その女は俺の上に跨った
その和服の女、今回の案件の肝となる女のあとを俺は言われるがままについていった。
ターゲットとされるアパートは3階にあるが、その女は動きにくそうな着物をものともせずに、階段を静かに、そして滑らかに登っていった。
まるで足に何か魔法をかけているかのように、音もなく、また息も切らさずに階段を3回まで登るその女に少しの不気味さも感じていたが、俺は大人しくついて行った。
目的の部屋の前まで来て、女が口を開いた。
「大したお部屋ではないので、おくつろぎはできないかもしれませんが、お茶くらいは出しますね」
年齢は30代前半だろうか。
暗闇でも、少しの街頭の明かりで、ハリがある肌が反射する。
化粧は薄目で、白い肌が異様に美しく感じられ、口元にある黒子がなんとも印象的で魅惑的だった。
どこか高級クラブのホステスのようにも見えるし、もっと位の高い職業のようにも感じるし、梨園の出身と言われても納得できる物腰は、俺のペースを乱していき、その女のペースに完全に持っていくような雰囲気がある。
ガシャ、と音がして、見た目は普通のアパートのドアを開く。
俺の下調べだと、ここのアパートの家賃は一室4万円だ。
お世辞にも綺麗なアパートとは言えず、外装は蔦が張り始め、どこかかしらに日々が入っているような築30年の物件だ。
ここで行われている謎の怪しい儀式はが、俺の好きな刑事事件になることを願って、女が抑えてくれているドアの向こうに足を踏み入れた。
人一人がようやく靴を脱げるような狭い玄関から、これまた狭い通路兼キッチンが伸びており、その奥に少しだけ開けた部屋が見える。
部屋の電気はついているので、内装がはっきり分かるが、まるで物件の内乱をしているかと錯覚するくらいの物のなさと殺風景さに驚いた。
生活感が全くない。
ただあるのは、ワンルームの中にある二脚の椅子とガラステーブルだけだ。
「驚かれますよね。みなさん同じ反応をされますよ。何も物がないんですねって」
女は俺の背後から物知りげに、親しげに話かける。
この女の余裕はどこから来るのだろうか。
「さあ、奥の椅子にどうぞ。左側のベッドのような椅子におかけください。すぐお茶を入れますね」
俺は言われるがままに、ワンルームに入り、”ベッドのような椅子”に腰掛けた。
その”ベッドのような椅子”は、画像やテレビでしか見たことはがないが、まつ毛エクステンションなどの手術をする際に見るような、床屋で顔の毛を剃る時に横になるようなそんな椅子だった。
いまその椅子は、横に倒れておらず、背面は椅子のように立ち上がっており、座るとしっかりと俺の体全体を包み込んだ。
太腿やお尻、背中に感じる居心地の良さや妙なフィット感は、この椅子が決して安物ではないことを教えてくれているようだった。
「はい、どうぞ、お待たせしました。緑茶ですが、よろしければどうぞ」
目の前に入れたてのお茶が出てきた。
唯一のガラステーブルの上に置かれたお茶はうねうねと湯気を立てていた。
そういえば、ここに来てから一回も何も口にしていなかった。
しかし、俺はその日本茶に毒が入っているかもしれないという警戒心から、飲む気にな離れなかった。
ここで気持ちを入れ替えて、俺は本来の目的の話をする。
「聞かせてもらいましょうか、ここで何が行われているか」
「はい、なんでもお答えしますよ」
女は向かいの椅子に浅く腰をかけて、微笑みながら答えた。
なんなんだ、この余裕は。
見透かされているような気分だったが、俺は続けた。
「申し遅れたが、俺は群青文集で記者をやっている丸山だ。単刀直入にいうと、ここで、数年前に世間を騒がせたあの宗教団体との関係が疑われている。残党が再燃を図って、何かを企んでいるのではないかと思われている。ここを拠点として、何を始め量としている?どうなんだ?」
俺は捲し立てるように言ったが、女は少しだけ笑って、すぐに答えた。
「そんなことになっているのですね。蛇足もときには面白いことになるんですね。ちなみに、せっかく足を運んでいただいたのに申し訳ないのですが、丸山さんが期待しているようなことは、ここでは何一つ起こっていません。興信所でもなんでも調べてみてください。私は一般の家庭に生まれて、普通の会社に勤務するどこにでもいる女ですよ。無駄足になってしまいましたね」
なんだが大人が子供を馬鹿にするような言い方に聞こえた。
そうでないことはなんとなく察しがつくが、俺を面白いように弄ばれているような、そんな鼻につく言い方だった。
いままの取材では、一方的に断られることが多く、こんなきちんとした会話にはなったことがない。
だからこそ、俺は違和感を感じているのかもしれない。
それでも俺は、真実を突き止めなければいけない。
「名前は?」
「名波と申します」
「職業は?」
「今は広告代理店の事務をしています」
「ここで何をしている?」
「そうですね、平たく言えば・・・カウンセリングですかね」
「カウンティング?それが宗教的なものなんじゃないか」
俺がどんなに強く出ても、名波という女はまったくひるむことはなかった。
「そう言われてしまうと、世の中の全てのカウンセリングがすべて宗教に該当してしまいます。別に私は何かお布施をもらったり、教祖の教えを普及したり、信者を増やすいようなことは一切していませんよ。ただ、女性のお話を聞いて、彼女たちが気持ちを整理できるようにお手伝いをしているのです」
「御託はいい。何をしているのか、俺にやってみてくれ。さっき、下で”客”と名乗った女と同じことを今俺にできるか」
どうだ、やってみろと俺は体を前のめりにして、名波に食いかかった。
名波は一瞬だけ言葉に迷うようなそぶりを見せた。
ほらみろ、黒だ。
ここでは、世間に見せれられないようなことをしている。
このまま尻尾を掴んでやる。
「普段は、女性の方のみなのです。男性は、私も経験がないものですから」
名波は戸惑うように、目線を下に泳がせた。
「失礼なことを伺いますが、あなたはご結婚なさっているのですね」
名波の目線が俺の左手の薬指に動く。
「それがなんだっていうんだ」
「そうなると、いささか話がややこしくなるのですが、致し方ないですね」
名波は戸惑うように言葉を選びながら話しているように感じた。
「本当に、”お望み”なのですね」
嫌に真剣で色気がある目を俺に向けた。
何か意味ありげな言い方だ。
でも俺は、ここで引き下がるわけにはいかない。
名声を上げて、全てを掴むのだ。
「ああ、やってみてくれ」
俺は、体をすっぽりと包み込む高級な椅子に体全身を委ねて、偉そうにのけぞった。
「”お望み”なのでしたら、仕方がないですね」
名波は、ゆっくりと立ち上がり、すっと着物のシワを片手で伸ばして、俺の前に立った。
これから、何が始まるのか。
宗教団体なのであれば、何かの暗示をするのか。
それとも祈祷を始めるのか。
しかし、現実は違った。
ガクンっと急に俺が座っている椅子の背もたれが倒れた。
「お、おい、なんだよ、急に」
俺は自動で倒れる椅子の背もたれから体を起こそうと、両手で体のバランスをとった。
その瞬間、俺の足を抑える何かを感じた。
「それでは、始めます」
名波は大胆に着物の裾を広げて、俺に馬乗りになるようにまたがっていた。
白い太腿が目に入り、俺はドキリと鼓動を高鳴らせた。
「私と、”浮気”を始めましょう」
「う、浮気・・・?」
俺は訳もわからず、今俺を眼下に見下ろす初対面の女の行動に息を呑んでいた。
名波は、俺の上に完全に膝立ちで乗り、ゆっくりと体を倒してきた。
「あなたの浮気、叶えます」
そう言われたのは、本当に俺の耳元のすぐそばだった。
俺は、体の力が抜けて、意識がどんどんと遠のいていき、頭が真っ白になっていく感覚だけが残って、気を失った。




