第60話 遠からずも俺の傍にいろ ACT8
「彼女!! あ、ええッとよ、よろしくお願いいたします」
おい、水瀬、お前プレゼンの時よりも緊張してんじゃねぇのか。
そんな水瀬を見ながら、俺は受け取った缶ビールを開けた。プシュっと泡が少しだけ吹き出し、急いで口にする。
キンキンに冷えたビールの冷たさが、喉を通っていくのが分かる。
ふぅ、と、なんとか落ち着きが戻って来た。
「あ、そうだ水瀬、夏弥にプレゼント」
「え、アッと。そうでした」
水瀬が持っていた手提げ袋をじっと見つめている夏弥に
「ええッとお名前なんていうのかな?」
「夏弥。あきしまなつや、4歳」
「えらぁ――い! ちゃんとお名前と年も言えるのね。はい、夏弥君お誕生日のプレゼント」
水瀬はかがんで夏弥と同じ目線になり、手提げ袋を渡した。
夏弥は少し遠慮気味に袋を受け取り、なかにあるラッピングされた箱を取り出した。
その箱を持ちながら、じっと水瀬の目を見つめて
「あ、ありがとう」とてれながら言う。
「どういたしまして」にっこりとほほ笑んだ水瀬のその顔を見て、許可が下りたのを暗黙の了解の様に、ラッピングされた包装紙を無造作に剥がしパッケージの箱を見て、目を輝かせていた。
「パパぁ、もらった! プレゼント。特攻ロボ、夏弥もらった」
今絶賛放映中の人気ロボもの。
もうこんなのが欲しがる年になっていたんだと、改めて月日が経つのが早いと感じた。
ついこの間までは本当にまだ赤ん坊だという記憶しかなかったんだが、それもそうだいきなりあんな強烈なヘッドバットを、俺にくらわせるくらいだ。成長とは恐ろしい。
いや、これは多分母親の姉貴の影響だろ。これからが大変そうだ。
大喜びの夏弥を目にして義兄が一言
「よかったな夏弥」
義兄の顔もほころんでいた。
「すまんなぁ、浩太君。気を遣わせて」
「いやなんでもないです。俺、ほんとなんもしてやってないんで、こんな時くらいですよ」
そんなことを言っているうちに姉貴がバーベキューの食材をてんこ盛りにしたトレーを持ってきた。
「さぁ準備できぞぉ! 焼いて腹一杯食うぞぉ」
「ママぁ、もらった。たんじょうびのプレゼント、綺麗なおねぇさんから貰ったぁ。こうた何もくれなかった!」
「おいおい、それは俺からのプレゼントだぞ夏弥!」
「違うおねぇさんからだ! こうた何もくれなかった」
「あははは、浩太やられたな」
「まったくだ!」
赤々とした炭の上の網に肉をおき、ジュゥと音を立てているのを訊きながら水瀬が「私も手伝います」と姉貴の方に行って一緒に食材を綺麗に網の上に並べていく。
その二人の姿を見ながら義兄が一言呟いた。
「いい子だな」
その一言がなぜか俺の胸を締め付けた。
「でもよかったよ浩太君。ようやく吹っ切れたようで」
俺はすぐに返事はしなかった。
「すまんよけいなことを言ったようだな」
「そんなことないです。何とか……。といったところです」
「そうか」
その後少しの沈黙が俺らの仲で流れた。
ビールを喉に流し込み
「義兄も仕事大変そうですね」
何となく出た言葉だった。
「ああ、役付けになったら、よけい大変になっちまった」
「昇進したんですね。おめっとさんです」
「全然めでたくねぇよ」と言いながら、ビールをもう一本俺に手渡した。
すぐにプルタブを開け、ビールを喉に流し込んだ。
「まぁ、守秘義務があるから詳しい事は言えねけど、ほんと最近来る事案は複雑なものばかりだ。毎日頭を抱えているよ」
義兄は県の児童福祉課に勤務している。県職員だ。
そしてぼっそりと言う。
「少し前に、高校生の女の子を保護してな。その子本当に心身ともにボロボロ状態で保護されたんだ。実の親は両親とも他界してしまっていて後妻夫婦が親権を持っているんだが、これがとんでもない奴らで、しばらく施設で保護してたんだが、年齢も18歳になるというのもあって自立支援に切り替えて今、学校も転校させて、新しい生活に馴染もうと頑張っているらしい。いい子なんだが、義理の親に問題があってな」
「いろいろ大変ですね。義兄が担当してるんですか」
「ああ、あの子だけはどうしてもほかの奴らに任せておけねぇからな」
そんなことを義兄から聞いているうちに、ふと、繭のあのにヘラとした顔が浮かび上がって来た。
彼奴も何かを抱えているのは何となく感じていた。
でもそれがどういう事なのかまでは俺は知らない。
繭の過去。多分それは彼女の心に大きな傷を負わせているのを俺はずっと気にしている。
そんな俺らの所に姉貴が来て
「浩太、水瀬さん。本当にいい子だね。あんたもいつまでも過去に縛られていないでちゃんと幸せをつかみな。そしてさぁ、父さんと母さんを早く安心させてやってよ」
すっかり夏弥と馴染んだ水瀬のその姿を見ながら、俺は……
「そうだよな」と言った。
やっぱり俺は姉貴には敵わねぇな。
本当に姉貴の言う通りだ。
だがなぜか、もう一つの気持ちが俺を揺さぶっていた。
◇◇
「先生が振ったの? よっぽど酷い人だったんでしょ」
「んーどうかなでもその時は結婚まで考えていたんだけどね」
「ええ、そこまでの彼氏がいたんだぁ」
「昔の話よ。でもさぁ、その人凄いオタクでね、アニメとかゲームとか物凄く好きで、まるで子供みたいな人だったの。良く喧嘩もしたけど、ほんと真っすぐな性格の人だった」
思い出を噛みしめるような、そんな表情が先生から伝わる。
先生が付き合っていた彼氏。なんだか浩太さんによく似ているような気がする。
「こんなこと聞いちゃいけないんでしょうけど、どうして、先生その人を振ったの?」
まずいことを訊いたのかな? 先生は口を開くのをためらっていた。
何となく重い空気が漂い始めた。
そして先生が口にした言葉は、一言
「我儘」
「わがままって?」
「そう私の我儘だったのよね。でもさぁ、今となってはそれが正しい判断だったと私は思っている」
先生はまだその人の事を……。
別れても気にしているのにどうして?
……好きなのに、愛しているのに。でも別れなきゃいけない特別な何かの事情があったのか。
それ以上は私は聞くのをやめた。
「ごめんね、なんか湿っぽい話になっちゃって」
「ううん、こっちこそごめんなさい。そんなことまで話させてしまって」
先生は私の横に体をよせ、しっかりと私の体を抱きしめた。
「そうじゃない、繭ちゃんも、もっと悲しい想いをしてきたんだもん。こんなことくらいで私が落ち込んでいちゃいけないから……」
温かい想いが私の中に流れ込んでいく。
先生の温もりが……私の心に何かを呼び掛けているように。
そしてその温もりの中に感じる。一人の男性の愛しさを……。
窓の外の庭に咲き誇る花たちは、次第に降り始めた雨にしっとりと濡れていた。




