訪れた平穏とちょっとした報せ
恐らくは、相当な無理をしていた。
本人は無意識だっただろう。だからこそ自覚はしていない。
けれどその身に溜まった疲労は紛れも無い事実で。
だからこそ泥のように眠って眠って、そいつの目が覚めたのは数日が経過してからだった。
来て早々に大まかな説明だけは受けていたため、どこに何があるかは既に全員が知っている。
とはいえ、それでもやはり人様の住居だという遠慮があるのだろう。ずかずかとあちこち移動する事もなく、限られた場所しか移動しなかったそいつはどこか警戒するかのようにそろりそろりとした足取りでリビングへとやって来た。
「えーと……おはようございます?」
どんだけ寝てんだよ、と普段なら言うところだ。そう、普段なら。
けれども今までの状況を考えると、そういうわけにもいかない。
俺は手にした封筒をそのままにちらりと視線だけを向けて――「おぅ」とだけこたえた。
それから、手にしていた重厚なデザインの封筒を開けて中の手紙を取り出す。
「師匠宛の手紙なんですか? それ」
不思議そうに俺の手元を見て言う馬鹿弟子の言いたい事はなんとなくわかる。ここが俺の家ならともかく、そうでもないのに俺宛の手紙が届いているという所が不思議なのだろう。
「流石の俺も他人の手紙勝手に開けるわけないだろ」
「でもここ、ウィンディの家ってか隠れ家ですよね?」
「まぁ普通の手紙じゃないからな。どこにいたって届く」
答えながら手を動かすのは止めない。丁寧に折り畳まれたそれをガサガサとやや乱暴に引っ張り出して広げる。手紙の内容が気になりはするものの、何だか難しい話の気配を察知しているのだろう。少しばかりこちらを見ていたが、まぁいいやとばかりに馬鹿弟子は洗面所へと向かっていった。
あっちにはもう一人の弟子がいたはずだ。……ふむ。
何となくこの先の展開が読めたので、俺はひとまず手紙を置いてまずは紅茶を淹れる事にした。
「兄弟子殿!? もう大丈夫なんですか?」
ここから洗面所はそう遠くない。どころか隣接している。だからこそ、扉一枚隔てていてもその声はとてもよく聞こえてきた。
馬鹿弟子は顔を洗い終えた所だったのだろう、顔を拭いているか何かでややくぐもった声だったが、何やら返事をしているのが聞こえる。
「大丈夫……って、別に怪我して寝込んだとかじゃないし、むしろ寝すぎた感じがするけど。そんな心配するような事なんてないよ?」
状況を理解していない馬鹿弟子の言葉は、とても暢気なもので。
だからこそ、もう一人の弟子でもあるメトセラはきっと今沈んだ表情をしているんだろうなと見なくてもわかる。馬鹿弟子もその顔を見たらしく、
「……一体何があったの? 僕が意識を失ってる間に」
ある意味で地雷ともいえる質問をしてしまった。
まぁ、馬鹿弟子馬鹿弟子と言ってはいるが、あいつの頭は別に悪いわけじゃない。ちょっと考えれば普通にそこに辿り着く。
あの時からメトセラも、カインとクライヴの奴も微妙に馬鹿弟子に対する態度が変わったからな。気付かない方がおかしい。
「大丈夫なら、それでいいんです。何があったかは……私よりお師匠から聞いた方が確実かと」
「んー……あの人がマトモに説明してくれるってのが確実ならそうだけどさ。別に今更何があってもそんなに驚かないからさ、教えてよ」
ふむ、流石馬鹿弟子。俺に関してとても的確に理解している。真正面から聞かれた所で俺は面倒だから必要に駆られない限りは答えるつもりがないという事を、充分に理解できている。
メトセラはきっと、言われて素直に答えるべきか悩んでいるのだろう。だがしかし、あいつは大概馬鹿弟子に甘い。兄弟子と慕っている相手が、自分を頼りにしているという状況でしかし教えないという事にはならないはずだ。
俺の予想通りに、少しもしないうちにメトセラの声が聞こえた。
「兄弟子殿が意識を失った直後――ちょっと魔王アイオンが復活しかけただけです」
きっととっても控えめに表現しようとはしたのだろう。だがしかし、それは全く控えめでもなんでもないどころか、ド直球な爆弾発言だった。
「どーいう事ですか師匠ォォォォ!!」
馬鹿弟子がメトセラを連れてリビングへと駆けこんでくる。俺はというと淹れた紅茶のカップを片手に手紙に目を通しているところだった。
ちなみに馬鹿弟子とメトセラが洗面所で会話している途中でやってきたウィンディもまた俺の隣に座り、紅茶を飲んでいる。
ちなみにこの紅茶は俺が淹れたものではない。カノンだ。いいタイミングというべきか、キッチンからは茶菓子を乗せたトレイを手にカノンも姿を現した。
この状況だとレオンもそろそろやって来るか、と思いきや既に茶菓子を乗せたトレイに視線を固定させたままのレオンがカノンの背後から回り込んで行儀悪くも手を伸ばそうとしていた。速攻でカノンに手を叩き落とされていたが。
駆けこんできた馬鹿弟子にも茶を勧めて、一先ず席につかせる。
言われるままに座り、茶を一口飲み込んで。それから改めて詰め寄って来る馬鹿弟子に、俺は呆れた視線を隠す事なく向ける。
「は? そもそもお前に魔王の残骸があるっつーのは言っただろーが。それでうっかり魔王が復活しかけたからって何を今更」
むしろ俺からしたら当然の流れだったというのに、馬鹿弟子は思い至りもしなかったらしい。
椅子から落ちて膝をついてガクリと項垂れている馬鹿弟子に、俺は小さな溜息を一つついてから馬鹿弟子の席に手紙を置いた。
「そんな事より予定通りヴァレリアの始末が完了したようだ。手間が省けたな」
魔王復活の兆しをそんな事呼ばわりした俺に対してもちょっとばかし刺々しい視線を一部の連中が向けてきたが、俺の告げた事もそれなりに爆弾発言だったのだろう。その場にいた全員が「は?」と思わず間の抜けた声をあげた。
「ちょっと待て、予定通りってなんだ予定通りって」
「ははは、裏で色々と小細工した甲斐があったってものだな」
馬鹿弟子が席につくちょっと前にやってきたカインが納得できないとばかりに言うが、俺としてはまぁ当然の結果だなとばかりに爽やかに笑っておくことにした。いやだってなぁ、これ下手したら無駄足で終わるかもしれなかったんだぜ?
「というかその手紙、気のせいかと思ったけど紛れもなく異端審問官からの封書じゃないか……?」
テーブルの上に無造作に置いた手紙に目を向け、クライヴが引きつりつつも呟く。
まぁ、異端審問官ってのは魔女とか魔族とか専門に対処する機関に所属してる奴だからな。人に害を与えなければ別段怖れる心配もないが、それでも何かの間違いで襲われないとも限らない。警戒するのは当然か。
ある意味でここにいる全員とは無関係とはいえないが縁遠い存在だ。まさかそんな相手からの手紙が来るとは思ってもいなかったのだろう。
「ま、これでようやく静かになるな。しばらくの間は引きこもってられそうだ」
「引きこもるのかよ……」
カインのツッコミは軽やかにスルー。
まぁでも、いくら周囲が平穏になったからといっていつまでもウィンディの所に世話になるわけにもいかないし、次の住居を探すとするか……
引っ越し先のアテはいくつかあるが……まぁ、そこら辺はゆっくり考えるとするとして。
俺は異端審問官という言葉に何を想像したのかとんでもなく顔を引きつらせている馬鹿弟子が、恐る恐るそっとまるで危険物を取り扱うかのような手つきで手紙を広げるのを眺めていた。




