魔神の消滅と戻る存在
「――我らの願いはただ一つ。魔神ウルの消滅だ」
正直な所、この願いを叶えられなくとも特に問題はなかった。
叶えても叶えられなくても結果は変わらないのだから。
「な……」
けれども魔神ウルにとっては予想外の願いだったのだろう。あぁ、やはりな。
「願いに制限を付けなかったことがそなたの敗因だな。恐らくは、願いを叶えていく途中でそれに気付いて制約を設ければ結果は違ったのかもしれんが。そんな事を考える間もなくここに封印され、自由に動けるようになった時には手遅れだった。ただ、それだけの話よ」
そもそも願いを叶えるというある意味で都合のいい存在は魔神ウル以外にも伝承として伝えられてはいる。
けれども大抵そういうものには制約がかかっていたりするものだ。
例えば願いを叶えられるのは一人に対して三つまで、という回数制限であったり、叶えられる願いは誰かを助ける事限定であったり。回数に限りがある場合は願いの内容を増やすというのが駄目だとか、叶えられる願いの範囲が限られているのが常だ。
それは、考えればある意味で当然と言える。
魔神は魔神であって神そのものではないし、例え神であっても叶えられない願いは存在する。そういった領域を超える願いを願われた場合、当然叶える事は困難になる。そして願いを叶えるという事ができなければ――暴君の妹の願いを叶える事ができなくなった時点での魔神ウルを見れば一目瞭然だろう。
この魔神は生まれて間もないうちから本能に従って他者の願いを叶えようとした。けれど、自分の力量をわかりきっていなかった。それ故に、自分にとって叶えられない願いを望まれると言う展開を想像すらしていなかった。
願いに関しては、別に他の願いでも良かった。叶える事が困難であるならば。
けれど魔神ウルに確実に叶えられる願いだと述べた以上は、実行が可能な範囲での願いを口にしなければならない。
ここで小娘の弟でもあるルディを生き返らせてくれ、などと口にしようものならそれはまず絶対に叶えられない願いになるため、事前に言った確実に叶えられる、が嘘になる。
そもそも魔王時代の私であっても流石に死体すら残っていない存在を復活させろというのは無理があるのだ。死体が残っていて、なおかつ死んで間もないのであれば生前のようにとまではいかなくともどうにかなったとは思うけれど。禁術とか主にそういう方面で。
自分であってもできない願いを確実だと言ってしまえば、ならば自分でやればいいではないかと返された場合それが無理な願いであるという事実を発覚させるだけだ。
その場合、もし魔神ウルが願いを叶える事ができなかったとしても、妹の時のような弱体化はしないだろう。最初から無理難題を吹っ掛けられているのだから。
だが、今回の願いはこの場にいる全員が、魔神ウルの消滅を願うというものだ。
妹一人の願いすら叶えられないとなった時点であれだけの弱体化をしたのだ。この願いが叶えられないとなれば果たしてどれだけ力が削がれる事だろうか。
きっと魔神ウルは考えもしなかったのだろう。自分は願いを叶える存在で、相手にとって有益なのだから自分の消滅を望まれる事などありはしない、と。だからこそ願いを叶える時の制約など考えもしなかった。願いを叶える事で自らが不利に陥る状況にならないように、と手を回す事すらしていなかったわけだ。
願いを叶えれば魔神ウルは消滅する。
しかし叶えなくとも叶えられなかった代償で力を大きく失うだろう。妹の時は封印されていた年月も関係していたかもしれない。だからこそ叶えられないとなった時に、思わず精神が妹に乗っ取られて表に出る事も許してしまったのだろう。
今回は何百年も放置状態になる願いではないが、叶えてほしいと望んだ者の数が多い。一人の願いではないのだ。叶えられないとなった場合、折角少し戻った髪が今度は根本から根絶されるかもしれないし、何なら先程治ったはずの怪我以上にダメージを負うかもしれない。
それでなくとも先程私の言葉に魔神ウルは頷いてしまったのだ。願いをきこうと。
話をただ聞くだけとは訳が違う。叶えるべくきくと言ったも同然なのだ。
願いを叶える事を拒否するのであればそれでもいい。正直そろそろ限界ではあるが、まぁ最後に一戦やらかすくらいはどうにかなる。私が駄目でもゲイルやその他が頑張るだろう。私が抜けてもどうにかなるであろうと思っている。魔神ウルが復活した直後であれば、まだ願いを叶える事ができない状態に陥る前の魔神ウルであったならばと考えると無事では済まなかっただろう。けれど、妹の存在が出てきてしまった魔神ウルは、あの頃と比べると大幅に力を削られたも同然なのだ。魔神ウルが契約破棄とばかりに妹の存在を切り捨てる事ができていれば……話は違ったかもしれない。だが既に自分の中に取り込んだ存在だ。部屋に置いた置物が気に入らないから部屋の外に出す、というのとは違う。
魔神ウルをじっと見る。
その表情は信じられないと言わんばかりだ。きっと、今奴の目にはこちらが得体の知れない化け物にでも見えているのではないか、という程に。
「あ……あ、あぁ、それは、その願い、は……」
願いを叶える事で力を得る事はできる。だが、叶えれば消滅。回復以前の話だ。叶えなければ力を失う。最悪消滅も有り得る程に。
「悪い話ではないと思うのだがな。叶う事のない願いを抱えた奴を身の内に取り込んで、永遠にあり続けるよりは」
生まれ変わりがどうとか正直どうでもいい話ではあるのだが。妹はいっそ素直にここで死んで、来世に賭けた方がいいのではないだろうか。前世の記憶なんぞそうそう簡単に引き継ぐようなものでもない。生まれ変わって姉とやらの事をすっぱり忘れて新しい人生謳歌した方が余程建設的だ。
「さて、どうする? 魔神としての矜持を捨てるか否か。この願いはただそれだけの話だ」
望まれて死ぬか、望まれずに死ぬか。もっと言ってしまえばそれだけの話だ。死ねばどちらであっても変わらない、が……魔神ウルにとってはどうだろうな。
「…………フローレンス…………すまない。あなたの願いは叶えられなかった」
小さな呟き。魔神ウルの瞳から、涙が一粒零れ落ちる。
恐らくはそれが妹の名なのだろう、と思った頃には、涙が地面に落ちる頃には――
魔神ウルの姿はどこにもなかった。
終わった、と思ったのとほぼ同時に。
かなりの広範囲崩壊していた神殿が、更なる崩壊を進める。魔神が消えれば魔神とセットになってたも同然なこの神殿も当然消える。足下から崩壊し始めた神殿に、抗う間もなく身体は落下していた。
神殿に侵入した時にはあまり思わなかったが、こうして崩壊して落下している状態だと思った以上にここは地上から高い位置にあったのだと知る。外が見えるようになった時点で薄々そんな気はしていたが。
このまま落ちればこの身体もただでは済まない。だが、まぁ、あと一度くらいなら障壁を張ってどうにかなるだろう。そう思いながらも他の連中はどうしているだろうかと視線を巡らせる。
抱えられていたレオンは今は形勢逆転とばかりにカノンを抱えて飛んでいる。
ゲイルは浮いていた。まぁ、奴ならそれくらいやるか。
クライヴは魔剣の力を使い、足場になるような氷を作りじわじわと下へ移動していっている。一度踏めば澄んだ音を立てて崩れる氷のせいで、まるで空を駆けているように見えないこともない。
カインも魔剣の力を使ってはいるが、大地に向けて炎の柱を作り出してその熱と同時に発生する風でもってじわじわと落下速度を下げているといった感じだ。
何にせよ本来の魔剣の使い方ではないな……と思ったが、本来の使い方ではない方法をあっさり使っているというのはある意味で凄い事ではないだろうか。そもそもまともに使いこなせる者の方があの手の魔剣は少ないのだ。
宿主が気にしていた小娘は……エリックが抱えていた。
てっきり奴なら見捨てているかと思ったが、一応弟を勝手に消し炭にしたという負い目くらいはあったらしい。状況が状況だけに小娘も不本意極まりないと言った顔をしているが、暴れたりはしていないようだ。エリックもまたゲイル同様浮いているので、こちらも心配する必要はない。
ふむ、となると特に対策もなく落下しているのは私だけか。
とはいえ慌てる事もなく、落下する前に障壁を張れば済む話だ。衝撃を完全になくすことは難しいかもしれないが、まぁ、死ぬことはないだろう。
タイミングさえ間違わなければ。
徐々に近づいてくる地面を目に、タイミングをはかり障壁を張ろうとして――
そこで、小娘が今更のようにこちらを気にしたのだろう。奴の目に果たして私がどう映ったのか。
きっと、何も対策をしないままに地面へと落下しているように見えたのだろう。そんなはずがあってたまるか。
だがこちらの心情を知ることもなく小娘は抱えていたエリックから逃れ――というか肘を顔面に容赦なく叩き込んでこちらに向かって飛んだ。というか落ちて来た。
「兄弟子殿……ッ、兄……シオン!!」
恐らくは、弟が死んで思う事でもあったのだろう。ここに来る前は弟とは関わるつもりなどないと言わんばかりだった態度だったが、ここに来てからは多少なりとも歩み寄ろうという姿勢が見え隠れしていた。きっと、育ての親と化していたウォルターに生贄扱いを受けた事や、魔神ウルと戦った時に躊躇う事なく自分の腕を犠牲にしたのを目の当たりにした挙句、最後は自分を庇っての死だ。
もしや私が宿主を道連れに死のうとしていると思ったのかもしれない。
だが、そこでお前が飛び込んできて一体何になるというのか。それもよりにもよって、今そこで!
少々早いが仕方がない。障壁だけは展開させておく。あとはこれがちゃんと維持されている事を願うのみだ。
最終的にそうなる予定ではあった。宿主を半ばだます形で私が表に出てきた時点で、戻る方法はそうする事だったのだから。
私のもう一つの名が宿主と似ていた事も功を奏したと思っていた。けれど、このタイミングは……
「あっ、し、シオン……?」
一度口から出てしまえば、二度目は思ったよりも抵抗なくするりと呼ぶことができたのだろう。
「えっ、ちょっとどういう……?」
(あとはどうにかしろよ、宿主)
――そう。表に出てきてしまった私が戻る方法は、小娘が宿主の名を呼ぶ。ただそれだけの事だった。




