第44話 悪夢 ACT2
「水瀬、このスクリプトは代用構文じゃなく新たに作り直せ」
「ええっと、行番業は何番からのですか?」
「211行目あたりの呼び込みスクリプトだ」
「ああ、これですね。でも動作処理的には問題ないと思うんですけど?」
「まぁ簡単に言うと見た目の問題だ。現行のモノでも問題はないんだが、出来るだけごつさを感じさせたくない」
「んー、そうなれば受け皿の前構文も変えないといけないですね」
「だな、データベースからの引き込みも簡素化出来るんじゃないのか」
「あ、そうですね言われてみれば……さすが先輩、細かい所にもこだわりが見えますね」
「まぁな、ちょっとした気が付かない程度のこだわりもアピールポイントだが、こだわりすぎるのも良くはねぇからな。難しいところかもしれんな」
でもなぁ水瀬、そう言うお前もたった2年で、ここまで出来るようになったじゃないか。
もうほとんど俺がいなくても、お前ならやっていけるんじゃないのか?
しみじみと作業している水瀬のその姿を見ていると
「どうしたんですか、先輩?」
と、俺を見上げるように、水瀬のそのくりっとした瞳が俺を見つめていた。
「いや、なんでもない……ただ」
「ただ?」
「……あ、あとは任せた。俺は少し疲れたから休むぞ」
まずい、水瀬のあの瞳に引き込まれそうになった。
繭と水瀬、この二人に今の俺の心は、行ったり来たりしているような感じがする。
今まではなかった。この2年間水瀬と一緒にいたが、こんな気持ちを持ち始めたのは最近の事だ。
そうだ、水瀬から「先輩の事が好きなんです」と言われてからだ。
繭が俺の前に現れ、今まで後輩として育成指導をしてきた水瀬に好きだと告られた。だが、俺は未だに本当にこの二人の仲に溶け込むことは出来ないでいる。
もし、俺自身がこんな状態じゃなかったら、多分俺はどちらかを選んでいただろう。
しかし何かが中途半端なんだ。
その何かが……分かっているようで、俺自身が一番わかっていないのかもしれない。
カタカタと水瀬が打つキーボードの音がやけに心地よく聞こえる。
まだ体力が戻っていないのが良く分かる。
ほんの2時間ほど一緒に作業しただけなのに物凄く疲れた。
ベッドに横になると小気味よい音と共に睡魔が襲ってくる。
水瀬の香りだろうか。
何となく甘い香りがほのかに俺の鼻孔をくすぐる。
この香りがどことなく懐かしい香に感じて来た。
2次元のキャラ達からは感じることの出来ないこの香り。
そうだ、彼奴の香り。
あのつややかな髪からする香。
柔らかな肌から解き放つように香るあの甘い香だ。
なんだかとても懐かしく感じる。
あの頃の想いが湧き出てきそうになる。
「ねぇ浩太」
「あん? なんだよ」
「うふふ、ただ呼んでみただけ」
悪戯っぽくほほ笑む顔が、俺のすぐ横にあった。
「まったくようぉ、お前はそうやって人をおもちゃのようにして、もてあそぶんだ」
「もてあそんでなんかいないよぉだ。いつもの事じゃない」
「ふん、いつもの事か!」
「あれぇ浩太、怒っちゃったぁ?」
「ああ、怒った……。怒ったからキスをしてやる」
「もうぉ……あ、……」
俺たちは幸せだった。大学を卒業したら結婚しようと約束をしていた。
それは俺の一方的な願望じゃなかったはずだ。
彼奴だって、友香もそう願っていたんだから。
「本当にありきたりなんだけど、私ねぇ。白のウエディングドレスを着て、教会でみんなの前でブーケを投げるのが夢なの……。もちろんその隣にいるのは浩太だと思うけど?」
「ええ、それってなんだ! 「思うけど」て、友香の隣にいるのは俺しかいねぇんじゃねぇのか」
「そうねぇ、子供のころから夢見ていた私の旦那様のイメージとは、大分かけ離れちゃってるけど、仕方がないかぁ……浩太で我慢してあげるよ」
「我慢てさぁ、ひでぇなぁ」
「あはは、嘘よ。あなたしかいないでしょ浩太。だってこんなにも愛しているんだもの……」
こんな会話していたなぁ。
そうだ、就職の内定が決まるちょっと前だったはずだ。
友香の笑顔なんてもう何年ぶりに見たんだろう。
俺の脳裏にはまだちゃんと、友香がいてくれているような錯覚さえ起こさせてしまうほど、彼奴の事を俺は愛していた。
なのに……。
あの日、外は雨が降っていた。
俺の就職の内定も決まり、あとは大学の卒業を待つばかりとなっていた時だった。
一時実家に帰っていた俺は、友香から呼び出された。
今はもうないが、二人でよく通っていた喫茶店で落ち合う事にした。
そこで友香は窓に打ち流れる雨の雫をただ眺めていた。
「ごめん、遅くなった」
ゆっくりと俺の方に目を向けて「ううん」とだけ答えた。
「どうしたんだよ。なんだぁ、一人で留守番しているのが寂しくなったのか」
友香はまた窓の外の降りしきる雨を眺めた。
今までの俺たちだったら、すぐに会話が弾んだのにその日は、友香は何も言わずにただ外の景色を眺め続けていた。
「どうかしたのか?」
ちょっと心配にって声をかけたが、彼奴は何も返してこなかった。
注文したブレンド珈琲が俺の前に置かれ、湯気と共に香りが漂い始めた時、友香がようやく口を開いた。
「ねぇ私達、別れよっかぁ」
その時友香が何を言っているのか理解できなかった。
すでに窓は曇り、外が見えなくなっても友香はそのまま、窓の外を眺め続けていた。
「今なんて言ったんだ?」
「うん、別れようって」
「な、何で……」
「……何でだろうね。でも別れよう」
「ちょっと待てよ、何があったんだって言うんだ、友香!」
「何もないわよ、ただ別れたいだけ。部屋の私の部の家財整理しておいたから」
一度も俺の顔を見ることなく、友香は席を立ち
「さようなら……浩太」
と、一言俺に向けて言い残し店を出た。
アパートに戻ると友香の荷物は綺麗になくなっていた。
二人で暮らしていたアパート。
古くてぼろかったアパートだったけど、思い出がいっぱい詰まったこの部屋に、俺一人が取り残された。
その後、友香の携帯に電話してたがすでに解約されていた。
「おかけになられました電話番号は現在……」
実家に行っても友香と会う事は出来なかった。友香の親も、俺だと分かると玄関さえも開けてくれなかった。
あの時の俺はただ一人で、あの部屋の中で……泣くことしか出来なかった。
それから友香とは二度と。
会う事はなかった。




