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#01 妹チュートリアル


官能乙一かんのうおついち



 乙一が微かな気配に目を覚ますと、左手に覚えのない肌触りのいい物体を握っていた。

 カーテンからもれる弱々しい白光りがまだ早朝であると教えてくれる。


 長い前髪で目元が隠れている乙一は周囲を警戒しながら、左手の物体を両手に持ち替えてヒラリと広げる。


 それは、黄色と白色のチェック模様にレースのついたブラジャーだった。


 どうして女性用のブラジャーを手に持っているのか、乙一には全く心当たりがなかった。

 もしこれが何者かによる仕業で乙一が眠っている間にブラジャーを握らせたのであれば、犯人の実力は計り知れない。


 学園序列:例外

 学園特異レベル:例外


 乙一は高校3年生にして学園から評価がつけられないほどの強者認定をされている。

 例外というのは、比較する相手もいないほど圧倒的という意味であった。


 そんな強者である乙一に気付かれず、眠っているあいだに部屋に忍び込みブラジャーを握らせた者がいる。

 それはつまり、学園でも稀な緊急事態なのであった。


「‥‥‥‥」


 乙一はブラジャーを真剣に見つめた。魔力も呪術も気配も辿ることができなかったので、ためらいもせず匂いを嗅ぐ。

 ブラジャーの内側のフカフカした生地の隙間に【G75】と記してあるタグを見つけた。



官能三輪かんのうみつわ



 三輪みつわは官能七姉妹の三女で、姉妹の中で一番胸が大きかった。


 胸が大きい以外の特徴は、肩にかかる程度に長い髪、おっとりとした性格が顔を見てもわかるほどで、運動や勉強は普通。

 将来の夢は家事手伝い、官能家の台所は母親と三輪によって守られている。


 三輪が姉妹の中で最初に目を覚ますのは、朝食の準備を手伝うためだった。

 半袖ショートパンツにイチゴ柄のパジャマ姿の三輪は、まだ薄暗さの残る時間に目を覚まし、ベッドから起き上がる。

 そして、両腕を天井に向けて思いきり伸ばして


「んぅーーーっ」


 と、上半身ののけぞらせてから


「ふぅー」


 長めの吐息を漏らした。

 いつもと変わらない清々しい朝‥‥のはずが、腕を落とした瞬間──。


 ブルンッ


 と、大きな胸が揺れたのであった。


「ひゃっ」


 三輪は自分の胸が勢いよく揺れたことに驚き、甘い声をあげる。

 そして、あわてて自分のたわわな胸を鷲掴みにした。


「あれ、ない‥‥ない‥‥私、ブラしてないよお!」


 三輪にとって睡眠中のブラジャーは欠かせないものだった。

 中等部に上がる前から大きくなった胸は、三輪のコンプレックスでせめて形が崩れないようにと早くからブラジャーをつけていた。


 そんな自分がブラジャーをつけ忘れて眠るはずもない。しかし実際につけていない。


「‥‥うーん」


 三輪がそう唸っても答えは見つからず、とりあえずタンスを開けて別のブラジャーをつけようとした。


「あれ‥‥どうして???」


 タンスの中に規則正しく並ぶブラジャーに触れることができない。

 手を伸ばしても、自分自身がブラジャーに触れることを拒んでしまう。


「え‥‥え‥‥ええっ!?」


 自分の体のことなのに何が起きているのか理解できず、三輪は怖くなって後退りした。


 ブルンッ


 また、大きな胸が揺れる。


「いった‥‥どうしよう‥‥どうしよう‥‥」


 三輪は両胸を腕で抱えて原因不明の問題を解決するべく、頼りになるお兄ちゃんの部屋へ自然と駆け出していた。


 隣にある乙一<おついち>の部屋を乱暴に開けて、三輪は大声で叫んだ。


「お、お兄ちゃん! 私、私‥‥ブラジャーがつけられなくなったの!」


 三輪は涙を拭いて、乙一に目をやった。

 乙一はすでに体を起こしていて、ベッドの上で黄色と白色のチェック模様のブラジャーの匂いを嗅いでいた。


「お、お、お‥‥お兄ちゃん! それ、三輪のブラジャーだよお!」


 三輪は勢いよく乙一に飛び込み、ブラジャーを取り返すため掴もうとした。

 しかし、自分の手がブラジャーを取り返すことを拒否して乙一に抱きつくような格好になってしまう。


「あれえ‥‥なんで‥‥」


 三輪は涙目で乙一を見つめて、状況を確認する。


(お兄ちゃんにブラジャーの匂いバレちゃった‥‥でも、どうしてお兄ちゃんが私のブラジャーを持っているんだろう。お兄ちゃんが妹の部屋に忍び込んでブラジャーを奪うなんて絶対にありえないのに)


 三輪が耳を真っ赤にしてそんなことを考えていると、乙一が「‥‥‥」とブラジャーを差し出した。


「‥‥うん」


 三輪はうなずいて、ブラジャーを受け取ろうとする。

 しかし、やはり手が拒絶してしまう。そして、思ってもいないことを口にしてしまった。


「あのね‥‥お兄ちゃん、三輪にブラジャーつけてくれる?」


 三輪は「え?」と自分自身の言葉に戸惑ってしまう。

 そんなつもりはないのに、何故かそう言ってしまった。


「ち、違うの! でも、違うくなくて‥‥あれ、なんで‥‥なんか、お兄ちゃんじゃないと私にブラジャーをつけられない気がする‥‥でも、そんなの恥ずかしいのに‥‥でも、でも」


 三輪はもう訳が分からなくなってしまって、「ふぅ、ふぅ」と唇を尖らせていつの間にか体を密着している乙一にこう口にする。


「お兄ちゃん‥‥三輪にブラジャーつけて」


 吐息を漏らして、瞳を潤ませて、むぎゅっと抱きつく腕に力を込めた。


「‥‥‥‥」


 長い髪で反応が分からない乙一はゆっくりと首をたてにふる。


 ベッドシーツの上で三輪の後ろに乙一が座る位置どりになって、三輪の短い吐息が部屋を満たしていく。


「‥‥パジャマ脱ぐから、見ないでね」


 三輪が半袖イチゴ柄のパジャマのボタンを上から順に解いていく。


(うぅ‥‥お兄ちゃんにこんなことして、嫌われないかなあ‥‥私はこんなにも恥ずかしいのに、お兄ちゃんは何を考えているの‥‥)


 乙一の目元は長らく誰も見ていない。長い前髪で隠されていて血のつながたった姉妹ですら乙一の顔を知らない。

 そして、乙一は滅多なことでもない限り言葉を口にしない。

 昔から無口・無表情で掴みどころがないのが乙一という人物だった。


(でも、困った時は必ず助けてくれるし‥‥いつも、変わらずそばにいてくれるし‥‥今だって、こんなおかしな状況にも関わらず冷静でいてくれるし‥‥)


 三輪はお兄ちゃんが大好きだった。

 大好きだからこそ、コンプレックスの胸をさらけだすことは恥ずかしくてドキドキしてしまう。


 最後のボタンを解いて、ゆっくりとパジャマを脱いだ。

 三輪はすぐに両腕で胸を隠すが、脇から余った肉がこぼれてしまいなんとも不格好になる。


「あうぅ‥‥お兄ちゃん、脱いだから目を開けてもいいよ」


 そう言った三輪の方がまぶたをギュムっと閉じて、唇を結んでいた。

 そのままの姿勢でしばらく待っていたが、乙一に動く気配はない。


 三輪は片目を開けて、ようやく腕を組んだままではブラジャーがつけられないことに気がついた。


「ごめんなさい‥‥これじゃあ、ブラジャーつけられないよね」


 三輪は知恵熱のように頭が熱くなっていて、うまく思考が働いていない。

 そのため、少し大胆になり胸を隠していた両腕をねっとりとあげて、操り人形のようなポーズをとる。


「‥‥早くしてね、お兄ちゃん」


 指の先端からブラジャーの紐がシュルシュルと潜ってくる。

 三輪は「はぁ、はぁ‥‥」と早い鼓動に合わせて口呼吸をしている。

 ひじまで紐が通ると乙一に胸を差し出すように、背中を反らせた。


(‥‥もう全部、見られちゃったよね‥‥お兄ちゃんは私のこと、どう思っているんだろう)


 自分の胸をあらためて眺めると、余分な脂肪がたくさんついたブサイクな形だと思ってしまう。

 それと同時に、最後に毛の処理をしてからしばらく経っており、胸に産毛が生えていることに気がついてしまった。


「ひゃっ‥‥」


 恥ずかしくなって思わず体勢を崩してしまうが、乙一に抱きかかえられる。


「ご、ごめんなさい‥‥お兄ちゃんは真剣にブラジャーをつけてくれているのに」


 三輪は姿勢を整えて、もう何も考えないようにして乙一に身を任せた。

 乙一の手が背中にまわって、ブラジャーのホックを止める。


「‥‥終わった?」


 三輪がそう振り返ると、簡単にブラジャーのホックが外れてしまう。

 そして、胸がポロリとこぼれて三輪はあわてて手で隠した。


「あのね、お兄ちゃん‥‥私の‥‥その‥‥大きいから、ホックをとめる前に寄せないとダメなの」


「‥‥‥‥」


 乙一は反応もみせず、コクリとうなずく。

 そして、三輪の言葉通りにブラジャーと胸の隙間に手をすべらせた。



官能死異子かんのうしいこ



 死異子しいこは官能7姉妹の四女で、乙一の部屋の押し入れで眠っていた。


 霊媒体質というか不幸体質というか。

 昔から不思議な現象に悩まされる死異子を乙一はいつも助けてくれた。


 不思議な現象は夜に起こりやすく、姉妹の間で取り決められた【お兄ちゃんの部屋不可侵条約】の例外として、死異子だけが乙一の部屋の押し入れで眠ることを許されていた。


 死異子は長い髪で片目を隠しており、死体のように肌が白い。

 眼力のある瞳は他人を寄せつけない魅力があって、いつもゆったりとした上着を羽織っているため分かりずらいが、スタイルも悪くない。


 死異子の胸は三女の三輪<みつわ>と比べると小さいが、同級生の中では大きいほうだ。


 そんな死異子が目を覚ましたのは、押し入れのふすまの向こう側である乙一に部屋から、「はぁ、はぁ‥‥」と甘い吐息が聞こえてきたからであった。

 最初は聞き間違いだろうと夢の続きを見ていたが、どんどんエスカレートする吐息は到底無視できるものではなくなった。


(もしかして、兄さんもそういうの見るのかしら)


 死異子は最初そう思ったが、「早くしてね、お兄ちゃん」という声を聞いて、甘い吐息を漏らしているのが、ひとつ上の姉である三輪だと気がついた。


(ちょっと、三輪と兄さん何してるの?)


 ただならぬ三輪の声に、死異子は勢いよくふすまを開けようとした。

 しかし、ふすまはピクリとも動かず、まるで乙一の部屋と死異子のいる押し入れを隔離しているように感じた。


「ちょっと兄さん! 三輪!」


 そう叫んでも、二人に声が届く様子がなく、ふすまを蹴っても得体の知れない力で防がれてしまう。


「くっ‥‥これ、呪い? いや、もっと違う‥‥こんな校則違反アンチルール見たことないっ」


 死異子が必死にふすまと格闘して、ようやく開いた頃にはベッドの上でブラジャー姿で息を乱す三輪と普段となんら変化のない乙一がいた。


 押し入れから飛び出した死異子が乙一に詰め寄ってこう叫ぶ。

 ちなみに死異子のパジャマは地味な上下のトレーナーだ。


「兄さんっ、何があったの!?」


 無口な乙一に変わって、ベッドに横たわりぽっちゃりとしたお腹で呼吸する三輪が答える。


「はぁ、はぁ‥‥しいちゃん、心配しないで‥‥な、何もしてないから」


「ウソつけ!」


 死異子が思いきり、三輪のお腹を叩いた。


「痛いよぉ‥‥」


 死異子が乙一にむかって、大人びた口調でこう話す。


「完全に空間が隔離されていたわ。こんなことできるのは神さまぐらいよ‥‥一体、何が起きてるの?」


 乙一が「‥‥‥」と周囲を警戒すると、部屋の何もない場所から突然、肌の露出が激しい女の子が現れた。

 ゴシック調のビキニのような衣装の女の子だ。


「神さま? のんのん、あたしは学園さま。この閉ざされた学園都市の全ての管理人」


 小学生と言われても疑問に思わない外見をした女の子は、重力を無視して宙に浮いて生足をさらけ出していた。


「学園さま? そんなの初耳なのだけど」


 死異子が挑発的な態度でそう言った。


「情報を引き出そうとしても無駄だって、特異レベル8の官能死異子ちゃん。今日、ここに来たのは宣戦布告をしにきただけだから」


 学園さまと名乗った女の子が乙一のほほに触れる。


「官能乙一、あたしは学園の管理者としてお前を止めなくてはいけない‥‥分かるよね?」


「‥‥‥‥」


「ほんとっ、お前には参ったよ。力でも頭脳でもあたしはお前に勝てないんだもん‥‥参った、参った」


「‥‥‥‥」


「だから、お前に最後の課題を出すことにした。今から、学園の女の子の中から1人、ノーブラで過ごしてもらう。官能乙一はノーブラの女の子を探しだして、さっきやってみせたようにブラジャーをつけなくてはならない。なお、課題はお前が卒業するまでの期間、継続して実施することにする」


 学園さまの意味不明な言葉にたまらず死異子が声をあげる。


「さっきから、何をふざけたことを! 兄さん、こいつなんなの?」


 死異子の長い髪がウニョウニョをうごめいて、校則違反アンチルールを発動させるための態勢をとる。


「官能死異子、落ち着けって。乙一は了承したぞ」


 ずっと沈黙している乙一が首をたてにふっていた。


「もうっ、兄さんなんなの! 意味わかんないっ!」


 死異子がそう叫ぶと、学園さまと名乗った少女は「フンッ」と鼻息を吐き捨て消えていなくなった。

 乙一に事情を聞き出そうと「兄さん‥‥」と口にしたが、秘密主義の兄が簡単に教えてくれるはずないと思い至り、


「三輪、いつまでお腹をだしているのよ。早く上を着なさい」


 ひとつ上の姉にむかってそう言った。


「‥‥お兄ちゃん‥‥好きぃ‥‥」


 どこか夢見心地の三輪が瞳を潤ませているから、死異子はもう一度思いきり、だらしないお腹を叩いたのであった。


「いたっ!」


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