第52話 お姫様抱っこしてください(念押し)
『昴。駆け落ちってわかるか?』
父親から突然そんな話をされたのは、一体いつのことだっただろう。多分、小学校低学年ぐらいの頃だったと思う。
その時は、自分の父親と母親が周囲から交際を反対されながらもその恋を成就させた、一種の武勇伝のように俺は理解していた。
『昴。駆け落ちってどうだと思う?』
父親から突然そんな話をされたのは、俺が中学に上がってすぐぐらいの頃だったと思う。
その時は、駆け落ちしてまでも成就させたいと願った二人の恋にちょっとした憧れすらも抱き、素晴らしい恋愛譚のように俺は理解していた。
『昴。駆け落ちってしてみたいか?』
父親から突然そんな話をされたのは、俺が高校に上がってすぐぐらいの頃だったと思う。
あれは、貴重な休日に父親から無理矢理ドライブに誘われて、海岸まで行って潮風を浴びながら砂浜を散歩していた時のことだった。
『大体さ、親父は俺がどんな子を連れてきたら反対するわけ?』
『港区女子』
『どんな偏見持ってんだ』
『じゃあマコモ湯に入ってる奴』
『別にマコモ湯自体が悪いってわけじゃないだろ』
『じゃあ政治と金と宗教にうるさい奴』
『それはまぁ……俺もそういうのは苦手だけど』
俺の両親は、そんなに教育にうるさいタイプではない。俺が今の高校を第一志望に選んだ時も特に反対されなかったし、急に医者を志すと言った時には驚かれたが、今は応援してくれている。
勿論親として子どもの躾はするが、変に道を外れない限りは自由にやらせてくれているのである。両親ともに家を空けていることも多いから、自律性を育ませようとしたのだろう。
『もしもの話だが、昴にとても大切なパートナーが出来たのに周囲から物凄く反対されてしまったら、お前はどうする?』
『駆け落ちするなって言いたいのか?』
『あぁ、勿論だとも。これでも人の親だからな』
両親が駆け落ちしてからの苦労話の殆どは、両親から直接ではなく姉貴から聞くことの方が多かった。それがとても厳しい人生の始まりだということは、俺も子どもながらに理解しているつもりだ。
『でも俺なら、周囲から祝福してもらえるよう立ち回るよ』
『どうやってだ?』
『まぁ、なんとかするよ』
『随分とアバウトな答えだな』
『駆け落ちするよりかはマシだろ』
『そうだな。それに関してはパパは何も言えん』
俺の父親だって、最初から駆け落ちという選択肢を選ぼうとしていたわけではないだろう。色んな手を打ってもどうにもならなかったから、最終手段として選んだだけだ。
諦める、という選択肢が思い浮かばないぐらいにはもうゾッコンだったのだろう。
『だがな、昴。普通ではない道を進むのは大変だぞ。普通っていうのは、この何万年にも及ぶ人類の歴史の中で作られてきたものなんだ。普通ではないことを思い浮かべたとしてもな、とっくの昔に先人達が試して諦めたことかもしれないからな』
『じゃあ、普通の恋って何?』
『どうだかなぁ。今はどこまで普通なのかわからんが、少なくとも駆け落ちは普通じゃないだろ? 離婚率も高いらしいしな』
『デキ婚ならまだしも、学生結婚もだな』
『そうだな……だからな、普通ではない、多くの人が選ばない道を進むっていうのは大変なことなんだ。駆け落ちにしろなんにしろ、もしもお前に恋人が出来た時、その恋を成就させるために普通ではない道を進むことが出来るか?』
普通、という定義は中々難しいものだが、少なくとも俺の両親は普通の人生を送ってはいない。
そして両親ともに自分達のことを反面教師にしろと日頃からうるさいが、今もうざったいぐらい暑苦しいおしどり夫婦を見ていると、そんな情熱的な恋に憧れてしまう自分もいる。俺にはまだそういう経験がなかったからだ。
だから正直、自分に恋人が出来た時のことなんて想像つかないが……。
『普通だろうが普通でなかろうが、俺は好きな人を苦しめたくないよ』
好きな人のために何でもやってみせる、と口にするのは簡単なことだ。実際その時に自分がどうするかなんてわかりっこない。
だがただ一つだけ神様に誓えるとしたら、大切な人のことは幸せにしたい、ということぐらいだ。
『ぐぅの音も出ないな……』
と、駆け落ちして俺の母親を苦しめてきた父親は一人ショックを受けていたのであった。
まぁ、母親も同じ気持ちかもしれないが……。
◇◇◇
朝、目覚めて携帯を確認すると、遠方へ出張中の父親と母親から連絡が来ていた。
父親からは「工期が長引きそうでワロタ」といううざったいLIMEが来ていたので「草」と返し、母親からは「明日のお昼には帰るから全裸待機しときなさい」という頭のおかしいLIMEが来ていたので「全裸で駅まで迎えに行く」と返しておいた。
「ねぇ、お父さん達からLIME来てた?」
朝、ダイニングに向かうと雫が朝食をとっているところで、俺は自分のLIMEの画面をそのまま雫に見せた。すると雫は相変わらず変な両親だなぁと思ったのか困ったように笑って言う。
「お兄ちゃんと仲直りしたことを伝えたら喜んでたよ、お父さん達。エイプリルフールかって疑われちゃったけど」
「まぁ親父達にも迷惑かけてたからな。明日母さんは帰ってすぐに寝てるだろうから、何かドッキリ仕掛けてやろうぜ」
と、俺は何の気なしに雫にそう言ったのだが、どういうわけか雫は急に表情を暗くして口ごもってしまった。
「どうかしたのか?」
何か体調でも悪いのかと思って俺が心配していると、雫は俯きがちに答えた。
「来ると良いね、明日も……」
今日は月曜日だ。
タイムリープを繰り返している小春によれば、今日の夕方に俺は死ぬ運命にある。
だがその運命から逃れるために小春は俺達のために尽力してくれて、こうして俺と雫も仲直りすることが出来たのだ。
「あぁ、絶対に来るさ。明日も」
と、俺は自分に言い聞かせるようにそう呟いたのだった。
「おはようございます。昴さん、雫さん」
「あぁ、おはよう小春」
「おはようございます、神城先輩」
玄関の扉を開くと家の前で小春が笑顔で俺を出迎えてくれたので、俺と雫も挨拶を返した。
「待っていたならインターホン押してくれても良かったのに」
「いえ、私は昴さんを待っている時間が好きなんですよ」
「そうなのか?」
「はい……昴さんがその扉を開いて出てきてくれると信じることが出来るだけで、私はとても楽しい────」
すると突然小春の笑顔が崩れ体をよろめかせたので、俺は慌てて彼女の体を支えた。
「ど、どうしたんだ? かなり顔色が悪いぞ……って、少し熱もあるじゃないか」
小春の額に手を当てると少々熱もあるように感じた。ついさっきまで小春は笑顔だったのに、もしかしたら相当無理をして笑顔を作っていたのかもしれない。
「す、すみません。でも大したことはないと思うので……」
「いや、こんな急に倒れるぐらいなのに大したことがないはずないだろ。どこかで少し休んだ方が──」
と、俺は顔を上げてハッとする。
どこか少し休めそうなところ、ある。目の前に。我が家という安心安全の休息所が。
だが、俺は視線を小春の方に戻す。ここから駅までそう遠くないが、途中で坂もあるし歩いて行かせるわけにもいかない。遅刻どころか学校を休むという選択肢も考えるぐらいだ。
しかし、そんな口実があるとはいえ年頃の女の子を家に入れるわけには──。
「お兄ちゃん。神城先輩を家で休ませてあげようよ」
「いや、でもな……」
「何を躊躇ってるの。この前普通に家に上げてたのに」
「……それもそうだったな」
そういえば俺は小春を二度も家に招き入れてしまっているのだ。二回とも小春の妙な押しに負けてのことだったが、今思えば俺のことを想っての必死の行動だったのだろう。
「と、というわけでだ、小春。ウチで少し休んでいくか?」
「は、はい……ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
「良いんだよ、気にするな。雫はどうする?」
雫も小春のことを心配そうな面持ちで見ていたから一緒に看病でもどうかと思ったのだが、雫は一時悩んだ後で首を横を振った。
「ううん、私は先に言って幟先輩達に事情を説明しとくから。二人の時間を大切にして」
そう言って雫は小春に軽く会釈してから一人で登校していった。
二人の時間を大切にして、か。
俺が雫の後ろ姿を見つめていると、小春は俺に体を預けたまま言う。
「雫さんには、悪いことをしてしまいましたね……」
もしかしたら、今日が俺と一緒にいられる最後の日になるかもしれない。小春にとっても、雫にとっても。
だが雫は俺と小春に気を遣って先に行ってしまったのだ。その選択が、少しでも俺の生存の可能性を高めるのだと信じて……。
「あー、ウチの親は今いないから、親の寝室で良いか?」
熱のせいか小春は少しボーッとしているようだったが、俺の手をギュッと掴んで言う。
「昴さんのお部屋が良いです……」
俺はもう一度小春の顔色を確認する。額に手を当てるとやはり熱があるようで、少し息苦しそうだ。
……何か一瞬、一瞬だけ策略的なものを感じたが、気のせいか。
「か、階段があるからゆっくり行こうな。俺が体を支えておくから」
俺はそう言って小春の肩に手を回したが、小春はさらに俺の手をギュッと力強く掴んで言う。
「歩けそうにないので、お姫様抱っこをしてください……」
俺はもう一度小春の顔色を確認する。やっぱりめっちゃ体調悪そう。
「お、お姫様抱っこ?」
「はい。お姫様抱っこをしてください……」
「で、でもな……」
「お姫様抱っこをしてください」
何だろうこの圧は。病人が出せる圧じゃないよこれ。
……何か一瞬、一瞬だけ、もしかして仮病なのでは?と疑ってしまった自分がいたが、俺はそんな自分を恥じた。
いや、一体何を疑うことがあるだろうか。大切な人が体調を崩して弱っているのだから、彼女が望むなら俺はなんだってするべきだ。
「じゃ、じゃあ行くぞ……かっる」
人をお姫様抱っこなんてしたことがないからどんなものだろうと俺は不安に思っていたが、小春はヒョイッと勢いで持ち上げられてしまいそうなぐらい軽くて、俺は思わず口に出してしまった。
「い、一応しがみついててな」
「はい……」
こうして小春との物理的な距離が接近する度に彼女から漂う香りに胸がドキドキしてしまうが、状況が状況とはいえこういうシチュエーションに少し憧れていた自分もいて、正直少し嬉しかった。
「しあわせ……」
俺にお姫様抱っこされながら、小春も幸せそうに呟いたのだった。
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