、平気で私を翻弄するじゃないですか」
「翻弄、されてるんですか?」
「あぁやぶ蛇です! ほらそのにっこり顔です! 眼鏡パワーも加わって大変です!」
何が大変なのかはわからないけど一人パニックの彼女は面白可愛い。唇を尖らせ始めた彼女の機嫌直す為、俺は珈琲を淹れる。立ちのぼる香り。胸いっぱいに吸い込んだ彼女が穏やかな表情になった。
「良い香りです。カウンター席ってこういう楽しみもあるんですね」
「そうですね。この香りを楽しみたいからって必ずカウンター席に座る人もいますよ」
「私、ラッキーです。春樹さんが声を掛けて下さらなかったら、これは体験出来ませんでした」
「……フォンダンショコラ、ですか?」
「はい。あと、いつものっていう注文も。憧れていたんです」
唯さんの頬がほんのり赤い。はにかんだ笑みを浮かべる彼女の前に、俺は静かにブレンドを置いた。お礼を口にしてからカップを取って、一口飲んだ彼女はほっと息を吐く。
「私、自分からは何も出来ないんです。恥ずかしくて、周りの反応も気になっちゃって。カウンター席だって憧れていましたけど、知らない店員さんとの距離感とか、会話しなくちゃいけないのかなぁとか思うとやっぱり勇気が出なくて」
それはまるで、俺が彼女のパーソナルスペースにいても良い存在になったっていう、許可の言葉に聞こえた。嬉しい。こそばゆい。いつもは存在を忘れがちな心臓がここにあるぞと主張する。胸がじわり熱くなって、それは酷く心地がいい。
「次にやりたい事、なんですか?」
質問と共に、ミックスサンドを彼女の前へ置いた。唯さんがそれを手に取り一口齧る。咀嚼しながらうんうん唸って、彼女の視線が右上へと動いた。彼女と俺しかいなくなるこの時間。静かなジャズが流れる店内で珈琲の香りに包まれて、流れる時間がゆっくりになるような、そんな気がする。
「ギャンブルがしてみたいです」
ミックスサンドをきれいに食べ終わってから唯さんは、恐々という風に俺を見た。幻滅なんてしないのに。恐らく彼女は、それを怖がっている。
「わかりました。店閉めた後だと時間が微妙なので、土曜はどうですか?」
「はい。大丈夫です。……本当に、良いんですか?」
「何がですか?」
「ギャンブルだなんて悪い事です」
「あぁ。よくやってるんで大丈夫です」
「そうなんですか? ギャンブルって、何をやるのでしょう?」
わかっていないらしいと見てとって、思わず笑いが溢れた。笑った所為で唯さんの機嫌を損ねてしまったみたいだけど、唇尖らせた姿が可愛くて可愛くて、俺は滲み出す笑みを隠せない。
「色々ありますよ。馬にボートに自転車とか。でも、一番身近で行き易いものに連れて行きます」
「身近、ですか?」
「スロットです。駅前に店、たくさんあるでしょう?」
「…………カジノですか?」
真剣だ。彼女はマジで言っている。噴き出すのは堪えて拳を口に当てて隠したけど、ダメだ。
「失礼です。笑わないで下さい」
ぷくっと膨れた頬。触りたい。可愛い。
「パチンコならわかります?」
「わかります。でも行った事ないです」
「そこ、行きます。勝てると良いですね」
「はい! 頑張ります!」
あんな所、連れて行ったら彼女はどんな反応をするんだろう。不快そうに顔を顰めるか、びっくりしてきょとんとするのか。想像して、俺の方がビビってる。幻滅される要素があるのは俺の方。彼女に幻滅されたら俺は、耐えられるのかな。




