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師匠は自称一般市民  作者: 猫宮蒼
一 弟子の章
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逃げ出したい妹弟子と、突き刺さったワイバーン



 恐怖、だったのだろうか?

 メトセラが上げた叫びは悲鳴というには悲壮感がなく、けれどそこには確かに恐怖があった。

 怒り――のようなものも僕はあったと思えるけれど、正確にわかるわけなんてない。

 何だか色々な感情が混じり合った叫びを上げたメトセラが次にとった行動は、あまりにも唐突すぎて僕には止める事ができなかった。


 容赦なく全力で。

 その細い腕の一体どこにそんな力が、と問いたくなったが数メートルは吹っ飛んだレオンと肩で息をするメトセラを見て、困ったように僕はカインへと視線をやった。

 カインもまさかこんな事になるだなんて予想してなかったのだろう。普段滅多に崩さない表情は、どこか呆気にとられていた。



「いいか、一度しか言わん。今すぐ私と兄弟子殿を帰せ」

 普段の淡々とした口調ではあるが、そこには絶対零度の空気が含まれている。直接言われているわけではない僕でさえ、背筋がひやりとした。


「つぅ……いきなり殴るのは酷くありませんか~?」


 吹っ飛んで壁に激突したレオンが、よろよろと起き上がる。見た目だけなら大したダメージは喰らってなさそうだ。ずり落ちかけたモノクルを直し、白衣の埃を払うように叩く。


「いきなりこんな所に連れてこられた挙句厄介事に巻き込まれかけてる相手に、酷いだの何だのと口にできた事か。巻き込んだ張本人が。

 むしろこの程度で済んでいる現状に貴殿は土下座の一つでもして泣いて喜ぶべきだ」


 確かに厄介事に巻き込まれているという部分は否定しない。しかしそれでも、メトセラがいきなりブチ切れる程の事だっただろうかとさえ思う。

 恐る恐るメトセラの表情を窺う。


 ……以前、見た事がある表情だ。あれはそう、確か連日雨が降り続いてじめじめとした憂鬱な日々の事。

 どこからともなく大量に湧いたナメクジを目撃した時の表情だ。

 この瞬間、レオンと大量のナメクジがメトセラの中で同等の存在になったのだろうかと考えてはみたものの、今それを考えるのは現実逃避以外の何物でもない。


 正直今この瞬間、どういう行動を取る事が最善で最良なのか――そんな事は僕にはさっぱりわからなかった。

 一番いいのは何かが起こる前にさっさと家に帰る事だ。しかしその為にはあの鬱蒼とした森を再び通らなければならず、更に徒歩で数日はかかるであろう距離をいかに安全に進むかが問題視される。

 森の入口に置いてきた馬車を使おうにも、そもそもあれ用意したのカインだしな……それ以前に僕もメトセラも馬術は素人という言葉で片付けるレベルを遥かに下回る。


 運良く森を抜けたとしよう。けれどその先、野盗の類と遭遇しないで家まで辿り着ける確率は……うぅん、考えれば考えただけ頭が痛くなってきた。


「あのー、とりあえず捨て駒になるつもりもないし、巻き込まれたくもないんでホント全力で今すぐ帰りたいんですけど。……まさかとは思いますが、僕たちが家に帰る事で何か不都合でもあったりするんですか?」


 これ以上ここにいてもメトセラのストレスが勢いよく増えるだけなので、狭いながらも特にこれといった厄介事のない我が家へと戻りたいんですが。本気で。


「どうしても帰りたいんですかー?」

「そうですね」

「今すぐにでも」


 困り果てたように言うレオンに対して、僕たちは瞬時に答えていた。


「……ゲイルの話を信じるならば、恐らく今頃はあの家に騎士団が突入しているらしいのだが、それでも戻るつもりか?」

「…………え?」

「騎士団……?」


 魔女とかいう単語が出てきたばかりだと思った矢先、今度は別の意味で面倒そうな組織名が出てきたせいだろうか。

 僕とメトセラは随分と間抜けな声をだしたものだと思う。


 や……騎士団が突入って……僕たちの家には一体どんな凶悪犯が潜んでいたんですか。

 それ以前に、まさか師匠がとんずらかましたのは、魔女からではなくて騎士団からなんですか。


「……えーと、ちょっと本気で展開についていけてないんで、できるだけわかりやすく状況説明お願いします」

「時間的猶予があとどれくらいあるかはわからんが、洗い浚い白状するがいい」


 何だかもうどっちに転んでも厄介事しかないような気がしてきた。気のせいならいいんだけど何かこれ気のせいじゃない気しかしない。



 魔女に魔族に騎士団と、一日の間に普通に生活してたならまず耳にしない単語……いや、騎士団はそうでもないかな。まぁいいや。とにかく日常でそんなに耳にしない言葉を立て続けに聞く事になったせいだろうか、胃のあたりが妙にキリキリとしてきた……

 ちょっと客室でも借りて、ベッドに潜り込んでそのまま事態が収束するまで寝込みたい気分です。



 無駄としか思えない広さの応接室の中心に、僕たち四人はテーブルを挟んで向かい合っていた。

 言いたい事、聞きたい事はそれこそ沢山ある。だがしかし、思いつくままに問いかけてしまえば恐らく肝心な部分を上手くはぐらかされかねない。師匠相手ではないものの、彼らもまた師匠の知り合いであるという部分を忘れていると、痛い目を見るのは間違いなく僕たちなのだ。


「ところで一つ聞きたいんですけど……お弟子さんたちは本当に何も知らないんですよね……?」


 さてどうしようかと思案を巡らせていると、レオンの方から問いかけられた。しかしその問いは、あまいにも抽象的なもので。

 何も……というのが一体何に対しての事象であるのか。


「知らないの部分が何を指しているのかわかりませんが、嘘をついて知らない振りをする必要性は今の僕たちにはありませんよ」


 言葉に嘘は無い。事実だ。しかしレオンはその言葉に何故か考え込む素振りをみせた。隣にいるカインは相変わらず何を考えているのかわからない。足を組み、こちらに視線を合わせる事もなく壁際にある振子時計を眺めている。


「……数日前、俺の所にゲイルから手紙が来た」


 会話に参加する事はないだろうと思われたカインが、ボクの予想を裏切って言葉を紡ぐ。カインの視線は相変わらず振子時計に向けられたままだったが。


「詳しい事は知らんが、騎士団に目をつけられたとか何とか。いきなり討伐隊組まれなかっただけマシ……とまぁ、そこら辺は置いとくとしてだ」

「いや、今何かさらっとスルーしちゃいけないような部分が……」


「ゲイル自身はその事について自力でどうにかするとか言ってたんだがな、問題はお前らだ」

「そりゃいきなり騎士団なんかが押しかけて来たらうろたえるし困りますけど」

「しかしだからといってよりにもよってここに連れてくる事もなかったのではないかと思う」


「カインの所にゲイルから手紙が来る数日前にはこの脅迫状が届いてたんですよねー。で、それはゲイルにも連絡済みだったんですけど」


 カインとは反対方向――暖炉のある方に視線を向けながら言ったレオンの声は、深刻さなどはこれっぽっちもなかった。まるで昨日の夕飯のメニューを呟いたかのような、うっかりすると聞き流しかねないほどのもので。


「ここに連れて来るように指示したのはゲイルだ。……そう遠くないうちにここに魔女が来るという事実を知った上でな」

「一応そこら辺上手く誤魔化しておいてくれとか書かれてたような気がするんですけどねー。そもそも無理ですよそんなもの。誤魔化される程のバカなんてそうそういませんよー」

「最低限努力はしたがな」

「まぁその努力も早々に放棄しましたけどねー」

「つか、自力でどうにかするとか言っといてとんずらだからな」

「ホント、困った人ですよねぇ……」


 確かに師匠は困った人だが、あんたらも同類だと思うんですが。

 打ち合わせでもしたかのように同時に溜息を吐くのを見て、心の奥底からそう思う。

 ……というか、それじゃあカインがうちに来た時のあの剣幕は……半分は芝居だったという事なのかな?


「限りなく譲歩するとして、その魔女がやって来た時に僕たちこの城のどこか適当な所に隠れてやり過ごすとかできないんですか?」

「恐らく話し合いなんて穏便な手段で解決しないと思いますんで、下手したら隠れた部屋の天井がいきなり崩れてきたり、壁が雪崩のように押し寄せてきたりするかもしれませんけど……それでもいいと仰るならば好きな場所に隠れるといいですよ」

「城崩壊レベルでの危機なんですか……」


 安全な場所の確保もままならないとか……それはそれでどうなんですか。師匠もどうせ僕たちを避難させるつもりがあるならもうちょっと場所は選んでほしかったです。


「……こちらからも確認したい。ここにやって来る魔女は、本当にヴァレリアなのか? ついでに来るとするならば、それは大体いつぐらいになる?」


 メトセラの問いかけに、レオンは先程の僕には全く読めない手紙を取り出して視線を落とす。


「正確な日時は書き記されてませんけどー……正直いつやって来てもおかしくないですねー。ついでに本人直々に来ると思いますよー」

「…………そうか」


 沈痛な面持ちのメトセラに、流石にレオンも何か思う所があったのか。

 少しばかり安心させるように声のトーンを上げた。


「大丈夫ですよー、こんな事もあろうかと森には守護獣配備してますから。ここに辿り着く前にいくらか魔力を消耗しておいてくれると助かるんですけど……」

 レオンの言う守護獣とやらがどんなものなのかは実物を見ていないので何とも言えないが……全くの役立たずにはならないだろう。多分。

 しかしメトセラの表情は相変わらず曇ったままだ。


「……奴がノコノコと地上からやって来てくれれば……の話だがな」


 吐き捨てるかのように呟かれた言葉の意味を問う間はなかった。

「それってどういう――」


 僕の言葉を遮るようにして、轟音が響く。何が起きたのかを理解するのに、どれくらいの時間を費やしただろうか。

 先程までカインが視線を向けていた振子時計があったあたりの壁が、積み上げた積み木を無造作に崩したように無残な状態になっているという事実でさえ、認識するまでに酷く時間がかかった気がする。

 灰色の何かが、外から突き刺さったのだという事をようやく何とか理解して。


 その灰色の何かがワイバーンである事に気付くまで更に数秒。

 がらがらと壁の一部が崩壊する音がそれなりに治まった頃、遅れて僕の悲鳴が響き渡った――

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