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8年越しの自分の気持ち

「その後、いかがですか」


名波は淹れたての日本茶をテーブルに置きながら俺に尋ねた。


「おそらく、あなたの予想通りだよ」


「そう、ですか」


名波は訳知りのように言葉を釘って、相づちを打った。


「なぁ、これは浮気なのか?本当に夢の中の体験なのか?俺は妻を裏切ったのか?」


からだに絶妙にフィットする椅子の上で、俺は名波に詰め寄った。


「浮気の解釈は、人によって様々です。手を繋いだことを浮気だと言う人もいれば、からだの関係を持ってはじめて浮気だと言う人もいます。また、相手に好意を持った時点で浮気だと判断される人もいるので、一概には結論付けられません」


「じゃあ俺は、どうすればいいんだ?妻とよりは戻せるのか?西山とはこれからどうしたらいい?」


「それは」


と名波は言葉を区切って続けた。


「あなたがどうしたいかよって変わると思います。私が言えるのは、私が提供したあの時間は現実であることは変わりません。脳内の中でのみ繰り広げられた時間で、あなたはその間この椅子に座っていましたし、お相手の西山さんもタイミングよく寝ていらっしゃいました。でも、実際にあなたは西山さんとは“そうした行為”をしていません。証拠はあなたと私、そして西山さんの中の記憶でしかありません。夢だと割りきってしまってもよいですし、現実だと思って胸の中で思い出として暖めてもよいのです」


「俺は、妻とよりを戻したい」


唯一俺を愛してくれる彼女をこれから大切にしたい。


「それであれば、奥さんのところにいくべきではないでしょうか」


そして、名波は話を続ける。


「浮気には、二種類存在すると思います。ひとつは、からだの浮気。もうひとつは、心の浮気です。からだの浮気は確実に証拠になり、消すことができないものです。しかし、心の浮気は目には見えない。だからこそ、自分の内側に留めておけば、留めておきさえすれば、自分だけが幸せになれます。私のこの能力は、その心の浮気とからだの浮気の中間にあるものだと思っています。どちらにも属さない、しかし、どちらにも属すことができる。それはあなた次第です。あなたが浮気だと思えば浮気になり、ただの白昼夢だと思えばなかったことになる。自由だからこそ、判断の責任はあなたにあるのです」


名波の言ったことを俺は心の中で反芻しながら、自分はどちら側にいるのかを考えた。


俺は、妻とよりを戻したい。


そのはずだ。


しかし、こんなにも西山が気になるのは、やはり夢でも一夜を共にしたからだ。


でも、なかったことにできる。


なぜならば、この体験は俺だけの物だからだ。


「ただ、闇雲に何の説明もなしに、私の能力を体験させてしまったことについては、私にも責任があります。ですから、このことは、いっしょに“解決”させてください。これから、またあなたが望む人と夢の中で会わせることができます。それは、あなたが望む人です。いくら奥さんに会いたいと口で言っても、心で西山さんを思っていると、夢の中で会うことはできません。逆もしかりです。」


名波は続ける。


「これは夢なので、もちろん現実ではありません。失敗もできます。あなたにとっては、唯一許された失敗です。しかし、相手の記憶には残ります。それは現実です。それだけは、伝えておきます。それでは、参りましょう。失敗が許される夢の世界へ。あなたが望むのは誰ですか」


名波はまた前と同じように俺の上に股がり、顔を近づけ、両手で俺の顔を挟んだ。


「俺が、望む人」


そう言うやいなや、俺は力なく一瞬で現実から意識を手離した。











夢の中だという意識の中で目覚めたのは、どこかの大学のキャンパスのようだった。


しかし、よくよく見てみると、見覚えがあった。


雨で打たれて廃れたコンクリートの校舎、低予算で作られた食堂前の壁噴水、無造作に置かれた大量の自転車の駐輪場。


「ここは…」


そうだ、俺の通っている大学だ。


20代前半の若々しい人々が、楽しげに会話をしながら、何人も俺の前を行き交っている。


そんな活気溢れる中で、俺は廃れたスーツを着て、髪はボサボサで、明らかに浮いた格好をしているが、周りはそんな俺には一瞥もくべずにすぐ脇を通りすぎていく。


新緑が生き生きと繁るキャンパスの中、今は春が過ぎた5月あたりだろうか。


「丸山くん」


後ろから俺の名前を呼ぶ若々しい女の声がする。


こんなところで俺を知る奴なんていないと、そのままその声を無視し続けていると、くいっとジャケットの袖を後ろから引かれた。


「ねぇ、丸山くんってば」


振り替えるとそこには、黒髪を肩まで伸ばした小柄で色白な少女が立っていた。


「丸山くん行こうよ。西山さんが待ってるよ」


「え、あ、ちょっと…」


その少女は、俺の制止を軽々と交わして、なんの気もないように俺の手を右手を引いて先頭を歩いていく。


ふわふわと歩く度に風に揺れるそのボブカットの髪型は、もう何度も、何年も目にして来た。


それに後ろ姿は、それこそ、正面の顔よりも何倍も何十倍も見てきた。


「加奈…なのか?」


「え?どうしたの?丸山くん、昨日飲みすぎた?酔っぱらってる?」


振り替えるその少女は、俺の言ったことに少しだけ疑問を感じたものの、すぐに忘れて目的地に向かおうとした。


紛れもない。


いま、俺たちが通っていた大学のキャンパスで手を引くその少女は、俺の妻、丸山加奈である。


当時は遠野という名字だったが、加奈はなぜか自分の名字をひどく嫌っているようで、友達だけではなく学校の先生に対しても下の名前で呼ばせていたことを思い出した。


「西山さん、先に食堂の席を取ってくれてるみたいだから、急ごう。昼時に席取りしちゃうと、他の生徒から白い目で見られるし、何より西山さんに迷惑かけたくないしね。只でさえ、キャンパスの花の人なんだから」


加奈はそう言って、器用に人混みを掻き分けて、昼時に賑わう食堂に俺を誘った。






食堂は生徒たちの熱気で溢れ返っていた。


生徒数よりも食堂の席の方が少ないこの俺が通っていた大学では、昼時の席取り合戦がある意味で恒例になっていた。


いかにして席を取るのかで、貴重な昼休みの時間の使い方が変わるのだ。


「あ、いたいた!西山さーん!」


加奈は何度かキョロキョロと人の姿で席すら見えないような食堂の中を見渡したあとに、西山の姿を見つけたのか、さっきまで繋いでいた俺の手を離して、その席へと向かっていった。


俺は加奈に置いていかれないように、必死で着いていった。


「西山さん、席とっていただいてありがとうございます。すみませんでした」


「いいよ、私もうほとんど履修終わっていて暇だから、寧ろ加奈ちゃんに誘ってもらえて嬉しいよ。普通は一人で家でお昼だからさ。みんなで食べるとやっぱり美味しいし楽しいよね」


周りがいくらざわついても分かる。


この声は、“あの西山”だ。


ほんの数日前、東京のホテルで西山と俺は男女の関係になった。


しかしそれは夢の中の出来事であり、大学を卒業して8年にもなってからだ。


この状況から察するに、西山と俺はまだ大学を卒業していない学部生であり、俺たちは“非現実的にも”関係を結んでいない。


まだ真っ白な関係だと思えば、自然と西山の方に視線を送ることができた。


四人がけのテーブル席のひとつに座る美少女、大学生の西山は長いロングヘアを背中に豊かに流して、誰もが見とれてしまうその美貌を惜しげもなく顕していた。


西山の真後ろの席の男子生徒たちは、西山に好意があるようで、なんとか隠れながらちらちらと西山に視線を送っていたり、隠れて写真を撮ろうとしている。


そうだ、西山は居ながらにして美人の女性なのだ。


「さ、ごはん食べましょう~。今日は加奈が作ってきたんですよ。西山さんが好きなオムライスにしました。じゃーん!丸山くんのもあるから、さぁ、はやく座って。冷めないうちに」


加奈が自然と西山のとなりに座ったので、俺は向かい側の加奈の真ん前に腰かけた。


あの頃の西山がいる。


タイムスリップをしている気分だった。


まだ就職のことも将来のことも何も考えていない、二人でバイトに明け暮れていたあの時代に戻ってきた。


しかし、加奈がいるということは、少なからず俺は西山から加奈を紹介され、もしかしたらすでに付き合っているのかもしれない。


俺が時代を把握している間に、西山と加奈は親しげに会話を弾ませながら、目の前のオムライスを頬張っていた。


そうだ、俺は、ずっと西山が好きだったんだ。


特別な存在である西山が、俺を特別に扱ってくれるのは、お互いの趣味が講じたことかもしれないが、唯一の存在だった。


その大きすぎる存在故に、俺は自ら西山を手放した。


その代わりに、西山が俺に加奈をくれたのだとそう思うようにして、生きてきた。


俺は自分の気持ちに気づかないように、自分が傷つかないように生きてきたんだ。


だから、加奈を紹介されたときは、もうどんな気持ちだったから言葉では言い表せないし、ショックだったんなんてそんな言葉では片付けられないほど、地に落ちた。


遠回しで、「あなたことは好きじゃない」と言われている気がして、少しでも西山に嫌われたくなくて、加奈との交際を受け入れたんだ。


全ては、西山のためだったんだ。


いまも、そしてこれからも。


俺は加奈と結婚してしまった。


だが、もしかしたら、加奈を幸せにすることは、西山、お前を幸せにすることかもしれない。


俺は賑やかすぎる程の食堂の中で、一人涙を流しながら西山を見つめた。


「え!丸山くん、どうしたの?」


西山が俺の涙に気がつくと、すぐに持っていたハンカチで俺の涙を拭ってくれた。


これは、夢だ。


だから、許されるかもしれない。


「なぁ、西山。俺さ、ずっとお前が好きだったんだけど、加奈と結婚してしまったんだ。素直に気持ち、伝えてたら、俺は西山と結婚できたのかな」


「なに?どうしたの丸山くん?」


西山は焦りながら、加奈に助けを求めた。


「丸山くん昨日ちょっと飲みすぎたみたいで、さっきから変なんです」


あぁ、俺はなんて間違いをしてしまったんだろう。


誰かの幸せを願った結果、自分の幸せが叶うなんてそんなご都合主義あるわけない。


俺は自分のしたことを悔やみながらも、これが夢で、せめて夢でも西山に気持ちを伝えられたことに感謝した。


そしてこの瞬間を決して忘れないようにと、ずっとずっと西山を見つめ続けた。

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