人間の終焉
元ネタ
「新釈 うああ哲学辞典・上」須賀原洋行
モデル5/フーコーの人間の終焉 より
ある日、起きてみると男は名前になっていた。鏡の前に立ってみるとそこには男の名前が浮かんでいるのだ。体を触ってみる。手や足は付いているようだった。
「体が変形しているわけじゃない…。手や足の感覚はあるしクッションだって持つ事ができる。少なくとも私という私は存在している…」
時計を見ると仕事に出る時間だ。
「いかん会社に行かねば」
体調が悪いわけでもないので、とりあえず出社することにした。
エレベーターを待っているとスピーカーが話しかけてきた。
「あら、おはようございます」
「あ、どうもおはようございます」
スピーカーは隣の奥さんだった。
(この人は私のことが見えている。向こうからも私は何かの記号で見えているのか?)
外を歩くと人々はいろいろなものに変質していた。金毛のサルが服を着て金切り声をあげていたり、リュックを背負った豚が歩いていたり、携帯電話が学生服を着ていたり、犬が犬を散歩していたりその他いろいろ。
駅に着き電車を待つ。電車が到着し、ドアが開くと同時に馬たちが一斉に飛び出してきた。電車に乗ると、中も馬でいっぱいだった。そしてようやく会社に着いた。そこでは名刺の形をした社員たちが挨拶をしてきた。
「ぎりぎりに着くなんて珍しいね」
「ええ、すいません。ちょっと寝過ごしてしまって」
声をかけてきた名刺には係長という言葉でかでかと書かれていた。
「なんかあったんですか?」
横からお茶を出される。見るとでかい唇だった。
「ああ…いやなんでもないんだよ。ありがとう」
いちど関係を持ったOLだった。
休憩中、男は外のベンチに座り行き交うサルや馬を眺めながら考えていた。
(うーん…。どうも私の中でのその人の社会的立場がそのまま記号として映っているように思えるなぁ。たぶん他人は見た目で私が作り上げた社会的イメージが投影されているのだろう。しかしここまで人間というものを一回も見ていないなぁ。一人くらいまともな人間がいても良いと思うんだけど…)
公園という名の動物園を男はぶらつく。しかしそこで思いがけないものを見た。
「あれ?人間じゃないか?」
芝生の上で人が寝ていた。まぎれもなく人の形をした人間だった。
「人間を見つけたのは初めてだ!この社会の中で自己実現を果たした数少ない本物の人間?声をかけてみよう!」
駆け寄ってみるとどうもホームレスらしき老人が寝ているようだった。帽子が顔にかかっており顔は確認できない。起こすのも悪いかと思ったが男は興奮を抑えられなかった。
「すいません!」そういって帽子を取り上げ、体を掴む「…あれ?」
冷たい老人のその顔は蝋人形のように真っ白だった。