不良な俺と綺麗な彼女1
道の端に寄せられた雪はもう、雪じゃなくて氷。雪掻きされた部分は歩き易いけど人通りの少ない道は溶けた雪がびしゃびしゃになって、それが夜の冷えた空気で固まり凍っている。明日は早めに起きて店先の氷を溶かさないといけないななんて考えながら、俺はコンビニへ向かって歩いていた。吐き出す息は煙草の煙みたいに白い。そう考えたら途端に吸いたくて堪らなくなって、速足になる。切らした煙草を買いに行くついでのおつかい。陣さんが熱燗を飲みたいって言うから、日本酒とつまみを買いに行く。まだスーパーは開いている時間だけどうちからスーパーは少し遠い。雪道で自転車は危ないし、コンビニを選んだ。
暗い夜道からまぶしい程に明るい店内へ入れば耳慣れた電子音が鳴る。店内の暖かさに自然と息が漏れ、寒さで強張っていた体からは力が抜けた。煙草は最後。まずは酒を選ぼうとカゴを手に取り酒コーナーへ向かうと、見知った横顔を見つけた。すっぴんの唯さん。なんだか得した気分だ。
「こんばんは」
「へ? あ、春樹さん! こんばんは」
いつもと違う部屋着っぼいラフな服装。髪はいつも通り下ろしていて、風呂を済ませた後なのか化粧をしていない。彼女の素肌はまるでゆで卵。触り心地も、良さそうだ。
「お買い物ですか?」
「はい。酒と煙草を。唯さんもお酒、飲むんですね?」
唯さんが持っているカゴの中身は缶チューハイ数本に、つまみ代わりらしきお菓子が数個。酒に強そうなイメージがなくて意外だなって考えていた俺を見上げ、唯さんはほんの少しだけ困ったような笑みを浮かべた。
「本当はあまり得意ではないんですけど……一度、潰れるくらいに酔ってみたいなと思って。それを今日決行してみようかと」
何か、嫌な事でもあったのかな。でもそんなの、俺が聞いて良いものか悩む。
「嫌な事があった訳じゃないですよ? ただの気まぐれです。今までしなかった事、してみたくなっただけです」
微妙な間から読み取ったのか、唯さんが答えをくれた。彼女の顔に浮かぶのは穏やかないつもの笑み。だけどいつもより薄い眉毛が新鮮で、可愛らしい。
「一人酒なら、うちに来ますか? 俺らも二人で熱燗飲もうかなって買いに来たんです。潰れるのも、一人より誰かいた方が楽しいですよ」
「そう、ですね。……寂しいので、お邪魔しても良いでしょうか?」
「えぇ。喜んで」
寂しいと言った時に滲み出した表情が心底寂しそうで、でもすぐにそれを誤魔化すような笑みを浮かべて彼女は俺を見上げた。
知りたい。何がそんなに寂しいの? どうして潰れる程酒を飲みたいだなんて思ったんだ? 知りたい、知りたい、あなたの事。
「煙草、吸われるんですね?」
「やめるべきかなとは思ってるんですけど中々、難しいです」
陣さんと俺好みの辛口の日本酒と唯さんの缶チューハイ。乾き物のつまみとお菓子も買ってコンビニを出た。会計の時に唯さんの分も払おうとしたら軽く怒られて、今回は俺が引いて日本酒は唯さん持ち。
「煙草って、おいしいですか?」
早速一本吸いたかったけど唯さんが一緒だし我慢しようと決めた俺の横で、彼女はなんだか興味津々。
「うまいかって聞かれたら微妙ですけど……吸ってみます?」
「はい。吸ってみたいです」
彼女の返事に驚いた。冗談、だったんだけどな。首を微かに傾けた唯さんが俺を見上げて来る。年齢的に問題無いからいいかのかなと思い、コンビニ横の喫煙スペースへ向かった。
「煙草ってたくさん種類があるんですね。買ってみようと思ったんですけどよくわからなくて……」
「あー。初めてはいきなり買っても吸い切れなかったら勿体無いですよ。これはメンソールですけど、比較的吸い易いかな」
「なんという名前ですか?」
「マルメラ」
「……美味しそうな名前です」
煙草のパッケージを開けながら思わず噴き出した。発想が可愛い。唯さんの頭に浮かんでるの、きっとラーメンだ。
「咥えて、口で息吸って火を付けるんです」
俺が箱から取り出した一本を受け取り躊躇いがちに咥えた唯さんの前へライターの火を近付ける。煙草の先が赤く燃え、口から息を吸い込んでいた唯さんは激しく咽せた。やっぱり、そうなると思った。
「大丈夫ですか? 水飲みます?」
苦しそうに咳込んでいる唯さんの背中を片手で叩きつつ、コンビニ袋からミネラルウォーターを取り出した。蓋を開けて渡してみたけど、激しく咽せている所為で飲めそうにない。唯さんが辛うじて指に挟んだままの煙草は今にも落ちてしまいそうで、見兼ねた俺はそれを受け取り唇で挟む。
「死にます。苦しいです」
「なら合わないんですね。買わなくて正解です」
ペットボトルを両手で握って涙目の彼女。彼女の背中を摩りながら、俺は吸いさしの煙草の煙を肺へ溜め込む。唯さんがいるのとは逆の方へ顔を向け、白い煙を吐き出した。
「やっばり春樹さんは大人です。煙草、そうやって吸ってみたかったです」
五歳年上の彼女。動作が幼いし童顔。言う事も好きな事も子供っぽくて愛らしい。だけどこんな俺を、尊敬しているみたいな表情浮かべて真っすぐ見上げないでくれ。
「煙草を吸えるから大人って訳じゃないです。これは、俺が大人ぶって虚勢を張る為の道具の一つです」
「……私も、その虚勢の道具が欲しいんです」
寂しそうな横顔。彼女も何か、抱えているんだ。
「酒、飲みに帰りましょう」
「はい」
煙草の火を揉み消して、灰皿へ落とす。乾いた地面に置いていた袋を取って振り向いたら、唯さんは穏やかな笑みを浮かべていた。
こんな俺じゃ、力になれないかもしれない。でも、それでも……彼女が望む事があるのならそれを、叶えてやりたいなと思ったんだ。




