表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

第十八章 捕虜と救出

 日が高くなるにつれ、周囲に立ち込めていた山霧が徐々に薄まってきた。

 馬一頭がようやく進めるほどの狭い山道に、パカパカとのどかな蹄の音が響く。

 しんとした秋の朝の空気は冷たくも清々しかったが、アリーシャの心境はその爽やかさとは全くかけ離れたものだった。


「本当に、ご無事でなによりです」


 背後から聞こえた物柔らかなその声に、アリーシャは冷ややかな眼差しを向けた。

 本来であれば身体ごと向き直りたかったのだが、生憎ここは馬の背の上である。なんせ、現在自分は両手を背中に回されて縛られている上、その体を抱きかかえられているという体勢なのだ。

 必然的に、アリーシャが後ろを見ようとするならばこうして首を傾けざるを得ない。


(と言っても、別に見たい顔でもないんだけど)


 それでも、無防備に後ろを預けるような信頼なぞ全くない相手なので、どうしても気になってしまうのは致し方のないことだった。

 アリーシャの視線に、同乗している男は柔和な笑みを向けて来る。

 その若草色の瞳は、一見するとどこまでも優しげだ。だがその目に映り込んだ己の姿に、アリーシャの背筋をぞくぞくとした寒気が走り抜ける。

 服の下なので直接見ることはできないが、確実に腕には凄まじい鳥肌が立っていることだろう。


(よくもまあ、白々しい台詞を言えたもんだわ)


 三人がかりで昨夜アリーシャを昏倒させておきながら、その相手に無事も何もないだろうに。


「このような形でご案内することになり、申し訳ございません。山を下りた後でしたら、馬車にお乗りいただけますので」


 アリーシャは答えなかった。

 自分を拘束しているこの男は勿論だが、自分たちを挟んで更に二人の騎手がいるのだ。前に一人、そして後ろに一人。

 どちらも無言だが、彼らがアリーシャの言動に細心の注意を払っていることに間違いはない。そうである以上、迂闊な発言は慎むべきだ。

 しかしそんなアリーシャの深慮は、即座に押し退けられた。


「ご両親も貴女の身をひどく案じておられましたよ。だから、急ぎ王都に向かいます」


 聞き捨てならないその言葉に、アリーシャはそれまで閉ざしていた口を開く。


「それはどういう意味かしら、シェド・ファリオン卿。私を連れ戻すように貴方に命じたのは王太子殿下ではないの?」


 それだけではなく、途次で置き去りにしてきた騎士たちを差配したのも父やこの男だろう。

 それは想定内だったにしても――。


(お父様が手出ししてくるかもしれないとは思ってたけど、どうしてここでお母様が出て来るのよ?)


 見られていると分かっていても、アリーシャは顔が歪むのを止められなかった。

 父がアリーシャの妨害をしてくる可能性は頭に入れていたが、正直母の存在は想定外である。


「勿論、王太子妃殿下は貴女がこんな危険な土地にいらっしゃることなど御存じありませんよ。ですが、至急貴女にお伝えすべき話が持ち上がったものですから」


 何故だろうか、シェドの話にアリーシャの胸の奥がさっと冷えた。


「オイヴァのカストーリア公爵家より、貴女との婚姻の申し入れがありました。そのことを聞いた王太子妃殿下はひどくお喜びで、即座にお受けになられたいご様子でしたね。ですが、肝心の貴女が不在では、話を進ませようがないですから。取り急ぎ戻って来て欲しいとのことです」

「…………………………………………………」


 そこで、アリーシャは言葉を失った。


 これは一体何なんだろうか。突っ込みを入れるべきところが多すぎて、もう何も言えない。

 祖父が母に対して、アリーシャの行動を教えなかったことに異論はない。戦になるかならないかの瀬戸際という今の状況について、話せる相手は限られている。その中にあの母が含まれないのは当然だ。

 だから、アリーシャが何処で何をしているのかを知らされていない母が、降って湧いたこの縁談に目の色を変えるのは、まあ分からないでもない。

 分からなくはないが、それでも、だ。


「この状況でオイヴァの高位貴族からの申し出なんて、罠以外の何でもないでしょうに」


 苦い口調で零したアリーシャに、シェドはにこやかな調子を崩さない。


「ですが、アレクシス殿下はそう思われてはおりませんよ。なんせ貴女が嫁ぐのであれば、両国はモラヴィアだけで手を引くとのことですし」

「何を馬鹿なことを。モラヴィア一つで収まるわけがないでしょう!?」


 そんな甘い相手ではないとアリーシャは声を荒げたが、シェドは動じなかった。


「前線を後退させて正規軍を出せば可能な話ですよ。元々モラヴィアは不穏分子でした。高い捨て石となりますが、国内の引き締めの役には立つでしょう」


 アリーシャは思わず唇を噛み締めた。シェドを睨み付け、吐き捨てるように言う。


「ふざけるんじゃないわよ。よくそんな与太話を言えたものね」

「いいえ、これは他でもない貴女様の父君が決められたことですよ」


 若草色の双眸が、駄々をこねる子供を見るように細められる。


「だから何だと言うの。陛下の決断に異を唱えられるような地位に、父がいつ就いたというのよ」


 まだただの王太子の身でしかないというのに、思い上がりも甚だしい。

 怒りのあまり、アリーシャが声を震わせた、そのとき。

 がさっ、がさがさっ!

 唐突な物音に、急いで視線を巡らせるアリーシャの頭上から、得体のしれない影が降ってきた。

 そのままばさりと広がった何かに、全身を絡め取られる。身をよじって確認すると、網のような物がアリーシャと、そしてシェドを巻き込むように包んでいた。


「――――――――――――っ!?」


 己の置かれている現状に、一瞬頭が追い付かない。

 不意打ちのことに目を見張るアリーシャの耳に、聞き覚えのない声が届いたのは次の瞬間だった。


「よくもまあ、そこまで自分にとって都合のいい妄想ができたものですね」


 アリーシャははっと顔を上げた。

 そこには見覚えのある一人の青年と、間違いなく初対面である二人の男性。それと何がどうしてそうなったのか、地面にはシェドの連れていた配下二人が倒れている。


「……え……?」


 アリーシャはぽかんと口を開けた。黒髪と金褐色の瞳の青年。彼とは一度だけ、出会ったことがある。それも、他ならぬこの山で。

 呆然とするその横で、シェドが叫んだ。


「何なんだ、おまえたちは!」


 捕獲された魚のようじたばたと暴れる彼を、二人の男が手早く拘束していく。

 傍らのその騒ぎには一切目をくれることなく、黒髪の青年はアリーシャの前に跪いた。

 そして、アリーシャに絡んでいた網をほどきながら言う。


「手荒な真似をしてしまい、申し訳ございません」


 アリーシャが差し伸べられた手を取って立ち上がると、彼は深々と一礼した。


「トリスレード辺境伯の指示により、お迎えに上がりました。私はユリウス・クレイと申します。そして、こちらの二人はディオル・スタンとガーフィー・リンド。皆、トリスレード伯に仕えております」


 お手本のような優雅な礼に、アリーシャも穏やかな微笑で答えた。


「お忙しい中を来て下さり、ありがとうございます。アリーシャ・エレネス・ランセルです」


 とはいえ、心の中では完全な冷や汗ものだ。


(本当に城塞の方はてんてこ舞いだろうに、余計な手間をかけさせてすみません!)


 彼らがいつ発ったのかは分からないが、こんな時間にここにいるということは、もしかしたら一晩中自分を探しまわっていたのかもしれない。

 顔が引き攣りそうになるのをどうにか堪えつつ、アリーシャは内心で力一杯弁護した。


(いや、私だってすぐに山を下りたかったんだけど。でも、シェドたちに捕まって気絶させられてたから、その間は全く動けなかったし)


 だが、隙をつかれて捕らえられたとはいえ、彼らに多大な迷惑をかけたという事実に何ら変わりはない。

 すみませんすみません、とアリーシャが胸の内で平謝りしているうちに、父の配下である三人は綺麗に縛り上げられていた。

 そうして気づいたが、いつの間にかシェドが静かになっている。改めて視線を向けると、どうやら気を失っているようだった。正確には、気を失わされたというのが正しいのだろう。

 アリーシャはようやく自由になった腕を軽く振り、瞳を眇めて空を見上げた。

 随分と時間を浪費してしまった。だからこそ、急がなければならない。


「それでは、クレイ殿。城塞の様子についてお聞かせいただけますか?」


 アリーシャの問いかけに、ユリウスはどこか謎めいた笑みを浮かべた。




 木々の隙間から、そびえ立つ砦とその周りを囲むきらめく水が見えて来た。

 アリーシャは馬を走らせながら、次第に近づいて来たモラヴィアの城塞に目を凝らす。

 その横には、ユリウスがぴたりとついている。可能な限りの速度で急ぐアリーシャに、彼が遅れる素振りはない。

 ちなみにここに、ディオル・スタンとガーフィー・リンドの姿はなかった。

 それには深くはないが浅くもない理由がある。

 それはひとえに、シェドを含めた三人の存在ゆえだった。彼らはあれでもアナトールでもそれなりに高位の貴族家の出である。それも王宮内ではある程度の要職に就いている身だ。

 ケンティフォリアの兵がどこに潜んでいるやもしれぬゲド山の中に放置するわけにはいかないし、かといって縛ったまま連れて行くのも足手まといである。

 そんなこんなの事情ゆえに、ディオルとガーフィーには彼らの身柄を任せざるを得なかったのだ。

 己の故郷に危険が迫る今、彼らなんぞに構ってはいられないだろうに、つくづく申し訳ない。


(それにしても、どうしてあのひとはこう、ろくでもないことばかりするんだか……)


 アリーシャは思い浮かべた実父の顔に肩を落とした。

 国王から託されたアリーシャの任務を妨害するということが、どういう意味を持っているのか分かっているのだろうか。


(いや、分かってたらこんなことはしないか)


 確かに父は現王の実の息子であり王太子だ。でも、同時にそれだけなのである。

 最高権力者の判断を覆せるような権限など、何一つとしてありはしないのだ。


(けど、どうしてかお祖父様の実権の一部が自分にあると思ってるのよね……。ほんと、一体どうしてそんな思考になるのよ)


 権利には義務を伴うし、失敗したら責を問われる。しかしあの父にはそんな覚悟などないだろう。……そもそも、そんな責務があるという認識すらないかもしれない。


(今更だけど、クレメンティーナ様との婚約を破棄したときに、きちんとけじめをつけておくべきだったわよね)


 王家の面子を保つためとはいえ、当時の一件をなあなあで誤魔化してしまったつけがここで回ってきた。

 他の者には許されないことであっても、自分だけは例外であるという間違った認識をさせてしまった結果がこれだ。

 だから、かつてのセーガン侯爵令嬢今ではトリスレード辺境伯夫人が王家との没交渉を選択したのはよく分かる。


(でも、だからって、それがモラヴィアを捨て石にする理由になんてならないでしょうが!)


 うっかり舌打ちをしそうな気持ちをどうにか抑えつつ、アリーシャは努めて落ち着いた声を出した。


「クレイ殿は、〈壁〉についてはどの程度ご存じなのですか」


 質問の意図がきちんと伝わるように、アリーシャは言葉を選びつつ続けた。


「効果がある程の水位になるまで、二日か二日半近くかかるかと私は踏んでいたのですが、山の上で見て来た水量は思いのほか多かったんです。だから、皆様の判断についてはどうだったのかをお尋ねしたくて」

「……ええ、俺もそのように聞き及んでおります。ですがここから見た限りだと、想像以上に水が上がるのが早いようですね」


 その意見には、アリーシャも賛成だった。

 この分だと、深いところではアリーシャの腰の高さくらいまで水位があるかもしれない。

 幸いにも、水門は一定まで水量が減少すれば後は勝手に閉鎖されるようになっているので、際限なく水が流れ込む心配はないのだが。


「……それはそれでいいんだけれど、私たちはどうやって城塞に入ればいいのかしらね」


 無論、落ちついて進めば溺れる程の水位ではないので、そういった意味での問題はない。

 単に、別の懸念があるというだけの話で。


(さすがに、門前払いをされるということはないと思いたいんだけども)


 しかし、これまでの己の父親の言動を鑑みると、それが杞憂とは思えないのも事実だった。




 ようやく辿り着いた城下町を走り抜け、城塞を囲む街道に出たアリーシャは、間近で目にしたその光景に息を呑んだ。


「…………っ!」


 下書きされた図案こそ眺めたことはあったが、やはり実際にこうして目の当たりにするのとではとてつもない開きがある。

 これは、紛れもなく濠だ。そもそもここが道であるなど、言われなければ信じられないだろう。

 そして、アリーシャはそびえ立つ城塞を見上げ、次いで大きく目を見開いた。


「……え?」


 矢を射かけるための小さな窓の向こうから、人影がこちらを見下ろしている。

 これでも結構視力がいいアリーシャには、その人物が誰なのかすぐに分かった。


「エリー!?」


 小さく叫んだアリーシャに、ユリウスが驚いた顔を向ける。


「それは、ウィズリー将軍のご子息ですか? 貴女に同行されたという……」


 呆然としながらアリーシャが頷く合間に、視線の先にいたその影は即行で動きだした。

 一瞬で見えなくなったその様子を見て、アリーシャはちょっと思案する。


「この場合、私たちはどちらに向かうのが妥当でしょうか」


 そう尋ねつつ、アリーシャは同時にどうして彼がここにいるのかとも考えていた。

 とはいえ、それを本人に問いかける前に、アリーシャには対面しなければならない相手がいるのだが。

 そうこうしている間に、城門に続く跳ね端がゆっくりと下ろされて行く音が聞こえて来た。

 向かい側に覗く姿に、アリーシャは思わず一度瞬く。……いや、ここにこの顔があるのは当然だ。むしろ、彼がここにいない方が問題である。

 それでも、昨日見たばかりのそれが、随分久方ぶりのように感じられたのはどうしてだろう。


「姫! ユリウス!」


 安堵と怒りのないまぜになった表情を浮かべ、カーライルがこちらへと駆け寄ってきた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ