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個人的な成長と認識だったり云々

作者: 朝日 橋立

おはようございます。


私がここで遊び始めて、驚きなことに大体三年が経ちました。

始めた理由というのは、今でも鮮明で、中学の定期テストから目を逸らすため……。ひどくふざけた理由でございます。


さて、三年でございます。

実に不思議なことではありますが、私はなぜかここに中学一年生の頃からいたのです。

それで、今は高校生になりました。小中高大の後半部に差し掛かってしまったのです。


いやー、嫌だなー、と思います。

自由が増えるということは、同時に責任も増すということでございます。

しかし、私はこの認識がどうもイマイチで成長の感覚を獲得できていないわけです。


ここでこれのタイトルを今一度読みましょう。

「個人的な成長と認識だったり云々」


言いたいことは、ほぼ既に書いてるわけでございますが、駄弁ろうと思います。


以前、確か中学三年生頃の誕生日を迎えたあたりで、似たようなエッセイを書いたことがあります。

成長とは老化の裏返しであるとか、そんなことで嫌だなー、といった感じに。


この考えの根本自体は、そう変わってはいません。

成長すると認識というものはよくも悪くも変わるものです。

そうすると、いわゆる新理想主義とか、唯心論的に言えば、世界というものはきっと変わるものでしょうから。


しかし、思うに私としては認識の上では中学の頃から大差がないのです。

言えば、私という存在、認識は成長をしていない。単に、自由と責任だけが増したように思えます。

成長の認識、というのでしょうか。これがひどく欠落している。


けれど、一体なにも変化がないかと言えば、その限りではなく、感性が段々と色あせている実感もあります。

近頃、音楽を聴いたりして、想像を巡らせることがどうも難しくなっているのです。あの音はどうやって出しているのか、みたいに無駄な想像をするばかりです。

きっと、私は退化をしているのでしょう。


さて、以前書いたエッセイ「歳を取ること」と題されたエッセイでは、個人的にすごく面白いなという感想を頂きました。

それを意訳して引用しようと思います。


「中年の人はよく丸くなったというが、これは実際長所が欠けて、短所が多少マシになった程度で表面上丸くなっているだけである」


思うに、これは実際事実なのでしょう。

長所が欠け、短所がましになる。これがきっと成熟になるのだと個人的には夢想します。


しかし、これは面白くない。

社会的に求められている人材は、きっとこういった人なのだろうとも思います。

けれど、成熟の為に退化を許容するのは何ともふざけた話で、看過はできない。


だからこそ、長所を保ったままに短所を成長させる。もしくは、さらに長所を伸ばす。

そういったことが私は面白い成長なのだと個人的に思います。


認識の成長、長所は色々な方面があるものです。だけれども、これを伸ばすことによって世界というのは表す姿を変化させ、それによってまた大きな認識の変化を生む。

いえば、好循環の中での成長があるものだと、個人的に思います。


……さて、はじめにあいさつで始めたので終わりもあいさつで締めましょう。

それでは、またいつか。

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