脱出とおかえり
ちょっとまってちょっと待って!!
誰に言っているのかわからないまま内心で叫びながら、僕は既に発動しているものの、全く制御できる気がしない術をどうにか維持しようと試みていた。
そもそも僕が今自在に使いこなせるのは! 初級の治癒術だけです!!
いくら僕の身体で発動したからって、そもそも今の今まで使えた試しがない障壁とか、どうにかできる気がまるでしない。
けれど、どうにかしないと僕はここで死ぬ。
一体どうして戻ったんだ……? と思ったけれど、戻る直前でアイオンから囁くように流されてきた情報でどうして僕に戻ったのかを知る。
どういう流れで僕がアイオンに身体を貸すことになっていたのかはわかっていないけれど、戻る方法は単純だった。
メトセラが、僕の名前を呼ぶ事。たったそれだけ。
けれども、今までずっと僕の事を兄弟子殿と呼んでいたメトセラが僕の名前を呼ぶというのは、有りそうで無かった。下手をすれば一生呼ばれる事なんてなかったんじゃないだろうか。
多分、アイオンは戻ろうと思えば勝手に引っ込む事もできたはずだ。時々アイオンの考えている事は僕の方にも流れてきたけれど、これに関してはアイオンが何を考えていたのかよくわからない。
もしもっと早い段階でメトセラが僕の名前を呼んでいたらどうするつもりだったのだろう……?
その時はそれはそれで仕方がない、とでも思っていたのかもしれない。もし魔神ウルと戦ってる時だったらどうするつもりだったんだろうね!?
結果死んでもまぁそれはそれで、とか思ってたんじゃないかな。人の命を一体なんだと……
障壁は、何とか途中で消える事なく維持できていた。というか、維持できなかったら僕が死ぬし、何なら僕の後を追うように落ちて来たメトセラも危ない。既に発動しているものだからどうにかなった気がするけど、これ最初から最後まで自分の意志で発動させて維持しろとかだったら無理だったかもしれない。
とはいえ、それでもタイミングが少しだけ悪かったのかもしれない。どうにか生きてはいたけれど、落下した時の衝撃で背中は痛いし直後に落ちてきたメトセラを受け止めた衝撃で何か骨が折れた気がする。
「し、シオン、無事ですか!?」
「う、うん、大丈夫。生きてはいる。でもちょっと痛い、かな……?」
言いながらも治癒魔術を発動させる。普段村の人に使っていた術の効果を自らが体験することになろうとは……すっと引いていく痛みに、僕の治癒術思ってたよりマシなんじゃないかな? と内心で自画自賛する。そうでもしなきゃやってられない。
「それにしてもメトセラ、名前……」
「嫌でしたか?」
「いや、最初に会った時にそう呼んでいいよって言ったのに今更嫌だなんて言わないよ」
そう、メトセラが師匠の所に転がり込んできた時に、新しい弟子だと紹介された時に、僕は名乗っていた。それが裏切りの勇者の名であると知ったメトセラが今の今まで気を使ってずっと名を呼ばなかったのだと思っていたのだが……一体どういう心境の変化だろうか。
「やっと、呼べました」
「……もしかして、何か今までずっと何か言いたげだったのって」
「……お恥ずかしながら。決心がつきませんでした」
困ったように眉を寄せるメトセラに、なんだそんな事かと安心する。
今までずっと何か言いたげにこちらを見ていたけれど、それがずっと僕の名前を呼ぼうとしていただけだったとは……名前で呼んでいいと言ったけれど、それはもう随分前の話で、僕の事を呼ぶ時はすっかり兄弟子殿が定着していたから呼び方を変えるにしても今更どうしたのとか聞かれる事を考えると中々言い出しにくかったのだろう。
受け止めたままの姿勢だったけれど、メトセラがふと僕の胸に頭を寄せる。
「メトセラ……?」
「あなたが、死んでしまうかと思った」
かすかに震える声で言われて、そこでようやく僕も察した。
僕はさっきまでアイオンの考えもある程度流れていたからこのまま落ちても障壁でどうにかなるとわかっていたけれど、メトセラからすればアイオンは僕の身体を一時的とはいえ乗っ取っている状態だ。
また戻るくらいならこやつを道連れに死んでやる、とか思ったとしてもおかしくはない。アイオンなら嫌がらせするにしてももっと別の方法を選んでるとは思うけど。
それでなくともメトセラの弟でもあるルディが死んだのはほんのつい先程の話だ。
レオンの術で腕を犠牲にした瞬間も見ていた。その僕ですらかなりの衝撃だったというのに、それを目の当たりにしたメトセラの内心はどうだっただろうか。
嫌いだ、関わりたくない、そう言っていた弟の存在ではあったけれど。
でも、本当に心の奥底から嫌ってたわけじゃないと思っている。メトセラは、そうやって線引きしていただけに過ぎないんじゃないかな? 少なくとも僕はそう思っている。
そうじゃなかったら、死体を跡形もなく焼き払ったエリックに攻撃を仕掛けたりなんてしなかったはずだ。ああしなきゃ魔神ウルに取り込まれてしまうのだから、エリックが完全に悪いかと言われるとそれはまた微妙な話になるんだけど……
「おーい、馬鹿弟子ー! そのままそこにいると危ないぞー」
メトセラと抱き合ったままの僕に向けて、師匠の声がかけられる。
危ない、と言っている割にその声には緊張感とか緊迫した様子は一切ない。
一体何が……と思って視線を向ければ、崩壊した神殿の一部だった物がこちらに落下してくるのが見えた。かなりの大きさなので今から逃げようとしても多分当たる。
メトセラがこちらに向かって落ちて来たときには鎌が手から離れていた。視界の隅に大鎌が見えた気がするが、メトセラが駆けてそれを拾って弾くには時間も足りなければまずメトセラ一人でどうにかできる大きさでもない。
やらなきゃ死ぬ。
そんな状況になったからだろうか。僕の口からは滑らかに詠唱が発せられ、驚くほど呆気なく障壁が展開された。
治癒魔術以外の魔術が初めて発動した……!
アイオン……いや、ルシオン? まぁどっちでもいいや。とにかくお前に足りないのは覚悟だと言われていたけれど。そしてその覚悟が何に対するものなのか、正直今でもよくわかっていないけど。
何となく、わかったような気がしたような……?
落下物に障壁が押し負けて結局潰されました、なんて展開になる事もなく、どうにか事なきを得る。
「なんとかなった……かな」
「あ……シオン、凄い」
今までの癖で思わず兄弟子殿と言いかけたメトセラが、どうにか言い直す。多分、ここでまた兄弟子殿呼びになったらきっとそっちに固定されるんだろうな。折角名前で呼ぶと決めたのに、また前の呼び方に戻るのだけはメトセラ的に避けたかったのだろう。
「なんだ生きてたか」
「まるで死んでほしかったかのような言い方」
すとっと着地した師匠の表情は一切心配していませんよというのがありありと出ていて……え、もしかして本当にここで死ねとか思ってた? と疑ってしまうのも無理はない。
他の皆もそれぞれ着地を決めているが、レオンに支えられていたカノンだけがまだちょっと宙に浮いている。
「そこ王子にいつまで抱き着いてるんだ!」
などと叫んでいるが、カノンがそうやって突っかかって来るのは割といつもの事なので最早メトセラは気にした様子もない。
「まぁ生きてるならそれでいい。さて、魔神ウルが消滅したことでここも危うい。とっとと出るぞ」
そんな師匠の言葉が終わると同時に――
大地がそれに応えるように揺れた。
――来たときはあまり実感していなかったけれど、いざ戻るとなるとかなりの距離があった。そうだ、来た時はそもそも僕は意識はあったし見てはいたけど、身体を動かしていたのはルシオンだ。こっちに肉体的な疲労はなかったから全然わかってなかったけど、走ってあの村に続く移送方陣がある場所までとなると、到着した頃には肩で息をするような状態だった。
疲労困憊と言ってもおかしくないレベル。
それでもどうにか戻って来る事ができた。
風葬領域から見慣れた村へ。
何だか空気からして違っている。あぁ、帰ってきた――!
そんな風に実感して無事に帰ってこれた事を噛みしめていたのだけれど。
「――戻ってきたか。待っていたぞ」
「ぅげ」
「? あぁ、いつぞやの」
待ち構えていたかのように――いや、実際待っていたのだろう――立っていた僕の友人を見るなり師匠が小さく声を漏らす。それに反応して師匠に視線を向けて、何やら彼は納得したようだ。
……あれ? もしかして二人は知り合い?
「村の連中はまだ眠った状態だが。さて、ここで一体何があった?」
事態はとうに解決したのだろう? とばかりに言う彼は、王都で僕が知り合って友人となった……異端審問官である。




