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第1幕 その4

 ACE COOLは広島出身のラッパーだ。彼を知ってまだ二週間ほどか。


 今年の俺は名古屋に縁があるのか、食品まつり a.k.a foodman、Ramza、Campanella(水曜日じゃない方だ!)と名古屋で活動するアーティストを好んで聴いていた。特にRamzaのイカれたビートに久々に脳と耳を焼かれた俺はひたすらに彼の楽曲を聴き漁っていた。


 一番のお気に入りはCampanella prod. by Ramzaの「Miyama」で今のところ一番聴いた曲だろう。そんなこんなでYouTubeでRamzaの楽曲を聴きながらたどり着いたのがACE COOLだった。


 それはレッドブルの企画で様々なラッパーと作曲家のコラボ――「Red Bull 64 Bars」だった。


 開始三秒一撃でやられた。


 そののっけからぶっ飛んだビートと、それを易々と乗りこなす巧みなACE COOL。


 哲学者カントの影響を受けつつもポストモダンおじたちように小難しい表現のない歌詞。カントの道徳法則ちゃんと消化し自分の言葉としているのだ彼は。


 ドラッグもやらない高潔で、努力と苦悩と読書の人なのだと感じた。自堕落で退廃的な俺とは正反対の位置にいる。何もなしていない俺の対極だからろうかひどく惹かれた。オーバー"ドープ"しながら聴いてるのは怒られてしまいそうだ。


 そして今から聴くのはACE COOLのニューアルバムだ。五月末に出たばかりの新作で最近は一日一回は聴いてる。


 日本語ラップには珍しく内省的哲学的な歌詞が特長で、恐らく今作のテーマは彼なりの「幸福」だ。


 曲名を順に列挙すると、


 「原因」「競争」「羨望/嫉妬」「自尊心」「虚飾」「自己没頭」「興味」「中庸」「努力と諦め」「虚無主義」「愛情」「明暗」。


 曲名だけでもうわかる。彼の半生いやこれは人生そのものだと強く思う。ニヒルズムを経てなお愛情を知りラップしているのか、このACE COOLという三十代のラッパーは。


 ラストの「明暗」は俺の中ではZazen Boysの向井秀徳の「自問自答」に並ぶ傑作だ。そこに優劣や相対化はない。ただただ感銘を受けるばかり。


 大終盤で彼は気付く――幸福とは望まないことなんじゃないか? と。その言葉は俺に正面からは刺さらなかった。そうこれは苦悩と思考の創作の果てACE COOLという人間が見つけた彼の言葉。彼の幸福論。


 俺は震えた。


 そうして彼は嫉妬や羨望をする自分を受け入れていく。バットマンのハービー・デントのコインの裏表のようなSEKAI。あざなえる縄のごとき自分を。


 ようやくこのアルバムが少し理解できてきたような気がした。人のレビューや感想は見ていない。そうしてはいけないと思ったのだ。


 寝転がってアルバムを聴きながら天井に手を伸ばした。カーテンのしまった薄暗い部屋。真昼の街の表情はわからない。ただただプロジェクターライトが白い天井を青いサイレース色に染めていた。


 そこである感覚を得る――体が軽いのにロボットになったような感じだ。約一時間経ってメジコンが効き始めたのだ。


 俺は両眼を閉じ手で覆った。普段なら光の小さな粒子がチカチカと見えるだけだが、今は違う。


 墨のようなのっぺりとした真っ暗さを背景に、細い赤い毛糸の線画がもやもやとした線画にも似た映像が見える。


 メジコンODのメインディッシュ、閉眼幻覚だ。それはゆっくりと、どこか平面的に模様を変えながら、蠢いている。


 ふとその毛糸のような線画が緑色に変じた。


 なぜかはわからないがこういう時の俺の閉眼幻覚は赤になったり緑になったりする。右脳と左脳で見える幻覚処理が違うのか? というのが長らくメジコンODをしてきての推察だった。


 俺は赤と緑が彩なす幻覚にしばし見入っていた。絶えず動き変化するのでずっと見ていられる。


 スマホのアラームが鳴った。一時間経った知らせだ。


 枕元に置いておいた残りのメジコンを適当なスポーツドリンクでオーバードーズする。追い炊きは二十tだ。


 それを飲み終え、トイレに行こうと俺はゆっくりと上半身を起こした。それから壁に手を付きながらちょっと不安定なマットの上でゆっくりと立ち上がろうとする。


 だがしかし俺は「?」「?」と訳が分からず?マークを沢山浮かべた。


 立ち方がわからない。なんだなんだとバグった脳が警告を発している。


 これはかなりキマってきた証拠だ。メジコンODの不思議なことの一つに立ち方などの動作の仕方がわからなくなるというのがある。今の俺がまさにそれ。


 何とか時間をかけて立ち上がった。


 次いで右足を動かそうとしたが右足ってどっちだっけ? そもそも右足ってなんだっけ? となってしまう。


 落ち着け落ち着けと自己暗示のように或いは念仏のように唱えながら、赤ちゃんのアンヨか千鳥足みたいによたよたと歩いていく。


 どうにかトイレまでたどり着き、便座を上げ用を足す。


 すると便器がいつもよりデカくなっている。明らかに横幅だけで一・五メートルはある。と思ったのもつかの間今度は三十センチくらいになる便器。


 尿の描く放物線が便器から外れそうになり俺はわたわた腰をひねり床を汚すまいとする。が、また便器がデカくなり大きな口で迫ってくる。


「あははたのしー」


 出てきた言葉はほのぼのしたものだった。そう俺はこの視界内の物体のサイズ感が意味不明になるのが大好きだ。


 メジコンODの最たる楽しみの一つ。


 このサイズ感の変化は手に持ったスマホでもあることがある。フリックできないくらい小さくなるスマホにはつい笑ってしまう。


 そうこうしているうちに放尿が終わり、また相変わらずの足取りで布団へと戻りダイブした。


 スマホを手に取るとさけるグミみたいにだらんとして曲がっていた。笑みがこぼれた。一度スマホを視界外に移し十秒経ってから再び手に取った。見やればSwitch並みの大きさだ。


 だが手の大きさに変化はない。不思議だ。


 ずっとスマホと手を交互に見ている。脳とは物体を個別に捉え、それらを平面的に処理してるんじゃないかという推論に至った。結構良い線いってると自画自賛しているがOD勢からの共感はあまり得られたかった。


 まあいい。かなり効いている。これなら今日は確実にトリップできる。


 再びスポドリで喉を潤すと、また糞デカくなったリモコンでプロジェクターを消し仰向けになって目を閉じた。少しの光も入らないようさらに目を手で覆う。ちょうど見猿のように。


 先ほどまで線画だった閉眼幻覚がより濃く鮮明になっていた。ピークが近い。


 徐々に単色だった毛糸の隙間から、大昔の三色カラーのアメコミのようなルービックキューブじみた物体が出現する。先ほどまで二次元的、平面的だった幻覚に少し立体感が加わっている。


 超ド近眼の俺でも輪郭すっきり明瞭にルービックキューブが見える。


 キューブはゆっくりと回転しながら三色から十数色へと変貌を遂げる。まるでビデオゲームのグラフィックの進化を始祖から体験しているみたいだった。


「うわ綺麗」


 そう口にした瞬間、キューブが二百五十六色の大昔から一気にフルカラーの彩色になる。自己暗示的な影響か。


 しかしそれもつかの間、薔薇の華が開くようにキューブが内側から崩壊していく。


 いつしか俺の視界は三六十度の立体感を持ち、崩れたキューブが反時計回りで同心円状にくるくる回り出す。今やそれは分裂と崩壊を繰り返し万色の万華鏡だった。


 そしてその万華鏡の中心から光が差し込んできた。眼はちゃんと両手で覆っている。その光も幻覚だ。だが眩しい。太陽か大型LEDライトのようだ。


 あまりの眩しさに本能的に目を開けてしまった。


「あーもう」


 軽く毒づく。良い所だったんだが。スポドリで口を三度潤すと、俺はまた目を閉じ閉眼幻覚のSEKAIに戻ることにした。


 目を閉じると雪国だった。寒い白さに俺は思わず身震いをする。冷たくて寒い。だが心からは動じない。超現実を伴ったどこか別の場所にいるのはメジコンあるあるだ。しっかし脳みそどうなってんだ。


 雪に触れてみたいがあいにくと手足も体も頭もない。幻覚中の俺は魂になってFPSゲームをしているみたいになる。体もないのに暑さ寒さ、時には匂いまで感じる。本当に脳みそとメジコンの主成分デキストロメトルファン、通称DXMには無限の可能性があるように思えてならない。


 実際海外ではオーヴェリティというDXMが配合された抗うつ薬が作られている。


 さすがに寒くなってきたので俺は再び目を開けた。俺の場合閉眼幻覚は瞼を開けばリセットとなる。


 さて次ははどうするか――。


 このまま閉眼幻覚を楽しんでも良いし、サイケ系の音楽や動画を見るのもありだ。


 ところがスマホがいつの間にか枕元から消えていた。探すのが億劫になって幻覚を楽しむことにした。


 瞼を閉じると今度は幾何学的な花模様みたいなのが見えたのでそれに集中する。すると俺は知らず知らずのうちに緑あふれる草原に立っていた。ボディはない。吹き抜ける風が心地よい。


 よくよく見れば遠くに山が見えた。現実SEKAIで首を動かすと幻覚の視界もそれに倣って動いた。山のほうでは何やら煙があがっている。


 気になるなと思った瞬間視界が揺れ、そして疾走が始まった。

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