第35話 俺と水瀬の関係
喫煙所のドアを開け、外で待つ水瀬をじっと見つめた。
恥ずかしそうに下を俯いて、俺と目を合わせようとしない。
まだ怒っているのか?
それともただ恥ずかしいだけか……。
そんな彼女の頭をグイッと俺の胸の中に押し込み
「さっきはすまなかった。そのなんだ、その服。……似合ってるぞ」
水瀬は俺の胸の中で
「鈍感な先輩……でも好き」と呟いた。
機嫌は直してくれたようだ。
社内の廊下。こんな俺たちを目にしない社員はいない。
もはや、俺たちは付き合っていますというのを公然のごとく、広く社内に広めたのと同じことだ。
最も、オフィス内のでは俺と水瀬は付き合っているというのがすでに行き渡っていたのだから、ほかの部署にこの話題が広まるには、さほど時間はかからなかっただろう。
「もうじきプレゼンに行く時間だ。準備は大丈夫か?」
そっと俺の胸から離れた水瀬に問いかけた。
「準備はもう出来ていますよ。あとは先輩と私だけ……」
その時俺は始めて水瀬のその装いの変化に気が付いた。
今まで黒く長めだった髪を後ろで一本縛りにしていたのを、肩にかかるかかからないかの瀬戸際と言うべきか、そのくらいの髪の長さの髪に、軽くカールがまかれている。しかも髪の色が少し明るめの感じに変化していた。
ここまで変わっていたとは……。
「ホント俺って鈍感だよな」
「え、何か言いましたか先輩?」
「いや、なんでもねぇ。さぁ行くぞ、気合い入れてかかれよ。なんとしてでもこのプロジェクト受注しねぇといけねぇからな」
「はい頑張ります!」
水瀬って、本当は可愛い奴だったんだ。
まぁ、水瀬の趣味? コスプレ姿も今の俺の趣味にはまるものがあるしな。
いかんいかん。そんな浮ついた気持ちでプレゼンしたらいかん!
気持ちを切り替えねぇとな。
自分自身にも喝を入れて、俺たちはプレゼン会場へと向かった。
このプロジェクトはかなりでかい案件だ。
俺らの上期の売り上げの大半をしめるといっても過言じゃない。無論その分ハードスケージュールになる事は間違いがない。
準備は万全だ。何度も練り直した提案書と企画書。
クライアントが納得してくれるかどうかはこのプレゼン如何に関わる。
正直俺自身これほどまで大きな仕事を任されたという、大きなやりがいもある。
今の俺は充実感に満ちているといってもいいだろう。
なんだろう。不思議と大学時代のあの満ち足りた日々を送っていた気分が、また俺のもとに戻って来たかのような感じがする。
「はぁ―、緊張したな」
「はぅ、私もう足が震えてましたよ」
「ああ、見た見たスカートが微妙に揺れてたからな」
「ああ、先輩変なとこ見ている。余裕あったんですね」
「あはは、おかげで俺の緊張ほどけたよ」
「んーっもう! 先輩の変態! でも……よかったですね今日のプレゼン」
「ああ、水瀬のおかげだよ」
「そんな私なんか何も……」と水瀬が言いかけた時、空からポツリポツリと雨が落ちて来た。
「あ、やべぇ雨降ってきやがった」
最近の気象状況は激変する。
小雨だと思いきや、あっという間に土砂降りになる。
おまけに雷まで鳴り響く始末だ。
「マジ本当にやばいぞこれは」
「先輩どこかで雨宿りしましょ」
もうすでに二人ともずぶぬれ状態だ。
ふと目に入った看板。
今のこの状況。
駅まではまだかなりの距離がある。
なぜか瞬時に俺の頭の中は目にした看板に引き込まれるように、その建物の中に入るように命じた。
それがラブホであることを理解した上で……。
「せ、先輩、ここって」
水瀬がいいのかって言う感じで俺に問いかける。
仕方がない、このままでは俺ら二人風邪ひいちまう。しかもだ、中に入ったからにはそのまま出るわけにもいかねぇ。
「とにかく服何とかしよう」
「え、でもぉ」
じろりとにらむカウンターの店員らしき男性。
適当な部屋をエントリーして、俺らは二人が乗れるくらいの狭いエレベーターで上がりその部屋のドアを開いた。
ああ、入ってしまった。
こんな所に入る予定なんか……ある訳ねぇよな。それも水瀬と。
なんの変哲もない、ただ大きめのベッドが目を引く部屋。
そしていやおうなしに目に入る、枕元に必然的に置かれているティシュの箱とコンドーム。
ビジネスホテルとは違う雰囲気が漂う空間。
「うう、寒い」
水瀬が、濡れている服を着ながら震え始めた。
確かに、このままじゃ寒い。
「とにかく服何とかしねぇと。ドライヤーで乾かすか」
その時水瀬がいきなり俺に抱き着きキスをした。
「うっぐ!!」
その反動で俺たちはベッドの上に倒れ込んだ。
「み、水瀬」
「私喫煙所で先輩と部長がキスしているの見てたんですよ。誰も来なかったからよかったものの、誰か来たら物凄いうわさになりますよ。私たちの関係以上に」
「私たちの関係って」
「だってもう会社では私たち、付き合っていることになっているんですよ。先輩だってその事知っていますよね」
「そ、それは……」
「それとも先輩は本当に繭ちゃんの事が好きなんですか? 高校生の繭ちゃんと、社会人の先輩が本当に釣り合うと思っているんですか? 私だったら、私だったら先輩とは……」
また水瀬の唇が俺の唇と重なり合う。
あの言葉が俺の脳裏から聞えてくるのか? そして締め付けられるあの胸の痛みをまた感じるのか。
だが俺の頭の中に描かれたのはあの……繭の、笑顔だった。
屈託のない繭の笑顔。ニッと口角を上げほほ笑むあの顔。
そしてその瞬間、俺の脳裏にまた呼び戻されるように聞こえてくる友香の声が……。
『さよなら……浩太』
水瀬はキスをしたまま俺の体から離れようとはしなかった。
彼女の心臓の鼓動が俺の胸に伝わる。
脈打つ心臓の鼓動。それは水瀬の鼓動だけじゃなかった。
「クシュン!」
「あ!」
俺の顔めがけて水瀬がくしゃみをした。
そりゃそうだろうな、この体勢だとまともに俺の顔に唾が飛びかかる。
「ずみまぜん。先輩。私のつばいっぱいかかっちゃいましたね」
「ああ、そ、そうだな」
ずずッと鼻をすすりながら水瀬は俺の体から離れた。
「それよりお前風邪ひいたんじゃないのか? ついでだ風呂入って体温めろ」
「ふぁぃ、そぅじまず。先輩一緒に入ります?」
「なに馬鹿なこと言ってんだ! 早く体温めてこい」
「ふぁぁい。また怒られちゃいましたぁ」
ニコット、怒られたことが嬉しかったのかそれとも、俺とキスしたことが嬉しかったのか、それはないとしても、何となく嬉しそうに浴室に水瀬は行った。
はぁ、まさか水瀬がいきなり抱き着いて、キスしてくるとは思わなかった。
窓辺に移る外の景色に目をやると、雨はまだ止んでいなかった。
降りしきる雨を眺めながら、水瀬とキスをしたときに浮かんできたあの繭の笑顔がまた浮かんでいた。
高校生の繭と、もうじき30を迎えるこのおっさんが釣り合う訳がねぇ。
水瀬の言う通りだ。
俺は……繭を愛してはいけないんだろう。
だが、俺の壁はもろくも崩れ去る運命にあることを、この俺はまだ自覚していなかった。
なんだか俺も寒気がする。
風邪でもひいたか。




