第37話 二人きり、押し倒し、意気地なし
「家にある材料だとカレーぐらいしか作れなさそうなんですが、それでも良いですか?」
「あぁ、カレーは大好きだ」
台所へ向かうと、神城は髪を束ねてエプロンを身につけた。ウチの家はガスコンロだから、IHのコンロがあるシステムキッチンが少し羨ましく思える。
神城は冷蔵庫から材料を取り出してテキパキと準備を進め、引き出しからカレールーを取り出したところでふと呟いた。
「そういえば、昴さんはどのぐらいの辛さが……いえ、これまでの私の経験から昴さんの好みを当ててみせます。ずばり、昴さんは甘口がお好きですよね?」
「どうしてわかったんだ?」
「昴さんはブラックコーヒーが苦手なので、カレーも甘い方がお好きなのかと思いまして」
「あぁそうか、それもバレてるんだったな……あ、何か手伝えることあったら言ってくれ。俺もカレーは作ったことあるし」
「あぁいえ、昴さんの手を煩わすわけには……」
「でも、せっかくだし二人で作らないか? 夫婦の共同作業みたいな感じで」
俺はそう口にした瞬間、なんてことを口走ってしまったのだと後悔した。
神城一人に作らせるのも申し訳ないし、せっかくだから二人で台所に立ちたかっただけなのだが、俺に好意を寄せてくれているとはいえ『夫婦』という単語はいくらなんでも──。
「ふ、夫婦……!」
俺の隣で、神城は目を輝かせていた。
悲しいことに俺にはわからないことだが、十五回もの悲しい結末を乗り越えてきた神城に育まれた俺との愛は予想以上のものかもしれない。
「し、神城?」
「ふ、夫婦だなんて、そ、そんなっ、まだ気が早いですよ昴さんったら! わ、私達はまだ十八歳未満ですし、でも昴さんが望むのならば二人とも十八歳を迎えた時に籍を入れるというのも……」
「神城? 神城ー?」
右手にピーラー、左手にジャガイモを持って物凄い勢いで皮を向きながら神城は楽しそうに喋り続ける。しれっと俺の誕生日把握されてるの怖いんだが、別世界で知ったのだろうか。
「夫婦での共同作業、あぁなんて素晴らしい響きの言葉なんでしょう。二人で一緒に楽しく作ったご飯を二人で一緒に食べるだなんて夢のようなシチュエーションではないですか。そうですよね昴さん?」
「あ、あぁそうだな」
「その後は二人でお風呂に……」
「ちょっと待てちょっと待て」
「ベッドの上で見慣れているはずなのに、昴さんの体を目の前にすると……きゃーっ!」
「神城? 神城ー?」
神城は元々こういう自分の世界に迷い込みがちな子なのだろうか? それとも俺を追い求め続けていくつもの世界を渡り歩いている内にこうなってしまったのだろうか?
それはそれとして、そんな自分の世界に入り込みながらも手元ではちゃんと料理の工程を進めているのが怖い。
「休みの日は二人で商店街に出かけて、道行くおばさまに『あらあら、仲睦まじいわね~』だなんて言われたり、福引きの当たり外れで一喜一憂したり……」
「神城? 神城ー? 聞こえてるー?」
「そんな神城だなんて他人行儀な呼び方はダメですよっ。私には小春という名前がちゃんとあるんですからっ。あ、でも昴さんが婿養子になりたいのでしたら全然構いませんし、昴さんが望むのであれば別姓でも事実婚でもなんでも、なんならミドルネームでも……」
「神城? お前には婚姻届が見えているのか? おーい?」
「もうっ、私は神城ではありませんよっ。小春です、こ・は・る!」
「あ、あぁ、小春……」
「あら~もう昴さんったらっ」
凄い。もう妄想パワーに満ち溢れているからか物凄い勢いでタマネギを刻んでいるのにものともしていない。俺にだけタマネギのダメージが入ってる。
「こんなに甘々な生活を続けていると、カレーは少し辛めにした方が良かったかもしれませんねっ。私達の愛情のせいでとても甘くなってしまうかもしれませんからっ」
「そ、そうだな……」
「でも、せっかくの昴さんの愛をここで受け止めるのも勿体ないですし、やっぱりベッドの上で……」
「小春、ストップだ。落ち着いてくれ小春」
……どんな世界の俺も神城、いや小春と一緒に過ごせるのは四日間しか無かったはずだし、きっとどの世界の俺も意気地なしだっただろうからプラトニックな関係だったと思っているのだが、いつか小春の愛が暴発してしまいそうだ……。
そして、小春は妄想の力のおかげかテキパキと調理を進めてカレーを完成させたのであった。結局俺は殆ど手伝えず、ダイニングテーブルに食器を用意したぐらいだった。
「やっぱり美味いなぁ。辛さとかとろみも丁度良いし、ジャガイモとかニンジンの食感も良い」
出来上がったカレーは申し分ない美味さだった。目の前に座る小春も満足そうにカレーを頬張っている。
「これも昴さんのおかげです。昴さんのことを考えながら作っていると、なんだかとても幸せな気分で……」
「隠し味は愛情だったということか」
「私の血とか髪の毛を入れた方が良かったですか……?」
「俺にそういう趣向はないから安心してくれ」
この小春の勢いを見ていると、俺がショートカットの子が好みとか言ったら喜んで自分の髪を切りそうで怖くなってくる。
今まで何度も好きな人の死を間近で見てきて、そして何度も救うことが出来なかったという悲劇を経験してきて、それをようやく俺に打ち明けられたことで小春も自分らしくいられるのかもしれない……。
「はい、昴さんっ。あーん♪」
……この小春のテンションの舞い上がりっぷりには、少し驚かされるが。
「あ、あーん」
「きゃーっ♪」
同じものを食べているからあーんする必要なんて全くないはずなのだが、小春が嬉しそうだし良いか。
あぁ、今日のカレーはとびっきりの甘さだ……。
少しおかわりも頂戴して美味しいカレーを堪能した後、二人で一緒に片付けを終えて小春の部屋に戻った後、彼女が言う。
「そういえば、私の料理と琴乃さんの料理、どちらが美味しかったですか?」
小春が料理を振る舞いたいと言い出したきっかけは、俺がボリノの弁当を食べたことを彼女に話したことだった。だから小春は対抗心を燃やしてカレーを作ってくれたのだろうが……小春はあることを思い出したのか、ハッとした表情で呟く。
「あれ? そういえば昴さんが食べたのって卵焼きでしたっけ?」
「そうだな」
「……なのにカレーを作っても意味がなかったのでは?」
俺が若干疑問に思っていたことに小春も気づいてしまった。
いや、小春が作ってくれたカレーも勿論美味しかった。別にそれは俺が小春の彼氏だからとかそういうお世辞とか抜きに言えることだ。
だが正直、カレーの美味しさと卵焼きの美味しさを同列に語るのは難しいことだろう。
「いや、きっと小春の料理の方が美味いことに違いはないさ。また今度食べさせてくれたら良い」
「で、では明日です! 明日のお昼、私がお弁当を作ってきますので、卵焼きはその時に!」
「わかった、楽しみにしておくよ」
小春はしっかりしているように見えて少し抜けているところもあるし、何よりも恋愛に対して積極的で一直線なところがなんというか可愛らしい。
明後日に自分の命日が迫っているかもしれない、ということが頭になければ、もっとこの幸せを享受出来たはずなのに……。
「明日は何をしましょうか? せっかくですし雫さんと何かお話したいのですが……」
「雫なら明日は家にいると思うが、小春相手に話してくれるかはわからないなぁ。俺以外に対してはちゃんと口も利くし大丈夫なはずなんだが」
「三人で仲良くどこかにお出かけ、というのも難しそうですね」
雫は俺の友人であるボリノや湊とは普通に先輩後輩として接しているから、俺の彼女という立場にある小春を毛嫌いするようなことはないと思いたいのだが、雫がどう思っているのかさっぱりわからない。正直なところ、俺を抜きにして二人で楽しんでというぐらいだ。
「あの、また昴さんの家にお邪魔してもよろしいですか?」
「あぁ、全然構わないが。雫もまぁ、俺と二人きりで家にいるよりかは気分を良くすると思う」
小春は俺と雫の関係を修復させようとしてくれているのだ。三日後に訪れるかもしれない悲劇を回避するために、どうにか未来を変えようとしてくれている。
ただ、六年間も変わらなかった関係が今更変わるのだろうかという不安も大きかった。
「じゃあ、そろそろ良い時間だし今日はもう帰るよ」
夕飯までご馳走になったし、外もすっかり暗くなったので俺は鞄を持って立ち上がったのだが──。
「ま、待ってくださいっ」
部屋を出ようとした俺の袖を小春が後ろから掴んで引き止めた。
「私、まだ昴さんと一緒にいたいです……」
俺の学ランの袖を引っ張る小春の控えめな主張が、その切なげな声が俺を惑わしてくる。
振り返ると、小春は顔を俯かせて床にペタンと座っていた。
「い、いやでも、もう結構遅いし」
「ぜ、全然そんなことありませんっ。それに、今日は私の両親も帰ってこないので……」
だから、気にする必要はない、と?
……何を?
「いや、小春。いくら彼氏彼女という関係でも、あまり一緒に居すぎるのも良くないと思うんだ、俺は」
「で、でもっ、私は少しでも同じ時間を、昴さんと過ごしたくて────」
小春は顔を上げて、俺の両手を掴んで必死に訴えかけてきた。
だが小春が俺の腕を掴んできた時に引っ張られる形になってしまい、油断していた俺は体勢を崩して──。
「おわっ!?」
「きゃっ!?」
このまま後ろに倒れると小春にぶつかってしまうと思って、なんとか小春にぶつからないように避けた結果、どういうわけか俺が小春を床に押し倒したような形になってしまった。
こんな簡単に人を押し倒してしまうようなことがあるのか……?
「す、昴さん……」
少し涙目で頬を赤くした小春の小さな顔が俺の目の前にあった。
彼女の小さな体躯、少し荒くなった吐息、その可愛らしい表情を間近で見ると心拍数が一気に増して、今までに味わったことのない、形容しがたい衝動に襲われ──。
「や、優しく、してくださいね……?」
小春がそう呟いた瞬間、ギリギリで俺の理性のストッパーが働いたのだった。
「お、俺、帰るから!」
俺は慌てて小春から離れて立ち上がり、そして部屋を飛び出して玄関の方へ向かって一気に駆け出した。
「す、昴さん!?」
「また明日なー!」
後ろから小春が俺を呼び止めようとしていたがそれでも構わずに、俺は小春の家を飛び出した。空はすっかり暗くなっており、ポツポツと街灯に照らされた人通りの少ない住宅街を一気に駆け抜ける。
あぁ、情けない。
いや、俺は情けないことをしたのだろうか。
こうして走って肌寒い夜の空気を体全体で浴びていないと体の火照りが冷めそうにない。
「くそぉーっ!」
あそこで一歩思い留まった俺はとても偉いと思う。でも、何だか悔しい自分もいる。
ただ、決して褒められた恋愛をしたわけではない両親が反面教師になってくれたことに、俺は感謝していたし……。
三日後に死んでしまう可能性が高いのなら、少しぐらい良い思いをしても良かったのではという後悔もあったのだった……。
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