第43話 悪夢 ACT1
熱は次の日、平熱まで下がった。
一時はどうなる事かと思ったが、これなら何とか復帰できそうだ。
しかし、あの高熱と何も食えなかった俺の体は、体力を消耗しきっていた。
とりあえず、2日ほどはまだ自宅で療養していろと、部長の寛大な配慮もあり、それに甘えることにした。
最も、リモートで俺の部屋から業務がある程度出来る環境が今ここにある。水瀬を俺の部屋に呼んでここで、指示を出しながら水瀬に業務をさせるというなんとも奇妙な感じがする環境があるのだから、無理をして会社に出社する必要も無い。
「先輩おはようございます」
にこやかな顔をしながら、ここが自分のオフィスであろうという感じで水瀬が来た。
「あ、繭ちゃんもおはよう」
「おはようございます水瀬さん」
繭はいつものように朝食を作りに俺の部屋に来ている。
今朝、部屋に来るなり寝ている俺の顔を覗き込み、そっと俺の口に自分の唇を重ねさせた。
目覚めていたが、寝たふりをして繭の柔らかい唇が触れるのを感じていた。
「大分良くなったみたいだね。いつもの浩太さんの顔に戻ってるよ」
そなことを俺の顔を見つめ、ベッドの端に頬杖をしながら言う。
「さぁて朝ごはんの準備でもするかぁ」
そうつぶやき繭は台所に向かった。
不思議と繭が傍に居ると心が和む。まだ高校生なのに、繭から感じるあの雰囲気は、幼いころいつも傍に居た母親の様な感じを思い出させる。
18歳の高校2年生。
まだ、人生の半分も生きていないこの子に、その安らぎを求めるのは、間違いなんだろうか。
さて、そろそろ繭に「おはよう」の声をかけてもいいころ合いだろう。
「ああ、よく寝た。やぁ、繭おはよう」
「あ、浩太さん起きたぁ? おはよう。調子はどうぉ?」
「おお、大分スッキリした。もう熱も落ち着いたんじゃないのか」
「そっかぁ。それは良かったとりあえず熱測ってよ」
言われるままに熱を測ってみる。
ピッピッ!
「おお、36度7分!」
「やったね。もう平熱だね。おかゆ作ってるから食べれるでしょ」
「ああ、でもおかゆかぁ。もっとガツンと来るものが食いたい」
「駄目だよ、あんだけ熱出した後なんだもん。始めは体に優しいもんからだよ」
まったく、此奴の気遣いはなんだかこの身に沁みる。
台所に立つ女性の姿。
もし俺が結婚していたら、毎朝こんな風景を何気なく見ているんだろうな。ただ、今見るその姿は高校の制服を着た姿だ。何となく朝から萌えられる。
そんなことを思っている時、水瀬がやって来たのだ。
水瀬は来るなり俺の顔をじっと見つめ。
ちょっと落胆したような感じで「ああ、先輩良くなってきちゃったんだぁ」と言う。
「ああ、おかげさまでな。でも今日はここでお前を一日しごいてやるから覚悟しておけよ」
「ええ、私縛られるんですかぁ?」
「おいおい、縛るんじゃねぇ、しごくんだ!」
「ヤダぁ先輩朝からそんなぁ、<しごく>だなんて! もう先輩のエッチ」
水瀬、お前自分ちに何か置き忘れて来ていねぇか?
「はいはい、今日はお二人でどうぞその世界を堪能してください。水瀬さん朝食は?」
「んー面倒じゃなかったらもらおっかなぁ」
「面倒じゃないよ。私の分と一緒に作るだけだから」
「ごめんね、いつも……」
んー、やっぱり水瀬に繭の様なあの雰囲気を求められねぇな。水瀬は水瀬だ、俺が育てた唯一のパートナーだ。
でもこうして3人でいるのも実際悪くはない。
ほんの少し前までは、ここに彼女たちの姿なかったのだから。
ふと思い出す。……あいつの事を。
今、どうしているのか、どこにいるのかも分からない。
あの時を境に俺は女性との関りを拒絶しだした。
もともと好きだった2次元の世界に奥深く、逃げるように俺はのめり込んでいった。
あれからもすでに5年以上は経っているというのに、いまだに俺はあいつの呪縛から逃れることが出来ねぇでいる。
「浩太さん、浩太さん!」
「あ、うん、どうした繭?」
「浩太さんこそどうしたの? ボーとしちゃって」
「いやなんでもねぇ。……おかゆ、うめぇな。なんだかほんと久しぶりに何かを食ってるという感じがするよ」
「そうでしょう。だからまだおかゆなの。私もう学校に行かないと」
「ああ、そうか気を付けてな」
「かたずけは私がやっとくからそのままでいいよ」
「ありがと水瀬さん。お昼は適当にある物で食べてね。でも浩太さんはまだおかゆだよ! それじゃ行ってきま――す」
白い半袖のブラウスに青色の棒帯。そして膝上丈の裾に白のラインが入った藍色のスカート。
そこに黒のストッキングが生足をさらすより、萌えさを感じさせるその姿。
そうか、なんか今までと違う気がしていたが、制服が変わったんだ。
今まで繭は前の高校の制服を着ていた。
着ているのは、今通っている高校の制服だろう。
何で気が付かなかったんだ。
髪はあれから少し伸びたんだろう。肩すれすれだった少し赤茶けた髪は軽く肩にかかり始めていた。
三和土で靴を履こうとしている繭を呼び止めた。
「繭」
「なぁに、浩太さん」
「制服、似合ってるぞ」
繭は一気に顔を赤くして
「ばか、いきなりそんなこと言うんじゃないの。恥ずかしいじゃない」
と、言いながらもその表情は嬉しそうだった。
「まぁ、なんだ、俺の方は大丈夫だからまぁとにかく行ってこい」
「まったくもう、浩太さんの事なんかもう心配してないよ。水瀬さんもいるし、私は学校で昼寝でもしてきますから」
まったく照れてんのか此奴は。可愛げのない言葉を並べていたが、気づいてくれたことに、繭の顔はあの締まりのないにヘラとした顔をしていた。
「ああ、先輩。私の時は部長に言われえるまで気づかなかったのに、繭ちゃんの事はちゃんと気づいたんですね」
何となく面白くない様な感じに捨てせりふを吐く水瀬。
「でもさぁ可愛いよ繭ちゃん」
「ありがとう水瀬さん。ああ、遅刻しちゃう、それじゃ行ってきま――す」
バタンとドアが閉まった。
すっと何か温かい光の様なものが消え去った様な感じがしたのは、気のせいだったんだろうか。
そんな俺を見つめていた水瀬がぼっそりと
「器片付けちゃいますね」と何気なく言う。
「ああ、すまん」
今のこの生活が俺にはかけがえのない生活になりつつあることを、どこかで実感していた。
繭と言う存在を俺は、……この心が受け入れ始めているんだという事を。




