どうにか乗り越えた危機と合流先
どこからどう見ても戦力外である僕が、本来ならせめてもの護身用にと何かそれっぽいものを持っておくべき状況でも何も持たなかったのには訳がある。
ナイフなんて持ったとしても自分じゃマトモに使いこなせないし、しかも相手が人間であった場合、そのナイフを逆に奪われて終了するのが目に見えているし、それ以外の何かを持っていた場合であっても自分で上手く使うよりも、自らを追い込む結果にしかならないというのが恐ろしい程にハッキリ想像できるからだ。
事実、数年前の話だが僕は台所から胡椒の入った瓶をポケットに忍ばせておいたのだが。
その昔、僕と師匠だけしかいなかった小屋に指名手配を喰らい逃げている真っ最中だった犯罪者が転がり込んできた時、危うく人質になりそうだった僕は当然ポケットに入れておいた胡椒を使ったさ。
結果、そいつと僕は仲良くくしゃみを連発し、そろって涙目になったわけだが。
胡椒は思った以上にキツかった……うん。
呆れた眼差しを向けた師匠にとりあえず助けてもらいはしたけれど、それ以来、
「お前、もうホント、下手に手を出すな。マジで」
と一言一言区切るように言われたら、ねぇ……?
……と、僕が小さなナイフも胡椒の入った瓶も、それ以外の何か武器になりそうな物を持っていなかった理由はさておいて。
この部屋にどうしてタバスコなんてものが存在していたのか、とかいう疑問もさておいて。
うん、レオンの物なのかどうかもわかんないしね。確かにここはレオンの研究区画だが、数年空けている間によくわかんない人たちだって生活してたっぽいし。
どのみちマトモな用途で使わないタバスコについてなど、ここで考察する暇はない。
……ていうかこれ一体いつから箱の中に……中で恐ろしい変化を起こしてそうな気もするんだけど。……うん、まぁ、僕はこれを食卓にあげるつもりはない。
ヴァレリアは手から滑り落ちた杖を拾おうとしていたが、未だ姿を現さないメトセラを警戒しているようんだった。魔術を何発か喰らった、とはいえ僕の方は正直そこまで酷い怪我など負っていない。
精々師匠にノリツッコミを意味もなく喰らった程度だ。
メトセラを気にするあまり、僕の挙動には注意を払っていない気がするので、さっさとタバスコを拾う。
現在メトセラがどの辺りに身を隠して行動に移るタイミングを見計らっているのか、僕にもメトセラの居場所はわからないが、僕にわかるようじゃそもそもヴァレリアにとっくに発見されているので本気かつ全力で身を潜めているんだろう。とりあえず今の所、タバスコを投げたらメトセラにまで被害が拡散しました、という展開になる事はなさそうだ。
タバスコを拾い、蓋を若干緩めておく。ついでとばかりに転がっていた物の中から適当に投げやすそうな物も拾った。
警戒しながらも杖を拾おうと膝を折り、手を伸ばしたヴァレリア目掛けて。
「てぇい!」
僕は適当に拾った物を投げつけた。
「さっきから鬱陶しいッ!!」
再び顔に命中する事を避けたかったのか、利き腕とは逆の手で杖を持つと、それを振り払うようにして杖で薙ぎ払う。利き手ではないため若干動きが鈍かったが、それで充分だった。
その時には既に僕はタバスコ入りの瓶を投げつけていた。
理想としては杖で振り払われて、その拍子に蓋が開いて中身がドバーとかいうのがベストだが、恐らくそう都合良くはいかないだろう。瓶本体を叩き落とされたら、いくら蓋を緩めておいても無意味だ。
だからこそ、振り払われたり叩き落とされたりしない状況にする事が必要だった。幸いにして投げる物には困らないこの状況。珍しく、本当に僕にしては珍しくこの読みは成功した。
投げる直前、更に指で蓋を緩めるようにして投げたのが良かったのか、これまた都合良くタバスコの瓶は放物線を描いて魔女の方へと飛び――勢いで蓋が開いたのか液体が飛散した。
そしてそのまま魔女の顔面に降り注ぐ。
追撃された物があったのは理解できていただろう。
けれどそれがタバスコであった、という部分までは予想できていなかっただけで。
悲鳴、というよりは咆哮と呼ぶべきもののような叫び声が上がる。
咄嗟に目を閉じようとして、それでも間に合わなかったのだろう。ヴァレリアは、自らの手で目を抑えるようにして叫び声を上げている。
絶好のチャンス、なのだろう。この状況では魔女もマトモに魔術を扱えないはずだ。
「……やって、くれるじゃないの……このッ……」
痛さで目を開ける事もままならないはずだが、それでも無理矢理片目だけをこじ開け、こちらを睨みつけてくる。そしてそのまま掌をこちらに向け――魔術が、放たれた。
「ぐっ……!」
痛みのせいで集中できなかったのだろう。高威力の魔術ではなく、マトモに詠唱をせずとも発動できるような初歩中の初歩、そんな魔術だったが、無効化も反射する事もなくそれは僕に命中する。
「……は……ッ、なるほどねぇ……」
今更、魔女は僕に通用する術の種類に気付いたようだった。けれど、もう遅い。
がたん、と大きな音を立て、物陰からメトセラが姿を現す。自分のすぐ近くで大きな物音が立った事で反射的に魔女がそちらへと向き直った。
「――ッ!?」
予想以上に近くにいたメトセラに、瞬時に反応できなかったのだろう。それでなくとも眼球にタバスコという刺激物が襲い掛かり、痛みを堪える方向に意識が集中しているような状態だ。メトセラは、大鎌を大きく振り――
「奇襲かけるならもう少し静かにやるべきだったわね!!」
折角今まで上手く隠れてたのにねぇ、と嘲るように言うと、魔女はメトセラの手にしていた大鎌を奪うように掴んだ。
「奇襲? 違うな」
あっけなく、あっさりと手を鎌から離すと、メトセラはそのまま魔女に飛び掛かるように突っ込む。勢いがあったためか魔女に馬乗りになるように雪崩れ込み――
「さて、この状況でその鎌をどう使うというのだ?」
「ハッ、鎌なんて使わなくとも、この距離なら術の一つも使えば簡単に仕留められるわ」
挑発するように言うメトセラに対して、嘲るように笑う魔女。
しかしその表情は、瞬時にして凍り付く。
「残念だったな、ヴァレリア。貴様の負けだ」
「そんな……っ、どうして!?」
利き腕を使えない状態の魔女から大鎌を奪い返すと、メトセラは無造作に周囲を薙ぎ払うように動かして――周囲に積み上げられていた箱が、音を立てて崩れ落ちる。不安定に積み上げられた箱はぐらぐらと揺れていたため、薙ぎ払うというよりは自分の方に向けて引っかけるようにしただけで簡単に崩れて降り注ぐように落ちた。
聞こえてきた悲鳴も、箱にかき消されるように小さくなり、やがて聞こえなくなる。
「……何とか、上手くいった……のか?」
ギリギリで脱出したメトセラを見て、思わず僕は呟いていた。
この後まさかのどんでん返しとかないよね……?
――作戦と呼ぶにはあまりにも子供騙しなそれは、一体僕の何年分の運を使い果たしたのかわからないが、とにかく上手くいった。
というか、時間稼ぎとか言っておいて師匠は本当にどこで何をしているんだろう。
時間稼げとか言ってたくらいなんだから、ギリギリな部分でせめて助けに来てくれても良かったと思うんだ。
……まぁ、何とかなったからいいようなものの……師匠め。
「よいしょ……っと」
魔女によって塞がれていた出入口の障害物を二人がかりで移動させて、そそくさと部屋を出る。
「どうにか……なりましたね」
パタンとドアを閉めて、ほっと安堵の息を吐くメトセラ。
「うん……」
「兄弟子殿、大丈夫でしたか?」
「あぁうん、大丈夫」
「そうですか……良かった」
そう言うメトセラの表情は、本当に心の奥底から心配していたのだろう。僕の言葉を聞くと、先程以上の安堵の表情を浮かべる。
「えぇと……さ、いいの?」
「何がです?」
きょとんとした表情で聞き返すメトセラに、一瞬だけ言葉に詰まる。言っていいんだろうか。
「……ヴァレリア。あのままでいいの? メトセラにとっては仇みたいなものなんでしょ? 多分今なら気を失ってると思うから、トドメ刺すなら簡単に――」
「いいんです」
僕の言葉を遮るように言われる。
「今はとにかく、あの白いのをどうにかしないといけないでしょうし。私がトドメを刺さなくても、必要ならあの魔族とかお師匠がどうにかするでしょうから」
口調と表情から、本当にそう思って言っている事がハッキリと伝わってくる。それに――と、メトセラは困ったように笑みを浮かべて、続ける。
「私一人でどうにかできるような相手じゃありませんでした。それなのに私がトドメだけはしっかり刺す、というのも何か違うような気がしますし。
兄弟子殿が、あの時大鎌の事を言ってくれなければ、あんな風に使えなかったとも思いますから」
……そう。メトセラはすっかり忘れてるだろうなと思ってたけど、どうやら本当に忘れていたらしい。
レオンから借りたんだか貰ったんだか微妙なあの大鎌が、持っていると魔術を使えなくなるある意味呪われた武器であるという事を。
元々メトセラは魔術なんて使えないから、そんな呪いの事なんてすっぱり忘れてるだろうなと思ったらやっぱりだよ。魔女が何かの拍子に武器をなくして、その代わりとしてメトセラの武器を奪うように仕向ける事ができれば魔術を使えなくなるわけで。まさか魔女も奪った武器がそんな効果を持つ物だ、などとすぐに気付く事もないだろうから、一瞬の隙を作るだけならできるかなと思ってメトセラに耳打ちしたんだけど……まぁ上手くいって良かったよ、ホント。
「……正直さ、トドメ勧めるような事言っといてなんだけど、メトセラがそう言ってくれてちょっとホッとしてる。
ヴァレリアの命に関してはどうでもいいけど、やっぱり自分の目の前で誰かが死ぬ瞬間なんて見たくないし。綺麗事にしたって自分の知ってる人が誰かを殺す瞬間なんてのもあんまり見たくなかったからさ」
「兄弟子殿らしいですね」
微笑むメトセラにつられるように、僕も笑う。
「ところで、本当に大丈夫なんですか? 何度かは魔術、命中してましたよね?」
念を押すように聞かれたが、大丈夫だというように僕は頷く。
「大丈夫大丈夫。確かに何度かは当たったし、そこそこ痛い目見たけどあれ全部初級に該当する魔術だったし」
師匠の普段の魔術ツッコミに比べればむしろ軽い方だとさえ思う。
ちょっと勢いよく飛んだりしたかもしれないけど。
「初級……ですか?」
「うん、ついでに反射してたのが中級魔術に分類されるやつで、効果がなかったのが威力の高い魔術かな。推測でしかないけど、何度か喰らってそんな気がする。師匠に聞けば一発で答がわかるのかもしれないけど」
「……兄弟子殿に使われた、宝珠の作用でしょうか……?」
「あー、多分ね」
宝珠、というよりは、魔王の残骸の方って気もしないでもないんだけど。
けれどその部分の議論は、ここで答が出るわけでもないのでこれ以上考えても仕方ないだろう。
「とりあえずこっちは何とかなったけど……他の連中始末してこいみたいに言われたポチはどうなってるかな……あの人たちの事だからそんなに心配はしてないけど万が一って事もあるし……」
「お師匠がどこに行ったのか、っていうのも気になりますね」
「逃げた、とかじゃなければ本当にギリギリで戻って来ると思いたいけど……皆はどの辺にいるんだろ……」
探そうにもこの近辺じゃないのは確かだろうし。
遠くの方から何やら交戦中っぽい音が聞こえてくるとかでもないし。
「それではボクが案内しましょうか」
声は、本当に唐突に上から聞こえた。
「……レオン!?」
天井すれすれを飛ぶように、白い魔族がそこに……いや、それ以前にいつから居た。
「お弟子さんたちがこの部屋に逃げ込む直前あたりからでしょうか」
「人の心の声を読まないでくれるかな。ていうか、見てないで助けろ」
「えー、だってドア閉まったら開かなかったんですもの。入口一つしかないし、入れないんじゃどうにもできませんよ?」
「むしろその段階からここにいて、今現在他の連中がどこにいるのかわかるのか?」
もっともな疑問を放つメトセラに、レオンは事も無げに「使い魔がいますから」と言い放つ。
「とりあえず行くなら案内しますから急ぎましょうか。向こうもちょっぴりピンチっぽいんで盾……というか囮は多いに越したことがないと思います」
「うっわ、何か不吉な……そりゃ主戦力にはなり得ないけど」
「むしろ足手纏いになるような気しかしないのだが……」
「えぇまぁ、そうなんでしょうけどね。後々全員で一気に脱出、とかなった時にお二人だけ分断されてる状態だと困るでしょ?」
その言葉に不吉度が更に上がったような気がしたが、レオン相手に突っ込んでも詳細は聞き出せそうもない。つまりこれは……行けって事か……
レオンの話振りからして、まだ死人が出ていないのが幸いだと思う。
「それじゃ、ちょっと飛ばしますから、ちゃんとついてきて下さいね」
ばさり、と一度大きく羽を羽ばたかせると、レオンは僕たちの返事も待たず僕たちが見やすいようにか高度を下げ、普段とは比べ物にならないスピードで滑空した。
「ちょ、こら待てこっちの足の長さとかそういうコンパス考慮して飛んでけー」
それでなくともついさっきまで魔女としたくもない追いかけっこしてたというのに、そんなフルスピードで行かれたら追いつくどころか即見失うわ。
とはいえ、ここで文句を言っていても仕方がない。僕たちはレオンの姿を見失わないように必死に走り出したわけなんだけど。
――レオンに案内されて行った先は、正直とんでもない事になっていた……




