第91話 リセット ACT2
空の雲が少し高く感じる。
青い空に筋状の雲が波を打つように流れていた。
静かに厳かに、別れのその時を噛みしめていた。
友香は静かに眠るように別れを告げた。
安らかな顔だった。
それが俺にとって唯一救いになった。
「繭、大丈夫か……」
「……うん、浩太さんこそ大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
不思議と悲しくはなかった。それよりも、ようやく友香が俺のもとに戻ってきてくれた様な変な感じがしていた。
されど、もう友香はこの世にはいない。
その現実を受け止めつつも、あの友香の笑い顔だけが俺の瞼の奥に映っていた。
本当に家族だけのひっそりとした別れの儀式だった。
それを望んだのは友香自身だった。
派手なことはあんまり好きじゃなかったからな。大好きな沢山の花に囲まれ、荼毘にふされた友香は、真っすぐと空に舞い上がって行った。
その煙を眺め、少しづつ心が落ち着いてくる感じがしていた。
不思議なものだ、俺はこの悲しみに打ち勝てないと思っていた。だけど、なぜか今までどこかに引っかかっていたものが、すっと抜け出したような感じがした。
繭がそっと俺の手を握って来た。
「行っちゃったね」一言そう言った。
何か繭からはこの別れは、初めてではない様な感じを受けた。
「最後までいる?」
「いや、もう帰ろう。いつまでもいると友香に怒られそうだ」
「あははは、そうだね。何やってんのよってね」
友香の両親に挨拶をして早々に立ち去ることを詫びた。
「ありがとう」
友香の両親から告げられた一言。その一言で俺は報われた。
彼女の両親はちゃんと俺に向き合ってくれたからだ。
メッセージアプリにメッセージが着信した。
部長からだった。
「ちゃんと送れた。浩太」
「はい。おかげさまで」
「そっかぁ、今日はゆっくりしてていいから」
「ありがとうございます部長。お言葉に甘えさせていただきます」
「んっもう、何で業務通信になってんのよ!」
「あ、はいすみません。マリナさん」
「明日、会社で待っているからね。浩太」
「了解です」
すぐに既読マークが着いてメッセージは途切れた。
「もしかして、水瀬さん?」
「いやマリナさんからだった。今日はゆっくりしろだってさ」
「そっかぁ、これからどうしよう」
「さぁどうしようかなぁ。どこか行く気分でもないしなぁ。アパートにとりあえず帰るか」
「そうだね」
浩太さんは黒のジャケットを脱いで、喪式用のネクタイを外しワイシャツの襟ボタンを外した。
「それにしても暑いなぁ」
「だってまだ夏だよ」
「知ってんか繭、暦じゃもう秋なんだぜ」
「知ってるけどなんか暦の事引き出すなんて、おじさん臭いなぁ」
「うっせぇなぁ、仕方ねぇだろ。もうじき28になるおっさんなんだから」
「へぇ、おっさんだって自分から認めるんだぁ」
「しょうがねぇだろ事実なんだからようぉ!」
「まっ、仕方ないか。じゃそのおっさんに、今日の夕食何が食べたいかなぁ」
「もう夕食の事か?」
「うん、だって買い物して行かないといけないんだもん」
「買い物かぁ、じゃスーパーにでも寄っていくか」
「うん」
気が付けば俺は繭の手を握っていた。
何の違和感もなく自然と繭の手を、しっかりと握っていた。
「ねぇ、おまわりさんに職質されたらどうする?」
「ん? やっぱり職質さちまうかなぁ」
「だってさぁ、こんなおっさんと制服着た女子高生がこんな真昼間から手繋いでいるんだよ。怪しくない?」
「だったら手離すか?」
「えええっと。出来ればこのままがいい」
「職質されたらどうすんだよ」
「そん時はそん時だよ……おにいちゃん」
「ぶっ! なんだそのおにいちゃんって」
「今度はちょっと年の離れた仲のいい兄妹て言う設定」
「はぁそうですか……従妹から昇格か」
「そうだね。おにいちゃん」
「おい、恥ずかしいからやめろ」
「あははは、浩太さん照れてる。おかしい!」
妙に明るく振る舞う繭。俺に気を使っているんだろうな。
そんな繭の姿がとても愛おしく感じる。
今は繭に合わせてやろう。
「あのぉ物凄く重いんですけど」
「あのなぁ、ポイポイとカートに放り込むからだ」
「だってさぁ、今日特売日だったてこと忘れていたんだもん」
「特売日だからって、これはいくら何でも買いすぎだろう」
「なんか前にもこんなことあったよね」
「ああ、確かお前と初めて買い物に行った時だったんじゃねぇの」
「そうそう、あの時も重かったねぇ。ああああああ、もう私限界かも」
「ガンバレもう少しだ」
買い物袋の取っ手が手に食い込む。物凄くいてぇ。
ふぅ、なんとかアパートの部屋の前まで来た。
ドアを開けて、冷蔵庫の前に、買った食材をどかどかと置いていく。
「なんとか辿り着けたぁ」
ベランダのサッシを開け、繭は大の字になって床に寝そべった。
「ああ、風が入ってきて気持ちいい」
「おい繭お前汗だくじゃねぇのか。汗でブラ透けて見えてるぞ」
「そぉお。汗だくなのはそうだよ。いいじゃん見せてるんだから」
「はぁ、だったら早く着替えろよ」
「うん、……でも、動きたくなぁい」
「アイス溶けるぞ!」
「えっ! それはやばい」
がバッと起き上がって「アイス、アイス」と言いながら、アイスを冷凍庫に放り込んだ。
「ふぅ、仕方ない。せっかく買った生もの悪くなっちゃうね。しまっちゃおう」
相変わらずてきぱきと食材を冷蔵庫にしまい込むその姿を見て、なんだかとても懐かしい気持ちになった。
お前と一緒に生活しだして、もう3か月になるんだ。いや、まだ3か月しか経っていなかったんだ。なんだかもう何年も一緒に暮らしているような気がするよ。
その時ふと、友香が言っていたことを思い出した。
「繭ちゃんが二十歳になったら、あんたたち結婚しなさいな」
思わず飲んでいた缶珈琲を吹いてしまったなぁ。
「なに馬鹿なこと言ってんだお前は。俺と繭はそんな関係じゃねぇって言ってんだろ」
「あらそうなの? 私てっきりもうそういう仲だと思ってたんだけど」
「あのなぁ、いくら何でも現役の女子高生に手出すのはまじぃいだろ。それに俺は生身の女には今興味はねぇんだよ」
「ええ、浩太ついにそこまで行っちゃったんだぁ。ああ、もう「変態オタクオヤジ」になっちゃったのね」
「うるせぇ!」
けらけらと友香は笑っていたっけ。
「変態オタクオヤジ」かぁ。
確かにそうだ。でも俺はその変態オタクオヤジで十分だ。
あれ……変だなぁ。
床にぽたぽたと水滴が落ちている。
そんなに俺汗かいているのか……。そうだこれは汗だ。
目から出ている大粒の汗だ。
……友香。
友香……。
そんな俺の姿を繭は見つめながら。ふんわりと俺に抱き着いた。
繭の髪から甘い香りが漂う。
もうあの時の様な拒否反応は出てこなかった。
「泣いていいんだよ。泣きたくなったら思いっきり泣いていいんだよ」
繭は俺の胸の中でそう言った。
溜めていた訳じゃない。止めていた訳でもない。
それでも俺は声を上げて泣いた。
大粒の涙が繭の髪を濡らしていた。
そして俺は繭の体を強く抱きしめていた。
「泣こうよ。二人で思いっきり泣こうよ。……浩太さん」
俺ら二人は抱き合ったまま、泣いた。
泣けるだけ涙を流した。




