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8月15日

作者: 朽無鶸

朝起きて新聞を取りに行く。あいにく今はテレビを置いていないので、情報を手に入れるには新聞ないしネットが必要だ。まず目に飛び込んでくる8月15日──終戦記念日。70年前の今日、長い戦争が終わったのだ。戦争終結=平和というわけではないが、日本の歴史において最も大事な瞬間の一つであることに間違いはない。歩きながら記事に目を通し、ベッドに戻ると、新聞を部屋に投げ捨てた。

戦争とは何だろう。いつも考えていることだ。あまりに自分と無縁すぎて分からない。戦争と呼ばれるものを知ることもなく、平和を享受していることは客観的事実だ。しかし、本音を言えばそれを受け入れたくはない自分がいる。我儘なのは理解しているが、人に戦いは付き物であり、私の生活にもそれは存在している。戦争とは言うまい、戦いである。同じ価値観を持つ人など存在しないし、特に私の場合はそれも顕著だ。親とぶつかり、兄弟とぶつかり、友とぶつかり、先生とぶつかり、たくさんの人とぶつかりいろんなものを失ってきた。その都度自分の価値観を呪う。そしてその後馬鹿のように肯定する──人は分かり合えないものだから私はこれでよいのだと。自らの根底に承認欲求が潜んでいるのは分かっている。満たされない欲求と付き合うのはとても難しい。

ふと気がつくと二時間も経っている。朝食はパスしよう。カーテンを開け外の光を浴びる。晴れた空が眩しい。日が日なだけに、70年前の空も同じ空だったのかとか蝉は煩かったのかとか、こういうことばかり気になってしまう。わざわざ調べようとは思わないが。しかしふと思った──これは平和だと。考え事をする余裕は今の私にはある。それを表現することもできる。

部屋に戻ると何か創作をしたくなった。絵を描くことにした。タイトルは先に決めた──戦争。自分の中の戦争というもののイメージを表現しようと思ったのだ。お昼休憩を挟みながら作業を続けた。なかなかうまくいかない。頭に浮かばなかったのである。午後中かけて完成した作品はあまりに素っ気ないものであった。キャンバスの中で黒と白が混ざっているだけのものだった。だが黒でもなく白でもないその様相に満足した。

きっと誰も認めてはくれないと思いつつ、心の奥底で誰かが認めてくれるだろうという思いからその写真をインターネットに公開した。長時間の作業に疲れたので寝ることにした。

しばらく経った。また戦争について考えた。結局昼間と同じ結論に達した。こんなことを何遍も繰り返した。どういうことかというと、疲れていたのに眠れなかったのである。

癖のように携帯電話を手に取り、絵を公開したページを開いた。閲覧数が多いわけではなかったがコメントがいくつかついていた。ほとんどは意図が分からないとか、落書きだとか、創造性に欠けるとかいうものだったが、一つだけ気に入ったものがあった。

「あなたは戦争を知らないのね。」

その言葉を読んで、何か蟠りが解けたような気がした。気がつくと私は眠っていた。

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