よくわからない対抗策と袋のネズミ
正直、何が起こったのかは理解できなかった。
そういや以前にもそんな事があったっけと漠然と思い返してみたが、だからといって事態の解決になるわけもなく。
あぁ、もしかしたらこれ師匠は何か知ってたんだろうな、とだけ。
そんな部分だけはしっかりと確信できた。
メトセラの手を引いて逃げ出したのは、本当につい先程の事だ。
ポチより遅いとはいえ、それでも充分早いであろうヴァレリアの足に追いつかれないように後先考えずにただ全力で走る。
至近距離と呼べる程に距離が縮まれば、ヴァレリアは迷う事も躊躇う事もなく僕たちに向けて魔術を放ってくることだろう。
運良く途中でヴァレリアの履いているヒールでもぺきっと折れてくれないだろうか、などと都合のいい事を考えもしたが、折れるならそもそもポチの肩から飛び降りた時に既に折れている事だろう。
というか、あのヴァレリアの事だ。履いているヒールはきっと特注か何かで強化されていても不思議ではない。一瞬よぎった考えを振り払うようにして、ただがむしゃらに足を動かす。
どれくらい走っただろうか。
ようやく真っ直ぐに続く道が終わりかけ、通路が分かれているのを視界で確認したものの、どこに向かって逃げるべきかを考えあぐね思わず速度が落ちる。
「兄弟子殿、こちらです!」
「え、でもそっちは……」
僕を追い越すように先行して、僕の手を引く形になったメトセラは躊躇う事もなく進む。
分かれていた道、片方はやや遠回りになるがそれでも外に出る事ができる通路。しかしメトセラが選んだのはそちらではなく。
考えがあるのかどうかはわからない。
メトセラの手は、相変わらず震えたままだったから。
ひゅん、と風を切るような音がして、僕たちを掠めるようにして何かが通り過ぎる。確認するまでもなく、ヴァレリアが発動させた何かの術。威嚇にしろ何にしろ、とにかく向こうは距離を縮めて直接僕たちに術を叩き込めば勝負はつく。そのために僕たちの足を一瞬でも止めようとしたのだろう。
……そんな事しなくても、そのうち追いつかれるような気はするんだけどな。
――その予感は、正直嫌な予感でしかなかったが、すぐさま当たる事となる。
メトセラが選んだのは、外へ繋がる通路ではなくレオンの研究室がある区画へと繋がる通路。
所々に何やら僕にもわからない物が適当に、そして乱雑に置かれているそこは身を隠すにはいいのかもしれない。けれど僕も正直レオンが研究室として使ってる一部の部屋は把握していても、この区画全体は流石に無理だ。
そして僕以上にこちらに足を運ぶ事の少なかったメトセラは尚更どこに何があるのかを理解していないだろう。
その結果、僕たちはある一室でヴァレリアと対峙する事になったのだが。
室内に入った途端、ドアを閉めて立て籠もる間もなくヴァレリアの魔術が炸裂した。ドアもろとも吹き飛ばされた僕たちは……いや、少なくとも僕は受身を取る事もなく床をごろごろと転がっていった。メトセラは手にしていた鎌を使って上手く止まり、僕同様意味もなく床を転がる距離を競うような事態にはならずに済んだようだ。
「兄……ッ!?」
手が離れた事に対する焦りか、未だ僕が無様に転がっている事に対する苛立ちか、もしくは心配か。メトセラが声をかけて駆け寄ろうとするも、それは直前で阻まれる事となる。
放たれた魔術。反射的に鎌でそれを受け流すメトセラ。倒れたままそれを見る事となった僕。とりあえず今のうちに起き上がろうとしたのだが。
どぅん、と重い音を立て、僕の横すれすれに魔術が撃ち込まれ思わず硬直する。
ヴァレリアの視線は、メトセラを入れてなどいなかった。無感情に、僕を見下ろしている。
「兄弟子殿に何を……ッ!?」
「だってお人形さん、その方が、貴女がより苦しむでしょう?」
表情に一切の変化はない。けれど、ぞくりとするような声で告げられ、メトセラは瞬時に意味を理解したのだろう。
えーと、つまりそれは僕はとりあえず見せしめとして……って事ですよね? 問うまでもなくそうなんだろうなぁ、と理解してしまって僕もまた表情を引きつらせていた。
「逃げてもいいのよ? 出来るならね」
言葉と同時にヴァレリアの術は発動した。起き上がる間も、転がって避ける間も何もないまま、無駄と思える程に眩い光を放つそれは、僕に命中して――メトセラの悲鳴が響いた。
――で、冒頭に戻るわけですが。
確かに命中したはずなのに、どうして僕は無傷のままなんでしょうかね?
手加減された、などという事実はきっと確実に一切無いだろう。
現に僕を見下ろしたままだった魔女の表情は、無表情から一転、驚愕のものへと変わっている。
……自分自身で何があったのかをしっかり説明しろと言われると、少々自信がないがこれだけはハッキリと言える。
師匠がこの場にいたら、恐らく確実に腹を抱えて笑っている事だろう。
もう何か、何もかもの元凶は師匠なんじゃないかって気さえしてるんですが。
過去に一度だけ同じような事があった。今は無き、レオンの城にてヴァレリアの使い魔によって放たれた何らかの術。それを喰らったはずなのに、何故か僕は無傷のまま。
あの時は使い魔が術を制御しきれずに暴走して自滅したものだとばかり思っていたのだが。
では今回は、一体どういう事なのだろうか。
確かに僕は、ヴァレリアの術を喰らった。それは間違いない。僕は体勢的にも避ける余裕もないし、ある意味ヴァレリアの間合い……いや、魔術を叩き込むという点では至近距離といってもいいだろう。仮にも魔女が、そんな状況下で術を外すなどという事はないはずだ。
それを理解しているからこそ、絶望的な状況にただメトセラも悲鳴を上げたはずで。
……そんなある意味絶望的な状況だったというのに、僕は無傷だった。実は死んでて意識だけが身体から出ちゃった、という展開も一瞬想像したけれど、普通に生きている。自分の身体を自分が見下ろしているなんていう事もない。
とりあえずヴァレリアが正気に戻って再び魔術を立て続けに叩き込んでくる前に身を起こす。立ち上がって、それでもヴァレリアはまだ呆然としたままだったので、今のうちにとメトセラの所へ小走りで近付いて。
「兄……弟子殿……?」
涙目になっているメトセラが確認するように呼び掛けてくるのを、正直何で生きてるんだろうなぁと思いつつも頷いて返す。
今のうちにできるだけ、一歩分でも距離を取りたい。
しかしヴァレリアも想定外の事実が起こったからといって、いつまでも現実を認識せずに意識を逃避させ続けたりはしなかったらしく。
ぼそりと呟かれた言葉を全て聞き取る事はできなかったが、それが呪文の詠唱だという事くらいは僕にでもわかる。それこそ舌を噛みそうな勢いの早口で紡がれるそれは、もはや詠唱というより呪詛といった方がいいかもしれない。
ごぅっ。
耳元で、風が唸るような音が聞こえた。
考える間もなく反射的にメトセラを背に庇い、無駄だと思いながらも頭を庇うように手で覆う。
詠唱そのものは聞き取る事ができなかったが、発動した術から大体を理解する。以前師匠が使っていた事のある術だったから、というのもあるが。
運良く最小のダメージで済んだとしても、腕は確実にズタズタになるだろうなぁ……と来るであろうダメージに身を竦ませていたのだが。
僕の予想を裏切るように轟風が身を刻む事はなく、かわりにふわりとしたそよ風が通り過ぎていく。
「……どういう事よ……」
次に聞こえたのは呪文の詠唱ではなく、忌々しげに吐き出された言葉。
正直それは僕も聞きたい。けれどそこで魔女と一緒になって首を傾げてやる必要などあるはずもなく。背後に庇っていたメトセラもそう考えていたのだろう。生じた隙を逃す事なく僕の腕を掴んで駆け出す。
「ぅわっ!?」
後ろ向きでの全力疾走は厳しいものがあるんだけどなぁ! ねぇちょっとメトセラ!?
何て事を言う余裕も今は無かった。
一度ならず二度までも術が効かなかった事で、魔女も多少ならずも警戒したのかどうなのか。
三度目の正直に賭けてまたも術を発動させる事はなかったが、かわりに別の手段に訴える事にしたらしい。つまりは、直接的に――物理攻撃である。
今回はパラソルを手にしてはいなかったが、どこに武器を隠し持っているかはわからない。相手が魔女だと気付かなければ迂闊に接近していたかもしれないが、僕たちに限ってそれはない。
……そういやパラソルは前回師匠に折られたんだっけ。その時術の制御がどうとか言ってたような気もするけど、もしかしてそれが原因なのだろうか。その割にコントロールは抜群だよなぁ。
正直後ろ向きのままメトセラに引かれるが如く走ってるわけですが……
ヴァレリアは何かに思い至ったのか、またもや何かの術を発動させようとしているらしい。キラリ、と決して見たくはなかった輝きが手元に見える。
あぁ、あの術も以前師匠が使ってたっけなぁ……街道で襲ってきた盗賊相手に。
出来ることならその術も僕には効果がありませんように……と、既に命中する事前提で何に対しての祈りかはわからないままに祈ってみる。当たらないに越した事はないのだが、僕の記憶違いでなければあの術は追跡型。……まず間違いなく高確率で僕に命中するだろう。
流石に何度も奇跡のような事は起こらないと思い、一応それなりの覚悟はしていたのだが。
「どーいう事よッ!?」
金切声を上げるヴァレリアの反応から大体の予想はついた事だろう。
しかも今回は何故か無効化されたわけではなく、反射してヴァレリアへと術が返されたのだからそりゃ叫びたくもなるだろう、うん。
「兄弟子殿には術の類が効かないんでしょうか……?」
「そう、じゃないと思う」
……別に全ての術が効かないわけじゃないんだよな。考えたら師匠の術のいくつかは僕も過去何度も喰らってるし。師匠の術は効いて、ヴァレリアの術は効かない……なんて事はないだろうし。
「……そう、ですよね。だとしたらお師匠の術も通用するはずがありませんし……」
考え込むメトセラにつられるように、僕もまた考える。
……そうして二人してうっかり考え込んだが故に、逃げた先の部屋が完全な行き止まりだという事に気付くのは、ヴァレリアに追いつかれてからだった。
……迂闊。




