第26話 さらば部長……そして訪れた苦悩 ACT2
定時の少し前
「俺は今日はこれで上がる」
部長がオフィス全員に聞こえるような声で言った。
「お疲れ様です!!」
全員が部長に対して声をかける。まぁ自動的に出る機械的な返事の様なものだ。
部長は何も言わず俺の横を取りすぎていった。
さぁてと俺もそろそろ上がる支度をしないといけないな。
そんなとき、水瀬から
「ああ! やってしまった」
「どうした?」
「すみませんエラー表示が出てしまいました」
「ん? エラー表示?」
システムを稼働させると確かにエラーアラートが赤文字で下段ラインにいくつも表示されている。
さっとそのエラーを追ってみると、構文の一部の間違い、いわゆるバグのミス越しがあった。
「水瀬その部分の洗い出しにどれくらいかかりそうだ」
「んー1時間くらい……もしかしたら2時間くらいですか」
これ以上水瀬をこれで引っ張って残業させたところで、多分彼奴は抱え込んでいくだろう。
「分かった。今日はあと手を付けるな」
「ええ、それってどういうことですか? 直していきますよ」
「無理するな、急ぎの案件じゃないって言っただろ。だったら今日はここが切り時だ。お前も定時で上がれ」
「でも……」
「これは業務命令だ!」
定時まであと5分。
俺は自分のカバンに私物をしまい始めていた。
「分かりましたそれじゃ、今日はここまでにします」
「ああ、そうしてくれ」
水瀬も諦めた様に帰り支度に入った。
「さぁてと一服してから向かうとするかぁ」
ボソッと言う俺の声を長野が聞き逃さなかった。
「どこに行くんだい? 定時きっかりに上がって」
「長野か、急に声をかけるからびっくりするじゃねぇか」
「そうかなぁ、いつもと同じように声をかけたつもりなんだけど。山田何か隠し事でもあるんじゃないの?」
「んなのねぇよ」
「そうかなぁ……、今日は水瀬さんも定時あがりなんだ。もしかして二人でデートだったりして」
「馬鹿なこと言うな長野! そう言うお前は今日はどうなんだ」
「あ、僕。今日は残業だね。んー1時間くらい残業してから帰るよ」
「その残業ってもしかして時間調整の残業じゃねぇだろうな」
「さぁどうだか」
にんまりと笑い長野は自分のディスクに戻った。
はぁー、とため息をしながら
なんだか俺の周り複雑になって来たな。
カバンを持ち席を立とうとした時、水瀬が
「それじゃ先輩、お先します」とにんまりとした笑顔で俺の前を通り過ぎていった。
これから俺の部屋で繭と一緒に、夕飯を食うのがそんなにも嬉しいのか。
まあ、それはそれで繭も水瀬もお互いが楽しければ俺はそれでいい。
オフィスを出て喫煙所で煙草をくわえ火を点けた。
白い煙を肺の奥まで吸い込むように入れ、ふぅとため息の様に白い煙を吐き出した。
しかし突然の部長からの誘い。多分何かあるのかもしれない。
上司とのこういう<さし>での飲みは、仕事以上に重要な部分が大きい。
人事異動の内示、社内事情の聞き込み、俺自身への何らかの指摘。
いろんなことが頭の中に浮かんでくる。
あの部長が自ら「たまには俺に付き合え」なんて言ってくるなんて想像だにもしていなかったことだ。
きっと何か裏があるに違いない。気を引き締め、煙草をもみ消し俺は部長が待つ店へと向かった。
多分この店だと思うんだが……。
その店は路地裏の小さなひなびた焼き鳥屋だった。
のれんの横の出窓の上からは、換気扇から押し出される焼き鳥を焼く煙が外にもうもうと吐き出されている。
この店の前にいるだけで、香ばしい焼き鳥の匂いが鼻をくすぐる。
店の前の赤ちょうちんに焼き鳥と書かれた文字。
見るからに狭そうな感じのレトロ感丸出しの外見の店だ。
のれんをくぐり、ガラガラと音がする戸を開けると、カウンターだけの店内が目に飛び込んできた。
その一番奥にスーツの上着を脱ぎ、シャツの袖を巻き上げ、ビールジョッキを片手にグイッと飲み干す部長がいた。
「らっしゃい!」太い声のがっちりとした肩幅の店主が声を上げる。
「おう、山田遅かったな。先に飲んでいたぞ」
「す、すみません遅くなりまして」
そんなに遅くなったわけではないがこれも社交辞令だ。
「いつまでそこにつっ立てんだ、座れ。ああ、上着は後ろのハンガーに掛けろ」
部長のうしろの壁にスーツが掛けられている。
俺も同じようにスーツを脱ぎ、壁のハンガーにスーツをかけた。
「熊沢、此奴にも生と、後はお任せで焼いてくれ」
「ああ、分かった」
「失礼します」と一言かけ、部長の隣の木の椅子に腰を落とした。
「あいよ、まずは生と通しだ」
部長はグラスをもって「ほれ!」と。
カチンとグラスが触れ合い音を立てた。
「お疲れさん!」
「お、お疲れ様です」
「何そんなに固くしてんだ山田。もっと肩の力抜け!」
「は、はい」
「村木、相変わらずだな。でもお前がこうして部下をここに連れてくるのは初めてじゃないか」
「あはは、そうか。初めてだったか」
「ああ、初めてお前の部下に会えたな。あいよ! ネギまとボン尻」
まさに今焼きあがったばかりの焼き鳥。皮目の油がまだパチッと音を立てていた。
ジョッキのビールをゴクと喉に流し込み、ねぎまを口の中にほおばった。
じわっと肉の油とねぎの甘みが口の中に広がる。
う、うまい。
いつも居酒屋なんかと比べ物にならない。
口に広がる鳥の油と肉汁。しかもこの弾力。噛めば噛むほどうまみが口の中に広がる。
「どうだ旨いだろ」
「凄い旨いっす」
「だろう此奴の焼く焼き鳥も、ようやくここまで来たからな」
「うるせぇな村木。親父の焼く焼き鳥にはまだまだ程遠いぜ」
「あはは、そうだな。おやっさんの焼く焼き鳥は絶品だったからな」
「ああ……そうだな」
「此奴はなぁ、熊沢利信って言ってな。俺の大学時からの親友なんだ。それに何年くらいだったか?」
「ああ、5年くらいだったかな」
「そんだけしかいなかったか?」
「そんなもんだ」
「うちの会社のエンジニアだったんだ。まぁ、俺と同期と言うやつだ」
「そうだったんですか! 大先輩だったんですね」
「あはは、そんなたいそうなもんじゃねぇよ。あの頃は会社もまだ小さくてな。村木とよく徹夜したなぁ」
「ああ、そう言えばそうだったな。お前覚えているか? ようやく出来上がって納品間際にバグが見つかって3日間連続でフル徹夜したこと」
「ああ、そう言えばそんなこともあったよな。でもさすがあれはもう勘弁してほしいや。もうこんな年になると、あんなことやったら死んでしまうぜ」
「ホントだな」
二人は声を高らかに笑い出した。
こんな部長を見るのは初めてだ。いつもは眉間にしわを寄せて、「山田! ちょっと来い」て、大声で呼んでいたあの強面の部長の姿が、今はみじんも感じられない。
「らっしゃい!」
客が入り始めて来た。
アッという間にこの狭いカウンター席は全席埋まっていた。
2杯目のビールを喉に流し込んだとき、部長が俺の肩にポンと手を載せ
「山田、俺はお前の事期待しているんだ。出来ればもっと鍛えてあげたかったが、そうもいかなくなった」
え、期待って……部長は俺が部長の事嫌いなこと、この顔にありありと出していたからその当てつけに、いろんな事させてたんじゃないのか?
「実はな、今度転勤が決まってな」
本当だったんだ長野が言っていたこと。
「転勤ですか……どちらに」
「仙台支社だ。一応支社長としてだから栄転だな。自分でもいうのもおかしいが」
「ええ、支社長ですか。凄いじゃないですか、もう僕らとは次元が違う立場になるんですね」
「おいおい、その次元が違う立場って言うのは、言い過ぎじゃないのか山田。本社のプロジェクトリーダーと大差はない立場だ」
「プロジェクトリーダー?」
「あっそうか、まだお前には伝えていなかったな。俺の転勤と同時にお前はプロジェクトリーダーに昇進だ」
「ま、マジですか? ……嘘ですよね。こんな俺がプロジェクトリーダーなんて、部長の直下の職位じゃないですか」
「ああ、役員一致で承認されたよ。だてにお前に水瀬を預けた訳でもない。水瀬の成長ぶりを見れば、お前の能力は実証済みだ。ただ誤算だったのは水瀬がお前に興味を持ってしまったという事かな……あははは」
部長は高らかに笑った。
何で部長は水瀬が俺に好意を寄せていることを、……知ってるんだ?
やばいなぁ……。




