#12 プレイヤーチルドレン・後編
☆來宙
首筋にチクリとした痛みを感じて目を覚ますと、眉間にシワを寄せた不機嫌そうな女が來宙に注射を刺した後だった。
意識をどれぐらい失っていたのだろうか。両親がリスポーンしてから今日までのことが全て夢だったような気もする。
結局、ここは楽園なんかではなく埃の積もった朽ち果てた鉄筋作りの工場だった。
「‥‥俺に何をした?」
不機嫌そうな女の後ろには間抜けそうな胸の大きな女がいて、その隣には自分と同い歳ぐらいの女の子が胡散臭い笑みを浮かべていた。
「即効性のポーションよ。骨、内臓に損傷ないみたいだし、もう動けるはずよ」
來宙は「そんなすぐ効くポーションがあるかよ」と呆れてこぼすが、体を起こしてみると経験のない清々しい気分に驚いた。
「‥‥俺に何をした?」
來宙は注射跡のついた首筋をおさえてやはりそう口にした。
ポーションを注射器で体内に直接注入するなんて聞いたこともないし、痛みどころか疲労をなくし、体力まで完全に回復するなんてありえない。
「そのポーションは憎たらしいながらも私のブラザーの新薬よ。副作用は“ほとんど“ないから」
そう説明されても簡単に納得できない來宙であったが、すっきりした頭で考えればここは敵地のど真ん中のようなもので、しかもレベル1のゾンビであの戦闘力である。
何をされてもライフを奪われていないだけマシであると考えるべきだ。
「‥‥俺はどうなる?」
來宙は腹を括ったように冷たい地面に座り、反抗の意思はないと示した。
不機嫌そうな女は「素直でよろしい。なかなかハードモードな人生を送ってきたみたいね」と、淡々と口にして続ける。
「私は日々色乃、後ろにいるのが官能三輪とその妹の七流よ。あなたの名前と所属は?」
「所属? 俺はただのポーター‥‥荷物運びで、パーティーには所属してない。名前は、來宙だ」
來宙がそう言うと、七流が「ライチュウ? あはは、変な名前〜」とクスクスして、三輪が「七流ちゃん、そんなこと言っちゃ駄目だよ」と諭した。
來宙はゾンビ仮面の正体が七流であることは気がついていなかった。
「來宙の保護者は? まだ子供でしょ」
色乃が台本通りのように問いかける。
「両親とは半年前の【魔物嵐】ではぐれた。だから、保護者はいない。俺をここまで連れてきたのはA級攻略パーティーのトムキャット。今頃、学園コア? とかってのを奪ってるんじゃないか」
來宙が重装備な男とのやりとりを思い出して、駆け引きを試みる。
ただ、來宙には何が必要な情報で、自分に有利に働く情報が何かを理解していなかったため、色乃が面倒そうにため息を吐き捨てた。
「残念ながら五人組の外部からきた殺傷能力を持った男たちは、学園都市の【例外】によって処理されたわ。10秒も持たなかったそうよ‥‥【例外】は殺傷武器を向けられるとすぐに殺してしまうのよ」
來宙は跳び上がり大声で「そんな馬鹿な!」と口にする。
「トムキャットはレベル上限値120の攻略パーティーだぞ! 異星人とだってやり合ったことあるって言ってたんだ! ここには魔物も異星獣も異星人もいなんじゃないのか!!!」
「【例外】がいるのよ‥‥覚えておきなさい、学園都市では校則という絶対的なルールと、官能乙一という個人的なルールの二つがあるの。ルールを破ったらただじゃ済まないことぐらい、來宙にも理解できるでしょ?」
「ルールって‥‥意味わかんねえ」
來宙は自分のつま先を見つめて、混乱する行き場のない思考を放棄したくなった。
とりあえず分かったことは、この鉄筋作りの廃墟で自分は孤独になったということだけだった。
色乃は「さて、とりあえず乙一さんからこの子を守らないと」と言って、官能七姉妹の三女で中学三年の三輪に目で合図を送った。
肩にかからない程度の横髪を揺らして、学園中等部の制服スカートをなびかせ三輪が來宙に近寄った。
「來宙ちゃん、私と約束してくれるかな? 私と色乃ちゃんで來宙ちゃんのこと守るから、学園都市では殺意を他人に向けないで、お願い」
三輪が來宙の両手を握り、真剣な面持ちでそう言葉にした。
「殺意ってなんなんだよ」
來宙は不貞腐れたように言い返した。さっきから、目の前のモブたちが何を話しているのかほとんど伝わっていなかった。
「誰かを殺そうとすることです。もちろん、殺すための殺傷武器は使えなくなるし、魔法も呪術もそう。もし誰かを殺そうとしたら、お兄ちゃんが怒って‥‥いるのか分からないけど、どこからともなくやってきて殺されちゃう」
「俺はさっき変なゾンビを殺そうと戦ったぞ」
「運が良かったんだよ。ちょうどその時、トムキャットさんたちがお兄ちゃんと出会っていたから。感謝しないとダメだよ? 來宙ちゃんがまだ死んでないのは、トムキャットさんたちのおかげなんだから」
來宙は少しの間黙りこくり、それから観念したように「分かった」と口にした。
「約束ぐらい何回でもしてやらあ。俺は誰にも殺意を向けない」
「うん、だったら私と色乃ちゃんはあなたのことを守ります‥‥約束だよ?」
「へいへい──」
突然、地面から上昇気流が巻き起こり、光の粒子が三人の中に吸収されていった。
來宙は体勢を崩してしまうが、三輪が体を引き寄せて支えてくれる。
そのふくよかな胸に挟まれて、來宙は「わけわかんねーよ、クソッタレ」と投げやりに吐き捨てた。
突風が落ちつくと三輪が「驚かせちゃってごめんね」と來宙の頭を優しくなでた。
「私の特異レベル5でハーモニア型の校則違反。お互いが条件に納得して交わした約束は破れなくなるの。これで、來宙ちゃんはお兄ちゃんを怒らせずに学園都市で過ごせるよ」
來宙はやはり状況の理解ができず、もう成り行きに任せることにした。
☆ ☆ ☆
朽ち果てた工場を出て最初に見えた夕焼けは見知らぬ土地のはずなのに懐かしくて涙がでそうになった。
涼しい風に乗ってピンクの花びらが踊っていた。
雑木林に囲まれた廃工場は確かに文明的ではあったが、一歩外に出てしまえば待ち構えているのは薄気味悪い自然の猛威だった。
「この子はうちで預かるから。ママから許可もらったし。しばらく、特異点研究所預かりってとこで落ち着くと思うわ」
廃工場を出た先で色乃が三輪にそう言った。
「分かった。私もお兄ちゃんに事情を説明しておくね‥‥徒然さんは‥‥その‥‥大丈夫かな」
“徒然さん“とは色乃の血のつながった兄であり、乙一の親友でもある。
学園都市でもマッドサイエンティストとして有名で、研究という名目ならなんでもありな日々徒然は乙一よりも危険因子として認定されている。
「あいつが來宙をバラそうとしたら私がその前にあいつを殺すから大丈夫よ」
「う〜ん‥‥さすがに徒然さんもそこまでは‥‥しないよね?」
「なんかあったらその時は約束を交わしましょう」
「そうだね‥‥私と七流ちゃんは歩いて帰るから。二人は先に行って」
「うん、また連絡するわ。七流も今日は大人しくしてなさい」
色乃はそう口にして、近くに停めてあった近未来デザインの大型バイクにまたがった。
そして、來宙に後ろに乗れと合図を送る。
「でっけえ二輪車だ‥‥これ動くの?」
來宙は大型バイクをまじまじと見つめ、戦々恐々と後部座先にまたがり色乃の腰に抱きついた。
「悪いようにしないから、今は私に身を預けなさい」
色乃の不機嫌そうな声に、來宙は「うん」と素直に従った。確かに、殺されることはなさそうだ。
そして、ブオンッとエンジンが噴いて大型バイクは林道を走り出す。
腹に響く重低音と叩きつける風で口と目を塞いだ。
轟音のまぶたの裏側。暗闇でもいい、このまま何も見たくない‥‥そう來宙は思っていた。
生き延びることはできたって、このクソッタレな世界には逃げる先はどこにもなかった。
だから、もう‥‥このままエンジン音にまみれて消えてしまいたかった。
ふと
森の匂いがなくなる
かいだことのない
金色の香り
10歳の女の子は
プレイヤーチルドレンは
クソッタレと呟いた
そして
怠慢な動作
まぶたあける
夕焼け燃える
ライ麦畑
ミツバチの抱擁
女の子瞳凝らす
遠く
とおく
バイクが向かう東の方角
民家の屋根
数えきれない屋根
‥‥‥‥楽園
女の子はそう呟いた
「ここは【学園】よ」
來宙の命の糸を握る女はそう返した。
☆ ☆ ☆
バイクが停車したのは派手な輝きを放つ長方形の建造物だった。
地面はアスファルトで硬められており、見渡せば文明で埋め尽くされていた。もし、一軒一軒に人間が暮らしているなら、モブとはいえすごい人数になりそうだ。
多くても20人規模の集落でしか暮らしたことのない來宙にとって、想像もできない規模だった。
「ほら、バイクから降りなさい。お腹減ってるでしょ。とりあえず、コンビニで何か買いましょう」
色乃にそう促されて、來宙は大型バイクから降り立った。
アスファルトを噛み締めると、この場所には魔物も異星獣も異星人もいないのだと安心した。それぐらい、戦闘の傷が地面についていなかった。
「‥‥これがコンビニ?」
長方形のライトアップされた建造物にむかって來宙はそう口にした。
「そうよ。学園都市にコンビニはたくさんあるわ。年中無休、いつでもやってて、なんでも売ってる」
「武器も売ってるのか?」
「木製ならね。ジェネリックポーションならコンビニでも取り扱ってるわ」
來宙は“ジェネリック“の意味を理解できなかったが、「そうなんだ」と適当に頷いた。
なんとなく、重装備の男がここを拠点にしようとしていた意味を察した。この場所なら、各地に散らばったプレイヤーを集めても有り余る拠点になりそうだ。
自動で開いたドアからコンビニの中に入ると、初めに目についたのは大量に並べられた食糧の数々だった。
來宙は思わず駆け寄り、パックに梱包された食料を眺めてしまう。冷気を放つ棚に並べられた食糧だけで、一城の主人になれそうだった。
「こんなたくさんの食糧どうやって食うんだ?」
來宙は唾液を飲み込みながら色乃にそう言った。
「半分は廃棄にでもなるんじゃないかしら。学園の食糧自給率は600%、捨てるぐらいがちょうどいいのよ」
「捨てるのか!?」
「ええ」
捨てるぐらいならストレージに収納してしまえばいいんじゃないかと考えて、來宙は手を伸ばしたが。
「万引きはやめなさい、犯罪よ。おごってあげるから好きなのを選びなさい」
そう注意されて、手を引っ込めた。パックに入った食糧はあまりにも非日常的で、好きなものと促されても簡単には決められなかった。
その様子を眺めていた不機嫌そうな顔をした色乃が「やっぱり、奢るんだったら私の好きなものを食べなさい」と言って、レジにむかった。
「肉まん二つと、あんまん一つ」
派手な柄のシャツを着た耳の尖った男が「へーい」と返事をして、カウンターの横にあるガラスケースから白くてふわふわしたパンを取り出す。
來宙が注意深く見守るとガラスケースに『肉まん150コイン』と記載してあるシールが貼ってあることに気がついた。
「あ、あのっ! 俺、コインなら5万ぐらい持ってる‥‥自分のは自分で──」
そう訴える來宙を色乃が「子供が気遣いしないの」と呆れたように続ける。
「学園都市は95%が電子マネーに移行していて、コインを銀行に預けてGポイントに交換しないと使えるお店はないのよ」
「450コインになりやーす」
男があくびをしながら肉まんの入った袋を差し出しそう言った。
色乃はカウンターに乗せられた手のひらサイズの端末にタブレットを置いた。
「こうやってタブレットで支払うのよ。ちなみに一度に大量のコインをGポイントに変換することはできないわ‥‥あれ、もしかしてこうやって壁の外からきたプレイヤーに経済を混乱させられないように【労働組合】が動いたとでもいうの?」
近年、急激に進められたキャッシュレス化はアルバイトの負担を減らすためという労働組合の運動があってのことだったが、もし壁の外から何十億というコインを持つプレイヤーが学園都市に入ってきて、物資を買い占められたらどうなっていただろうか。
労働組合といえば小人族で高校3年のターヤ・ハレヤが加入してから存在感を強くしている組織だ。
ハレヤは乙一や徒然の親友の一人で、兄である徒然と同等に学園の危険因子リストに入っている。
「どうした?」
不安そうに來宙が色乃の顔色を伺う。
「‥‥ううん、なんでもない。外で食べましょう」
そう首をふった色乃を追いかけて來宙はコンビニの駐車場に出た。
大型バイクに背中を預けると、色乃が肉まんを手渡した。外はすっかり暗くなり星が瞬き、ピンクの花びらはなおこうして宙を舞う。
「熱いからゆっくり食べなさい」
肉まんを受け取った來宙は乾燥したレーションでお腹の隙間を埋めてから、もう2日も経過していると腹の虫から教わった。
「‥‥おう」
來宙はホクホクと湯気の上がる白いモチモチしたパンにかぶりついた。
「あつっ‥‥‥‥んっ! なんだこれ‥‥うま‥‥うまい‥‥おいしい‥‥おいしいよお‥‥グスッ‥‥うぅ‥‥母さん‥‥父さん‥‥うぅ‥‥ヒクッ‥‥ヒクッ‥‥うぅぅ」
「私は甘やかさないわよ。甘えたいなら両親と再会してから甘えなさい」
「‥‥うん‥‥グスッ‥‥そうする」
「ようこそ、閉じられた学園へ。何かを成したいなら強くなりなさい。それがここの校則よ」