第99話 リセット ACT10
そう駄目、自分に負けちゃ。自分に負けたらそれで終わりなんだから。
流されたくない。
私には今、私を待ってくれている人たちがいる。
ブラウスのボタンがはだかれ、ブラを迫り上げられそうになった。
「嫌!! やめて!!」
必死に抵抗した。
「何を今さらまたそんなに暴れるんだ。おとなしくしろ」
手を払いのけ、ドアを開けカバンを放り出し外に飛び出した。
とっさにカバンを拾い山道から外れたこの小道を走った。
あと少し、あと少し行けば山道に出る。
そうすれば……。
ごめん浩太さん。でも私、流されたくない。また前の様に流されて受け入れたくないものを、何も感じず受け入れてしまうのはもう嫌だ。
あの何もなくなった私を、陽のあたるところに、必死に引き上げてくれた先生の思いを無駄にしたくない。
私を車が追ってくる。
あと少しだ。もう少しだそう思った時、一瞬にして私の視界から景色が消えた。
がさがさとけたたましい音が鳴り響いた。
痛い。体中に痛みが走る。びりびりと服が切れる音がする。その後私は暗闇の中に包まれた。
繭の行方が分からなくなって、もう十時間が過ぎていた。
街中を探し回ったが繭の行方は分からないままだ。
繭も高校生だ、幼い子が突如いなくなったわけではない。ただ繭は無断でバイトを休んだり、突如連絡を絶つような奴じゃない。そんないい加減な奴じゃないからこそ余計に心配なんだ。
杜木村さんを通じて繭の担任にも連絡を入れた。
有菜の所にも行っていなかった。
俺が思い当たる繭の関係者はあと……父親だと俺に名乗ったあの美山専務だけだ。
だが、私用で顧客に連絡を入れるのも……それにもし、美山専務の所にいるのなら、親元の所にいるのなら……俺がしゃしゃり出ることじゃない。しかし、あの美山専務の事を思い出すごとに、俺の胸の中はざわめきを覚えていた。
その時だった。
俺のスマホが鳴り響いた。
発信元は……、昭島奈々枝。姉貴からだった。
◇◇◇ One’s Hope 一つだけの願い ACT0
ランデブーポイントに到着。救急車で搬送されてきた彼女はすでに意識はなかった。
「GCS E1、V1、M1」
「挿管するよ」
「はい」
顎を上向きにさせ、口を開きブレードを差し込む「チューブ」滅菌されたチューブをブレードで広げた咽頭部から気管支へと挿入する。
「アンビューで行くよ」
シューと肺に空気が送り込まれるのを確認して「よし、それじゃ乗せよう」
「ちょっと窮屈だけど我慢して」
例え意識がなくともしっかりと向き合うために話しかける。
ヘリのローターが高速回転に変わり機体が浮上し始めた。
ヘッドフォンをしていてもごうごうと風を切る音が聞こえてくる。
輸液もう少し早めに行こう。瞳孔反射が少しづつ弱くなってきている。
「あと10分で到着する」
ヘッドフォンからパイロットからの到着までの時間が聞こえた。
「了解」
「10分か……。それまでもってくれればいいが」
救命医は力なくつぶやいた。
ヘリのローターが巻き起こす風が地面から跳ね返り、黄色のガウンをたなびかせる。
着陸し、ローターが急速にその音を沈めていくのを訊きながら、後部ハッチが開くのと同時にストレッチャーを外に押し込む。
城環越大学付属病院高度救命医療センターへ到着した。
「GCS依然。E1、V1、M1……」
「はい移すよ。イチ、ニ、サン」ストレッチャーから処置術台へ移動させる。
看護師が「ごめんねぇ、服切るよ」と言い、ボロボロになった服を切っていく。
「ライン取って」
「バイタル120-76。心拍66」
ピッピッと心電図モニターの音が反映する。
「これは酷いなぁ。脳外の石見下先生はまだオペ終わらないのか?」
救命医が頭部を見て言った。頭部に巻かれた包帯から血が滲み出ていた。
「遅くなってすみません。状況は?」
一つのオペを終わらせ、ERへと駆け込んできた女医は、すぐに瞳孔を確認し「んーちょっと危ないわね。エコ―準備、ここでドレナージします。あとオペ室抑えておいて」と、有無を言わさず指示を出す。
「大丈夫ですか石見下先生? 今さっきオペ終わらせてきたばかりじゃないですか」
「そんなこと言ってられないでしょ。ん? この子どこかで見たことある気がするんだけど? あっそうだ、まどかちゃん友達って言っていた子だ。可愛い子だったから覚えているよ。だったらなおさら私が受け持たなきゃ。ごめん、あの人に繋げてくれる?」
そう言いながらも彼女の手は止まらない。素早く出血個所を見切、処置を施す。
「ふぅ、なんとかこれで当座時間は稼げるわ。CTの後そのままオペ室へ」
この時、私は夢を見ていた。
お母さんがにこやかに私を抱いている。その横にはお父さんの顔がある。
何だろうとても懐かしい、そしてとても温かい。
私死んじゃったのかなぁ。
ようやくお父さんとお母さんと一緒になれる。
「ただいまお父さん、お母さん」
「繭、お帰り。でもあなたはここは帰れないのよ」
どうして? 私赤ちゃんに戻ったんでしょ。一人でなんか生きていけないよ。
赤ちゃん? 私は何故赤ちゃんに戻ったんだろう。
違う、私は赤ちゃんなんかじゃない。
成長してたんだ私。もう大人になったんだ。だけど、なんだか違うような気がするけど……。
あれぇ、お父さんとお母さんが消えていなくなってる。
その代わり。
誰だろう。もう一人、私の事を二人よりも温かく見つめてくれている人がいる。でもその人の姿は靄に包まれて見えない。
誰なんだろう。
私の頭を優しくなでてくれた。
姿は見えないけど、なんだか一緒にいるととても楽しい人。ちょっと? ううん本当はね凄くエッチな人なんだよ。
ゲームよくやったね。ぜ――――ンぶエッチなゲームだったけどぉ!
あっそうだみんなで焼き肉やさんにも行ったよね。
買い物にも一緒に行ったりしたね。
重かったねぇ―。何とか買ったもの放り投げずに辿り着けたねぇ。
そう言えば熱上げちゃったんだよね。
えーとそれって私だったけ? それともあなただった?
でもあなたって……誰?
何で私の傍にいるの?
「繭」
その人は私の名前を呼んで消えて行った。
え、どうしたの? どうして消えちゃうの? 消えちゃったらご飯作ってあげないよ。
ご飯?
あ、そっかぁ。ご飯よりもパンツ見たかったんだぁ。
なぁんだそう言ってくれれば。
「ほら! ほら! あ、スカートめくっちゃだめだよぉ。ホントエッチなんだよねぇ。ねぇもういいでしょ出てきてよ。……お願い。お願いだから私の前に出てきてよ……」
お願い……私の傍にいて。
誰か分からないんだけど……。
「な、何で……。何がどうなっているんだ」
「嘘、繭ちゃん。どうしちゃったの」
オペが終わりICUの中でほぼ全身を包帯で巻かれ、ベッドに横たわる繭のその姿を見た時。この光景は何かの間違いだと、俺はずっと頭の中でそう思い続けていた。
一緒に駆け付けた水瀬が、ボロボロと涙をこぼしていた。
「何でこんなことになっちゃったの。これじゃ私行けないじゃん。アメリカなんかに行けないじゃない。どうしてよ。何でよ!」
泣きじゃくる水瀬を抱きしめ俺は落ち着かせようした。だけど、俺の体は震えていた。その震えは水瀬にも伝わっているはずだ。
あの時、俺のスマホに姉貴から着信があった。
こんな時になんだよ姉貴。急ぎじゃなかったら後で掛けなおすよ。今は姉貴と会話する気分じゃねぇ。
コールを切った。
されどスマホはまた鳴り響いた。
仕方なく電話に出ると開口一番
「馬鹿たれ浩太ぁ!!!」
耳がつんざく位の大声で怒鳴られてしまった。
姉貴からこれほどまでの大声で怒鳴られたのは、初めてだった。
「なんで切るんだよ! この馬鹿浩太ぁ」
「なぁ、姉貴。馬鹿馬鹿っていきなりなんだよ。俺さぁ今取り込んでる最中なんだよ。急ぎじゃなかったら後にしてくれねぇか」
「ばきゃ野郎ぉう! 繭ちゃんの一大事なんだよ」
「えっ、姉貴今なんて言った」
「だから耳穴かっぽじってよく聞け、浩太。城環越大学付属病院高度救命医療センター。ここに今繭ちゃんはいる。重体らしい。詳しいことは旦那がもう行っているはずだから、あの人から訊きな。いいかい浩太。これだけは言っておく。繭ちゃんにはお前が必要だ。どうしても必要なんだよ。このくそ弟が」
ひでぇ言われ方だ。しかしなぜ、繭が病院にしかもあそこは友香が入院していた病院じゃないか。
それよりもだ! 何で姉貴が繭の事知ってんだ!!
「姉貴、何か隠し事してねぇか」
「ああ、隠してるよ。でも今はそんな事いいから早く行ってやりな」
姉貴の声が急に変わった。
「なぁ浩太。お前の事少し私見直してたんだぞ。いいかいさっきも言ったけど、どんなことがあっても繭ちゃんにはお前が必要なんだよ。ちゃんとお前も腹くくりな。ああ、夏弥お皿ひっくり返しちゃ駄目でしょう。ンもう、こっちも大変だからもう切るよ。早く行きな! 繭ちゃんをちゃんとみまもってやるんだよ。それじゃぁね」
「先輩、どうしたんですか? 何か繭ちゃんのことが分かったんですか」
「繭が病院に担ぎ込まれたらしい。しかも重体だそうだ」
「嘘! そ、そんな」
水瀬は口を押え震えている。
俺と水瀬は取る物も取らずに、言われた病院に急行した。
そしてあの姿の繭と対面した。
どうしてこんなことになったのかは分からい。
だけど……。
俺は願った。
一つだけでいい。
繭をまたあの繭に戻してほしいと。




