そんなことしなくても
僕は時間を巻き戻すことができる腕時計を持っている。きっと誰が聞いても「そんなの法螺話だ」と言うだろう。
見た目は至って普通。デジタル時計で、色は黒が主となっていて、時間の巻き戻し方も簡単な操作でできる。
巻き戻せる時間は20分〜30分。
なぜ持っているのか、だとか、他にもなにかできるのか、などの疑問が浮かぶだろうが話が長くなってしまうため後回しにしようと思う。
なぜなら今、こんな話をベラベラ話している暇など全く無いからだ。
現在地は東京渋谷駅前のスターバックスコーヒー、略してスタバの店の中。
相変わらずカップルや友達同士と、僕と同じような若者ばかりだ。
一緒にお茶をしにきた、付き合ってから2年ほど経つ恋人の彼女と、向かい合うように座っている。
「やっぱりダークモカチップだよね〜、ほんとに美味しい。」
そう言いながら、リップグロスの塗られた艶のある唇で紙ストローを咥え、ダークモカチップフラペチーノを美味しそうに飲む彼女。
「そうだね」と愛想良く返す僕。
彼女の指には僕とのペアリング。
腕にはデジタルの腕時計。
腕時計のパステルカラーがよく似合っているように思う。
鞄も水色のパステルカラーの物を使用していて、彼女に以前、パステルカラーが好きなのかを聞いたとき「うん、大好き」と答えてくれたことがあった。
彼女を眺めながらぽかんとしていると、
「ねえ、話ってなに?なんかあったの?」
そう聞かれてはっとする。
そうだ、今日は彼女に結婚のプロポーズをする予定なのだ。
「そうそう、話があってさ。」
そう言ってから、少し間が空く。すると彼女は不思議に思ったのか「どうしたの?」と首を傾げる。
「その、あの。僕と、ぼくと、その、」
言葉が詰まる。ダサい、ダサすぎる。
「ごめん、ちょっと待ってね。」
そう言って、腕時計を操作し、5分時間を戻した。
情けない。けれどスムーズに、プロポーズの時くらいは格好良くありたい。これだけは譲れない。
時間を戻すと、彼女は「ねえ、話ってなに?なんかあったの?」と僕に声をかけた。
先程の同じように返した。
そしてついに、僕はあの言葉を言おうとする。
「いつも、いつも感謝しててさ。ま、まずは、あ、りがとうを伝えたくて、、?」
僕はため息をついた。何を言っているんだ一体。
そう思って、時間を戻した。
その後、何度もやり直した。
7回目、時間を戻そうとしたとき。
『ねえ、話ってなに?なんかあったの?』と僕に質問をするのではなく、「ねえ、」と彼女が今までとは違う言動をとった。
別に今までこの時計を使っていてそういったこと(時間を巻き戻してから違う行動をとること)が無かったわけではないが、珍しいもので、少し驚いてしまった。
「う、うん。」
少し驚きながらもそう答える。
「もう巻き戻すのやめない?」
・・・。何を言っているのか理解もできずただ無言で彼女を見つめる。
やっと話そう、という気になるも理解は追いついていない。
「どういうこと…?」
とりあえず、そう聞く。
『巻き戻す』という言葉を聞けば真っ先に自分が持っている時計が頭に浮かんだ。
だが彼女が知っているわけないはずだ。はずなのに、不安になる。
何度も何度も時間を巻き戻し、結婚の告白をやり直すなんて、無理だ。恥ずかしい。
そうだ、もう一度時間を巻き戻してみよう。
なんでも挑戦が一番。なんて言葉を自分に投げかけ、少しでも焦っている自分を安心させようとした。
そんなことを考えていると、
「どういうことって、そのままだよ。」
やはりバレているのだろうか。大丈夫だ。
まだ間に合う。結婚の告白はかっこよく、真面目に思い出に残るように、完璧に終えたいんだ。
時計に触れる。巻き戻そうと、指を小さなボタンの上に置く。
すると彼女が不意に僕の手を掴み「聞いてた?人の話」と、呆れたように言った。
「私ね。同じ機能の時計、持ってるの。」
・・・。まただ。また理解が追いつかない。
僕だけが持っていると思っていた、あの時計を?なんて疑問が浮かぶ。
だがそんなことよりももっと、もっともっと大事なことがある。
告白だ。大事なプロポーズ。
やり直していることが全てバレていたのだ。なんて情けない。自分が嫌になる。
彼女に返答もせず、ただ下を向き俯く。
こんな時でさえ、ピシッとできない。
「ねえ」弱りきって、俯いている僕にそう声をかける彼女。
「うん」小声で弱々しく返す。
「巻き戻さなくたって、どんなプロポーズだって。受け入れるよ。全部。ダサくたって、かっこよくたって、私の返事は変わらないよ。」
笑った。彼女は優しく微笑んだ。
今。今プロポーズをしよう。
地球で1番おっきな愛を伝えられるような告白を。
「ダサいし、かっこよくないし、告白だって何回もやり直すような奴だけどさ。あなたのことが好きです。」
思っていることをつらつらと伝えた。
さっきはこんなに言葉がスムーズに出てくることはなかったのに。
なんだか、自分がリラックスしているように感じる。
口を開いた。無論、笑顔で。
そして、最後の一言、
「僕と結婚してください」
「はい。もちろん」
妻と共に暮らす家のリビングのカウンター席。
カウンターの端には、パステルカラーのピンクと、パステルカラーのブルーの色のシンプルな時計が2つ並んでいる。
新しい時計だ。もう巻き戻さなくても、情けなくても、ダサくても、隣にいてくれる人がいる。