#18 BROTHER・前編
とある日の学園都市を巡る物語の視点は、ついに主観を捉えきれないほど繚乱しいよいよ現象を鳥の目からしか追いかけられなくなる。
それは、田舎の夏のノスタルジアを感じさせる個室からゲームコントロールを握る【???】にとっては久しぶりの進展であった。
「イベント戦スタート」
ここ数千年、眠たい眼差しでゲームをしていた男の子は久しぶりを通り越し、まるで生まれ変わったような気持ちでブラウン管テレビに釘付けになる。
テレビ映像は空高く飛行する鳥の目から学園都市全景を映していて、その視点がぐぅぅぅぅぅんと地上へと寄っていくと、まず最初にスポットが当たったのは官能七姉妹の五女・幾束であった。
風の妖精族の先祖返りの幾束は背中の透明な羽根で高度5メートルぐらいであれば浮かぶことができる。
ピロロの掛け声と共に、お兄ちゃんとの兄妹喧嘩を始めた瞬間、幾束はできる限り高い位置を陣取り、兄妹たちの『空気を探ろう』とする。
幾束の校則違反は、ハーモニア型の『空気を読む』能力であった。
空気とは大気や酸素のことではない。人の、関係の、場面の、“空気“である。
そんな空気に嫌な感じを覚えて、高く飛び上がった幾束は直感を信じて体を捻らせた。
僅か先まで幾束がいた空中に、“太い輪ゴム“が矢のように通過していった。
「みんな! お兄ちゃんの十八番が来るよ!!!」
幾束がそう叫び、下方にいる姉妹たちに注意を喚起する。
地上では後方から死異子・三輪・七流・無花果・夢生・双樹の順番に真っ直ぐな隊列を作っており、先頭を走る双樹が両腕を前で突き出し、マシンガンのように撃たれる“太い輪ゴム“を受け止めていた。
お兄ちゃんの十八番‥‥太い輪ゴムでなんでも撃ち落とす。幾束も昔はこれで遊んでもらった。
「うぉぉぉっ!!!」
双樹の気合が空を飛んでいる幾束のもとまで届く。
お兄ちゃんは楽しむかのように、ポケットから太い輪ゴムを無限に取り出し、次から次へと猛スピードで放っていく。
「七流ッ! 後方を守って!!!」
幾束が自身に飛んでくる太い輪ゴムを回避しながら末っ娘に指示を出す。
「はいはーい!!!」
七流が返事をしたと同時に、後衛の元に双樹が防ぎきれなかった太い輪ゴムが到達する──が、七流が飛び蹴りでそれを全て打ち落とす。
「なーいす!」
幾束がそう言うと、七流が「イエース!」と返事をする。
マシンガンのような太い輪ゴムが止まる。それは、双樹がお兄ちゃんの間合いに入ったことを示していた。
「兄貴ぃぃぃッ!!!
双樹の叫び声を乗せた拳がお兄ちゃんの頭に突き刺さる‥‥かに見えたが、お兄ちゃんは上半身を僅かだけ反らして最低限の動きで回避する。つまり、拳は空を切った。
「夢生ッ! 来るよ!!!」
太い輪ゴムが飛んでこなくなり、少し余裕のできた幾束が叫ぶ。
「ひゃ‥‥ひゃいっ!!!」
お兄ちゃんが双樹に向かって『意識を刈り取る』空気を流した瞬間、背中に隠れていた夢生が飛び出し、拳を突き出す。
間合いこそ足りていないが、その動きは武術熟練者の動きだった。
夢生の動きにお兄ちゃんは半歩だけ引き下がり、『意識を刈り取る』動作を途中で中止した。
「お兄ちゃーーーん」
後方にいた三輪が唐突にそう大声で呼ぶ。
気にせず、双樹と夢生はお兄ちゃんに猛攻を仕掛ける。ここで手を緩めれば、すぐに『意識を刈り取る』能力で前線は崩壊してしまう。
「私はここから一歩も動かないから‥‥‥‥お兄ちゃんは両腕を使わず戦って!!!」
三輪がそう言って死異子の前に立ち仁王立ちすると、お兄ちゃんの両腕から不意に力が抜けた。
三輪の校則違反、ハーモニア型の『お互いが条件に納得した場合、約束を破れなくなる』の能力には、もう一つ別の顔がある。それは、『三輪が不利な条件で約束を交わした場合にのみ一時的に相手と強制的に約束を交わすことができる』であった。
『一歩も動かない』と宣言した三輪は、『両腕を使わないで』と自分が不利な条件で約束を交わした。
これにより、三輪は死異子の前から動けなくなったが、お兄ちゃんは両腕を使えなくなり前線に余裕が生まれる。
「5、4、3、2‥‥壱の型・閃光!!!」
前線より少し後ろで黒い木刀を構えていた無花果は技名を叫び、“飛ぶ斬撃“を放った。
カウントを聞いていた双樹と夢生は両サイドに跳ねて、飛ぶ斬撃の道を開ける。
両腕を使えないお兄ちゃんが飛ぶ斬撃を鋭い蹴りで相殺させた。
即座に双樹と夢生が距離を詰めて、また両足両腕をフル回転させた打撃を連続する。
両腕が使えないお兄ちゃんは、足を多用しながら二人の攻撃を全て防御する。
「次いッ! 10秒後行くぞッ!!!」
無花果が腰に木刀を差し込み体を丸めて縮小させる。そして、息を吸い込み気を集中させる。
無花果の校則違反は、アカデミア型の『時間通り攻撃をすれば、するほど威力が増す』は使い勝手が非常に悪い能力であるが、時間にうるさい長女はこれを使いこなしていた。
もし、七の型まで時間通り攻撃を撃てれば‥‥無花果の木刀はお兄ちゃんに届きうる可能性を秘めている。
ここまで官能七姉妹の計画通り進んだことにより、彼女たちの弱点に一瞬の綻びが生まれる。
それは、六女・夢生の気の緩みであった。
大好きで最強なお兄ちゃんと対等に戦えている喜び。
大好きな姉妹がこんなにも強い喜び。
自分が足を引っ張らず借りものの才能でも、こうして貢献できている喜び。
それらが夢生に油断という悪魔の囁きをする。
もちろん、それを官能乙一が見逃すはずもない。
乙一は夢生に情け容赦のない針のような蹴りを放った。
「‥‥ふぇ」
夢生がふと我に返り、幸福感で1秒にも満たない間、集中力が切れていたことに気付く。
しかし、もう遅い。乙一の蹴りは、こうなることを『空気を読んで』察していた幾束の腹に突き刺さった。
幾束は夢生の身代わりに蹴りを受けたのである。
「夢生、もう少しだけがんばって」
幾束は夢生の耳元でそう囁きかけて、情け容赦のない蹴りを受け止めるが衝撃が彼女の体を後衛のいる場所まで吹き飛ばした。
メキメキメキ、と鈍い音がして幾束は自分のアバラ骨が何本も折れたことを理解した。
もし、夢生がやられていたら前衛が崩壊して一瞬で戦況は最悪になっていた。そう『空気を読んだ』幾束にはこの選択肢しか残されていなかった。
「い、幾束ちゃん!? だ、大丈夫???」
三輪が慌てて駆け寄ろうとするが、朦朧とする幾束が「動いちゃダメ!」と静止する。
三輪が動いて校則違反が解けてしまい、乙一の両腕が使えるようになっても戦況は悪くなってしまう。
「大丈夫‥‥だから。死異子ちゃん、イクの体使ってもいいからね」
幾束は意識が途切れる寸前、『空気を読んで』最後にそう言い残した。
シャン、シャン、シャン、と鈴を鳴らして祝詞を唱えている死異子は反応こそしなかったが、幾束の声は確かに届いていた。
「赤み残った 肌白亜魅 南無阿弥陀仏 鼻いたって紫い亜魅 南無阿弥陀仏 ありしありしか兄様々 茶骨拾い思ゆ亜魅 みな底忍ぶ黒煉獄 あと泣き鳴き亡き無し 無色透明の亜魅‥‥」
死異子がそう祝詞を唱えると、高等部校舎の校庭の地面が緑カビの湿地に変わり、小川が流れ始め、雨が降り出した。
いつの間にか、空間が変異して校庭は見る影さえなくし、周囲は【黄泉】へとなる。
死異子が瞳を広げると瞳孔は三白眼になっていた。八重歯が伸びて牙になる。そして、額から石色の親指程度のツノが生えた。
四女・死異子は妖怪族・鬼の先祖返りで校則違反を発動すると、肉体に変化が現れるのであった。
「ファンタジア型『半径100メートルを黄泉の国に変化させる』──ニライカライ」
シャン、シャン、シャンと死異子が杖の鈴を鳴らす。
「ファンタジア型『黄泉の国に足を踏み入れた者は自分の意志で外に出られない』──イザナギ」
シャン、シャン、シャン‥‥。
「ヒステリック型『対象の能力を大きく弱体化させその分、別の対象の能力を強化する』──オオカムズミ」
シャン、シャン、シャン‥‥。
「アカデミア型『私に攻撃を加えた場合2倍になって跳ね返る』──イザナミ」
シャン、シャン、シャン‥‥。
「ハーモニ型『戦闘不能者を私の意識で操れるようになる』──ヨモツイクサ」
中学2年、官能死異子、特異レベル8‥‥その中でも最強と評価されている。
黄泉の国で死を司る“鬼“がついに牙を剥き出しにした。
その時、別の鳥の目が夏町のトロピカルセンター駐車場を捉えている。
ぐぅぅぅぅんと地上へと寄っていくと、大目玉のグロテスクな体長3メートルぐらいのクリーチャーが触手を振り回して辺りを蹂躙していた。
クリーチャーの正体は官能乙一の親友である日々徒然である。
圧倒的な質量を持つグロテスクなクリーチャーに、序列二桁の有象無象は1分もしない間に漏れなく満身創痍であった。
物理攻撃をしても分厚い腐った肉に阻まれる。魔法攻撃をしても削れた体積がすぐに再生する。呪術攻撃をしても効いているのかすら分からない。
経験したことのない手応えのない化け物に、有象無象たちの戦意は確実にすり減らされていく。
つい祈りたくなってしまうような美しい炎を纏ったフェニックスがクリーチャーに何度目かの突撃をする。
しかし、クリーチャーが先の尖った触手を伸ばし、フェニックスの体を貫いた。
フェニックスは鳴き声も上げず、空中に静止したまま聖なる炎を降り注いで消えていく。
そんな光景を見ていた序列二桁の有象無象は「あ‥‥終わったな、これ」と心の中で呟いた。
「みなさーん、フェニックスの聖なる炎は体力を回復させまーす! セラセラの癒しの炎受け取ってくださーい! ディアキッズのみなさんも、トイレ休憩は各自とってくださいねー」
おかしなテンションになっているセイラがそう叫ぶと、フェニックスの残り火で体力を全快にした有象無象が雄叫びをあげる。
「うぉぉぉ、セイラさまーーー!!!」「セラセラ最高!!!」「セラセラのおかげでまだ戦えるよぉ!!!」「セラセラは序列戦に集中すれば3位以内も狙えるんだから、ディアライフなんかやらずもっと戦闘に集中するべきだ」「まだやれるぜーー!!!」「萌えええええええっ!!!」「セラセラ、一生ついて行きまーす!!!」
「セイラもいよいよ攻撃モードに入りまーす。よーく、見ていてくださいね‥‥お願いします、守護者!!!」
セイラが身の丈以上の杖を振りかざすと、上空より白銀の鎧を纏った巨大なゴーレムが舞い降りる。
「守護者よ、行け‥‥って、あれ? あれ? あれぇぇ??? なんで、同接伸びてないの??? ってか、むしろ減ってる??? え??? なんで、なんで??? あ‥‥ああっっ!!! メルさまが配信してるーーーー!!!! うっわ‥‥最悪だ‥‥こんなに頑張ってるのに意味ないじゃーーーーーーん!!!!!!!」
セイラの嘆きに呼応するかのように別の鳥の目が春町の河川敷を捉えている。
河川敷の一角に不自然なドーム状の魔力による幕が広がっていて、その中へとぐぅぅぅぅんと視点を寄ると異様なプレッシャーを放つ3人が対峙していた。
「キモ? ディアライフとか? 意味不明? ふざけてるの?」
不機嫌なウィンディーナが不貞腐れた口調でそう言った。
ドーム状の壁一面に流れる配信用アプリ・ディアライフの投稿コメントがすごい勢いで流れる。
『は? お前だれ?』『誰???』『売名乙!!!』『去年、三日だけ配信したディーナじゃん。同接2人で伝説作った』『2人wwww』『クソワロタwww』『キモwww』
BOOOOOM!!!
突然、ウィンディーナの顔面が爆発した。言葉通り、顔面そのものが爆発するため防御は不可能だった。
「ギャハハwww 同接2人とかワロワロwww お前、そのまま死ねなwww」
空間変異したファンシーな地面で倒れていたメルヘンが、ムクリと体を起こして爆笑した。
顔は真っ黒焦げで、メルヘンは自分に癒しの魔法を使用する。
『同接マウントキタァァァ!!!』『コラボ相手に失礼』『これ嫌い』『メルさま性格悪すぎ』『はいはい、新人いびり乙、不愉快だわ』
BOOOOOOM!!!
メルヘンの顔面が二度目の爆発をした。
メルへんは「ガハッ!」とうめき声をあげて、ファンシーでピンクな地面にまた仰向けになって倒れた。
ガタイの良いケンドーはそんな2人の様子を見て、冷静に校則違反の特性を探る。
が、そもそも‥‥そもそもだ。
「校則違反もやばいが、それ以上にメルヘンがやばいな。さっきから、ふざけているように見えて達人のよう隙がない‥‥しかも、回復魔法を詠唱なしに使いよった。コイツ、かなりの喰わせもんやぞ」
メルヘンが倒れている間、ケンドーは何度も間合いを詰め肉弾戦に持ち込み早々に決着をつけようとしたが足が動かなった。
「武術で格上を相手にしとるような恐怖‥‥エグイで、ほんま」
『お、解説役分かりやすな』『メルさまって何気に運動神経クソ良いからな』『回復魔法詠唱なしは化け物だわ』『ケンドーいいな。序列3位なだけあるわ』『それに比べて“同接2人“は‥‥』
思わず声に出してしまったことで、自分に注目が集まったことにケンドーは顔面の爆発を覚悟した。
しかし、爆発はいつまでも訪れずむしろ、体が軽くなったような気さえした。
バシャバシャとポーションを頭からかぶったウィンディーナが体を起こして、ドーム状の壁に映し出されたコメントを睨みつける。
「ヒキオタ? 殺す? 絶対に殺す???」
そう口にして詠唱もなく七色のレーザー光線をコメントに向かって放った。
しかし、ドーム状の魔法空間は傷どころかウィンディーナの魔法をそのまま吸い込んでしまう。もちろん、洪水のように流れるコメントも健在だ。
『同接2人ウザ』『処理落ちしたぞ、ふざけんな』『Kc Kc』『いらんことすんな同接2人』『これは同接2人』『しね』『沼』
BOOOOOM!!!
ウィンディーナの顔面が二度目の爆発をした。
配信アプリ・ディアライフの事情に疎いケンドーはあまりにも理解不能な光景にどう立ち回ればいいか選択できないでいた。
別の鳥の目が冬町の噴水広場を捉えていた。なんと、ここで一つの戦闘がすでに決着した後だった。
高校2年で序列5位の妖怪族と凡人族のハーフの吾潟大将が空を仰いで倒れていた。
吾潟の相手をしたのは年齢不詳で序列6位の黄色を基調にしたヒーロースーツ姿のやたらとエロい体のラインを浮かび上がらせた【時代遅れ】だった。
ヒーロースーツはその顔までも隠し、正体を明かさないでいるがやたらとエロい体を密着したスーツがより強調していて、まあ、つまり、単純にエロいのであった。
【時代遅れ】のヒーロー。イエローが吾潟を見下して口にする。
「ごめんなさいね、保護者会から乙一を助けるように命令されたの。でもね、もう少し鍛えた方がいいわよ‥‥確かに校則違反は私たちの時代より進化してる。でも、最後まで裏切らないのは武術よ」
イエローが手をパンパンと払ってそう伝えると、気を失っている吾潟がボソボソと話し始める。
「官能芽衣‥‥レベル33‥‥序列6位‥‥特異レベル0‥‥校則違反卒業済み‥‥筋力80‥‥速さ75‥‥硬さ30‥‥体力315‥‥魔力40‥‥呪術5‥‥」
「はぁ‥‥これが【噛ませ犬】の能力ですか。負けた相手のステータスを暴く校則違反なんて、私の時代じゃ考えられないわ」
「‥‥乙一・無花果・双樹・三輪・死異子・幾束・夢生・七流の母親で、夫は官能甲。24歳の時にできちゃった結婚をして、毎年子宝に恵まれ‥‥今年で42歳──」
「ヒーローの年齢バラすな!!! このバカチン!!!!」
ヒーローは気を失っている吾潟の頭に手加減なしのギロチンドロップを喰らわした。すなわち死体蹴り行為であった。