第67話 一歩前進。そして……二歩後退 ACT6
「う――ん……」
モバイルパソコンを見ながら、部長が唸っている。
「う――ん。う――ん」
マリナさん、唸っていながら実は寝ているなんて言う事はねぇだろうな。
苦笑しながら、馬鹿なことを考えていた俺と、マリナさんの目がばっちりと合った。
「山田さん……ちょっといい」
表情が険しい。なんか物凄くやばいことなのか?
ゴクリとつばを飲み込み「はい」と言い席を立ち、マリナさんの後をついていった。
二人での打ち合わせには個室の商談室をよく使う。多分そこに行くだろうと思っていたが、行先は喫煙所だった。
煙草を取り出し、銜えた煙草に火を点け、ふーと吸い込んだ煙を吐き出し。
「浩太」
「はい!」
「ちょっと、何そんなに緊張してんのよ」
「はぁ、でもさっきから部長なんか眉間にしわよせながら、ため息ばかりついていたんで」
「あらよく見ていたわね。よっぽど暇だったの?」
「いやそう言う訳じゃないんですけど」
「でも私を観察する余裕はあったんだぁ……あ、もしかして溜まってる? それなら言ってくれればいつでも私はOKよ!」
「ち、違いますよ。そんな」
「なぁんだ、残念。それともこれからホテルにでもいく?」
「ぶ、部長! 仕事、しないと」
「そうなんだよねぇ。仕事ねぇ……。そうなのよ仕事なのよ」
どうしたんだ。今日の部長、なんか言っていることが良く分かんねぇ。と、いうものの、いつも分かんねぇんだけど。
「あのさぁ、浩太。あなた、仕事しすぎ! 有給の消化率最下位。このままだと管理者として私が刺される」
「え、有給ですか? 取れって言われてもおいそれととれる状況じゃないですよ。それに最近は残業はほとんどしていないじゃないですか」
「う――ん。それじゃ足りない。仕事大好き浩太はよく分かるけど、ここは強制的に有給を消化してもらいます」
「ちょっと待ってくださいよ。そんな急に言われてもすぐ休めなんて言える状況じゃないでしょ」
「でも休んでもらいます。3日間の出校停止……、あ、違った出勤停止」
「そ、そんなぁ……」
「これ決定事項ね。はいはいそれじゃ帰った帰った。何なら送ってあげよっか」
「いや、結構です。部長に送ってもらったら、そのままどこぞのホテルに連れ込まれそうなんで」
オフィスに戻り、水瀬に
「俺帰るから。3日間強制有給消化だそうだ」
「えええええええっ! 先輩帰っちゃうんですか ! どうするんですか仕事……、なぁ―んてね」
水瀬はにっこりと笑らって
「大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください」
平然として言われてしまった。
なんかちょっとショックだ。俺がいなければと思っていたが、それは単なる自分のエゴにすぎなかったのかもしれない。
そこに長野がつかつかと俺の所にやってきて
「なになにどうしたの?」
「強制有休消化3日間」
「えええ、いいなぁ。僕なんか有給全部消化しちゃったから休みたくても休めないんだよ。ねぇね山田さぁ、僕と替わらない?」
「お前は逆にもっと仕事しろ! お前の担当プロジェクト大幅に遅れているそうじゃねぇか」
「あ、ええええッと。あーやばい、やばい。このまま突っ込んでいたらプロジェクトリーダーさんに大目玉くらいそうだ。まぁ、ゆっくりしてきてよ。それじゃ」
そう言ってそそくさと長野は自分のディスクに戻った。
ふと部長の方に目線をやると、部長はにっこりとほほ笑んで「しっしっ」と手を払った。
早く帰れという意味だろう。
しょうがない、帰るとするか。
「それじゃ水瀬、俺帰るから」
「はい、お疲れさまでしたぁー」
目線をピクリとも変えずに言われてしまった。
社屋のビルを出ると、外の暑さが体を包み込む。
「マジあっちーな」
出社して、ものの2時間で俺は会社から追い出されてしまった。
「さぁてどうすっかなぁ」
と考えながらも、足は駅に向かっていた。
どこに行く気もなく、自分のアパートに帰ることしかこの体は反応していないようだ。
この時間の電車ってこんなに空いているんだ。
ほとんどガラガラの電車の座背に座り、ボーとしながら電車の揺れに身を任せていると、あっという間に最寄りの駅に着いてしまった。
駅を出てぶらぶらと歩いていると、繭がバイトしているカフェの前まで来ていた。
ふと、そのカフェを見ながら、繭いるだろうな。
そう思いつつも、体はカフェのドアを開けていた。
「いらっしゃいませ」
聞き覚えのある、だけどいつもとは違った声のトーンの繭の姿が目の前にあった。
「あれれれ! 浩太さん、どうしたの?」
「ああああ、っと。会社終わって来た」
「どこか具合悪いの?」
「いいや、どこも悪くない。いたって健康そのもの」
「1名様……だよね」
こくんと頷いた。
繭は空いていた4人掛けのボックス席に案内した。
「メニューはこちらにございます、ただ今お冷お持ちいたします」
すぐに繭は氷の入ったグラスを俺の前に置いた。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、アイスコーヒーを」
「アイスコーヒーですね。かしこまりました少々お待ちください」
中々手慣れた感じだ。
「で、どうしてこんな時間に会社終わったの? あ、もしかしてクビになちゃった?」
にヘラと笑い、おちょくっているのが良く分かる。
「馬鹿、ちげーよ。強制有休消化」
「強制有休消化?」
「そう、3日間出勤停止だとよ。部長からさっき言われて、会社追い出された」
「あははは、それはそれはま、ごゆっくり」
繭はカウンターの方に戻っていった。
「ねぇ、繭ちゃん」
ん? 繭ちゃん。阿久津さん名前で呼んでるよ。
「なんですか阿久津さん」
「あのお客さんって、今朝繭ちゃんと一緒にいた人だよね」
「ええッとそうですけど」
「わざわざお店にまで来てくれるなんて、やっぱり繭ちゃんの彼じゃない?」
「ん? 梨積さんの彼氏?」
ちょうどマネジャーが通りかかって、阿久津さんが言っているとことに反応してしまった。
「どれどれ、あの席に座っているお客さんか? ん、年上……もしかして社会人、サラリーマンか? ああ、そうなんだ、へぇー」と、興味深々と見ていたが
「あれ、あの人……どこかで見たことある様な気がするなぁ。どこでだっけかなぁ」
「わ、私のアパートのお隣さんです。通勤にここの前通りますから、その時に見かけたんじゃないんですか?」
だけど、マネジャーは否定した。
「いや、違う。そんな感じじゃない。何だろう、物凄く胸につかえているんだけど……」
「繭ちゃんアイスコーヒー出来たよ」
「はい、お持ちします」その時マネジャーは大きな声で「あっ!」と声を出した。
私が浩太さんの所にアイスコーヒーを持って行くと、マネジャーは私の横に来て浩太さんを見つめ
「久しぶりだね。山田浩太さん」とフルネームで彼の名を言った。
マネージャーのその声に反応するように浩太さんは顔を上げた。
だけど、なぜ、自分の名をこの人がフルネームで呼んでいたのかを理解出来ないでいた。
「あのぉ、どちらさまでしたでしょうか」
「今さらどちら様もないでしょう。この最低男」
「えっ!」
「私よ、私の事も忘れてしまったの? 杜木村燈子」
「杜木村燈子」
浩太さんはつぶやくように口にした。そして浩太さんの顔色が一瞬にして青ざめて行った。
「友香……」
「そう、あなたが振った。鷺宮友香の親友よ」
浩太さんははっきりと友香と言った。
鷺宮友香。私の前の学校の担任。ついこの間ようやく出会えた私の大切な人。
その人と何故浩太さんが……「振った」その言葉が私の胸の中に大きく突き刺さる。
浩太さんが先生を振ったって……
あなたと、友香先生とはどんな関係だったの?
浩太さん……。




