どうやら危険人物らしい来訪者と、逃げたワイバーン
振り出しに戻るというのはこういう事なんだと思う。
漠然とそんな事を考えながら、僕は歩を進めていた。
応接室までの道程は正直なところハッキリと覚えているわけではなかった。
なにせ網から出された後、追い立てられるようにしてやって来たからね。周囲を見回してあちこち観察なんてする余裕はなかったし。
それ以前にあれは本当に応接室と言っていいのかも疑問だ。
普通応接室って玄関からそれなりに近い位置にあるような気がするんだけど……出迎えた客を案内するのに一番奥とか……いや、場合によってはそういうのあるかもしれないけど、そういう相手なら応接室とはまた違う部屋に案内するのか?
なんかわからなくなってきた。
そもそもここはレオンの城(中古物件とは言え)だし、配置がおかしいのは今更のような気もしている。
「……ふむ、どうやら一応言っている事は本当らしいな」
何かを納得するかのように呟かれた言葉。それに対してつい反射的に何が? と問いかけそうになる。
それ以前に一体何を疑われているのだろう? 聞いていいのか微妙に困る。
メトセラも同じような考えを浮かべたのか、怪訝そうな表情を思わず男に向けていた。対して気にする風でもなくメトセラに向けられた表情の意味に気付いた男は、ほんの一瞬だけ間をあけて口を開いた。
「あぁ、何。大した事ではないのだ。顔見知りだとか言っていたが、本当かどうかをちょっとな……万一賊であった場合は斬り捨てるつもりだったのだが一応レオンの元へと近付いてはいるようだし。私の考えすぎだったようだ」
悪びれもせずに言い放たれたが、それはつまり僕たちがちょっとでも怪しいと思われる行動を取ったら賊認定されてたって事かな? っていうか本人目の前に斬り捨てるとか平然と言わないで欲しいよ怖いから。
「……それ以前に、近づいているというのは何故わかる?」
「気配」
さらりと言われた言葉に、この人只者じゃないという思いと、ついでにどういうリアクションを返すべきなのか悩む。
「……兄弟子殿、奴を案内し終えたら早急に撤退した方が良さそうです」
「あぁうん、僕もそれが最善の方法だと思う」
一応声は潜めてみたが、恐らく聞こえていることだろう。
いや、聞こえているのはこの際どうでもいいんだ。引っかかるのはむしろ……
「どうかしたのかね?」
急に足を止めた僕に対して、数歩分の距離をあけたまま向こうも立ち止まる。二、三歩先へと進んでしまってからメトセラも立ち止まった。
「どうかしたも何も……気配でレオンの所に近付いてるっていうのがわかるなら、ここから先は自力で進めるんじゃないですか? ここから応接室までそう遠くないはずだし」
そう、事実何かが壊れる音が聞こえてきたりしているのだ。悲鳴や叫び声が聞こえてこなくとも、何らかの破壊音は聞こえてきているのだ。気配を察知できない僕にでさえ、応接室に行くのに音を頼りに進めばここからなら余裕で一人で辿り着けるだろう。
できる事ならあの魔女とは遭遇しない方向性でいきたいのだが。メトセラの件もあるし。
けれども彼は、ふぅ、と小さく息を吐き、軽く肩をすくめてみせた。
「私はね、君たちに案内を頼んだのだよ? そしてまだそれは終了していない。言っている意味がわかるかね?」
口調こそ穏やかに笑っているかのようではあるが、その目は笑っていなかった。言外に脅しが含まれているような気がするのは、決して気のせいではないだろう。
レオンの知り合いだけあってか、この人もマトモそうだと見せかけて何気にヤバい人だと今更ながらに実感する。
「なに、案内さえ済んでしまえば後はどうしようともそれは君たちの自由だ。城の中を物色するのもここから逃げ出すのも、それは私の関わる事ではない」
あぁ、やっぱさっきの会話は聞かれていたのか。にしたって、それならやっぱり案内にこだわる意味がないような……
さっきの言葉からして、どうにもこの人は僕たちがレオンと本当に知り合いかどうかを試しているのだろう。賊であるなら斬り捨てるという発言も、恐らくはまだ有効な気がする。
レオンが誰ですか~とか無駄に笑えない冗談でも言わない限りは大丈夫……うん。この状況でそんな事を言えるような余裕はない……はずだ。師匠じゃあるまいし。
となると、あくまでも注意を払うのは魔女だけか……
応接室に近付くにつれて何かえげつない音が聞こえてきてるから、まだまだ交戦中なのだろう。
城全体を揺るがすような衝撃が何度かあったくらいだし、てっきりドアなんてものはとっくのとうに粉砕されたものだとばかり思っていたが、恐ろしい事にドアはちゃんとくっついていた。
……部屋の中は一体どんな惨劇が……想像したところで、現実は僕の予想を超えているだろうから出来るだけ平常心を保つようにする。
もう目の前まで来たようなものなのだから、ドアくらいこの人が開けてくれないかなとも思ったけど、僕かメトセラのどちらかがドアを開けてレオンの顔を見るまでが彼の言う案内なのだろう。
背後から妙なプレッシャーをかけてくるのを感じつつ、仕方なしにドアを開ける。
「………………」
ドアを開けて僕が見たものは、カインとヴァレリアが手にしたそれぞれの武器で鍔迫り合っているところ……だったんだけど。
カインの武器はともかく、ヴァレリアが持っているのはどう見てもパラソル。刀と互角に渡り合ってるのって何かおかしくないか? それ本当にパラソル?
それ以前に、何でこんな力比べみたいな事になってるんだろうか……?
この瞬間、心底どうでもいいが僕の中の魔女のイメージが音を立てて崩壊した。
折角逃げ出した場所へ戻る事になったという事実を嘆くべきか、それとも知っている顔が未だ無事であった事を喜ぶべきか……
どちらかのリアクションを取れていれば、事態はもう少しマシなものになっていただろうか?
そんな風にすら思う。
レースがふんだんに使われた、僕からしたらゴテゴテしたとしか言いようのないパラソルが、刀とマトモにぶつかり合っても傷はおろかレースが裂けたりなんて事もないのは、やっぱり魔女の力とかそんなんなのだろうか……
現実逃避と言われても仕方のない事を漠然と考えながら、僕は数歩後ろへと下がった。生憎この部屋に入るつもりはない。これっぽっちもない。
メトセラはドアを開ける直前で、ドアの影になるような位置へと移動させた。室内から見えるのはドアを開けた僕と、その背後にいた来訪者だけだろう。
姿が見えなくても気配を読む事のできる相手ならば、この程度の対策など気休めにもならない。それは僕も重々承知の上だ。
僕がドアを開けて最初に見たものは、力比べ状態になっているカインと魔女の姿。
次に見たものは、黒々とした森。そう、見間違いでもなんでもなく、森だった。
ワイバーンが突き刺さり、城全体を揺るがした衝撃。早々に城そのものが崩壊していても不思議ではないが、そこら辺はレオンが何かよくわかんない仕掛けでも施しておいたのだろう。そう思いたい。
しかし惨劇の中心地とでもいうべきこの部屋は、随分と大きな穴が開いて、風通しが良くなっていた。
そういやレオンの姿が見えないな? 思わず視線を移動させる。
……天井に張り付くようにしていたのが見えた。つい咄嗟に視線を逸らす。
破壊音だけは先程からしていたせいだろうか。僕がドアを開けたくらいの物音じゃ誰一人気付きもしなかったが、だからこそどう声をかけるべきか悩む。
ちらりと後ろに立っていたレオンの知り合い(仮)を見る。案内は済んだ。後はレオンにこの人を任せて逃げるべきなんだろう。
そう思いはしたが、先程まで一応笑顔だったその人の表情が剣呑なものへと変化している事に気付く。
……目が笑っていないあの表情を笑顔と言ってしまっていいものかは微妙だが、今浮かべている表情は明らかに不機嫌なものだ。機嫌を損ねる原因がよくわからない。
「……っ!? この馬鹿ッ!! 逃げろと言っただろうが!!」
前方に魔女、後方に名も知らぬちょっと危険そうな来訪者。立ち位置的にも状況的にも板挟みな僕に最初に気付いたのは、カインだった。
「や……逃げるつもりだったんだけど……」
そこでふと気づく。
…………いやまさか気のせいだろうと自分に言い聞かせ、僕はもう一度振り返った。
「って、お前どこからそんな物騒なの連れて来た!?」
戻って来た僕の姿に気を取られて、すぐには気付かなかったのだろう。そして、僕の背後の存在に気付いたカインの顔は……
髪の色こそ違えど、背後に立つ人と同じものだった。
着ている服と髪の色を、どちらかがどちらかに合わせれば、僕には見分けがつかなくなるくらいに……それくらい二人の顔はそっくりだった。
「ちょっ……なんで貴方がここにいるのよぅ!?」
動揺したのはカインだけではなかったようだ。先程まで目を爛々と輝かせてカインと向かい合っていたヴァレリアの顔色が、一瞬で青ざめる。
……正直聞きたくないけど、僕の背後にいる人ってそんな危険人物なんですか……?
問いかけた所で肯定されるだけであろう事は、何となく予想できた。できてしまった。だからこそそれを口にする事はなかったのだが。
下手に動いたら何か一気に僕の身が危険に晒されるような気がするので、動けません。
時間にして数秒だろうか。先程まで対峙し合っていた二人が僕の背後へと視線を向け、レオンは何か言いたげにしたまましかし天井から離れる事はせず、メトセラ……も恐らくどう動くべきか考えているのだろう。
誰もが下手に動けないまま、白カイン(仮)の動向を見守るしかできないその中で真っ先に動いたのは……
きゅおーんと高らかな声を上げ、城に突き刺さった状態からようやく抜け出せたワイバーンだった。
……あ、生きてたんだ。あまりにも長い事動かないからてっきりそのまま首の骨でも逝ったかと思ってたんだけど。
そんな暢気な感想を抱いたのは、そのワイバーンがおもむろに魔女ヴァレリアを銜え、すっかり見通しの良くなった元は壁のあった場所から飛び立って、魔女の上げたと思われる悲鳴が聞こえなくなってからだった……