巻き込みたい人外と、巻き込まれたくない僕ら
普通の人間ならばまず立ち寄らないような暗い暗い森の奥深く。
ひっそりと、しかし確かに存在する古城にて僕たちに『相談』を持ちかけてきた真っ白い魔族様は、事もあろうに脅迫状を送り付けられていたそうです……
いやそれ、僕たちに相談されても困るだけなんですが。
そりゃ師匠も逃げ出すわと、どこか冷静な部分で考えたのは言うまでも……ない。
「脅迫状……?」
「えぇ、脅迫状です」
一瞬でも聞き間違いかと淡い期待を抱いた事さえ間違いだったと言わんばかりの即答に、僕はあちゃーとか言いながら天井を見上げたくなる衝動に駆られる。横目で見るとメトセラは既に天を仰いでいた。
「仮にも魔族である貴殿に脅迫状を送り付けるとは……相手も相当……いや、同種族なのか? まさかただの人間風情がそのような命知らずな真似をするとは思わないが……どうなんだ?」
「種族の問題で言うならば、同種族ではありませんね~」
メトセラの声は、言外にお前脅迫受けてるにしては随分のほほんとしてるじゃねぇかよぉ? というのが滲み出ていたせいもあってか、無駄な凄みさえ感じられた。
「ちなみにこちらがその脅迫状なんですけれど」
すっと差し出されたそれを、メトセラが受け取る。横から覗き込むようにして僕もそれを見たが……
正直な話、僕にはそれが文字だとは到底思えなかった。眉間に皺を寄せるようにしてそれを見ていたメトセラも、どうやら解読不可能らしい。
「読めん」
数秒で解読する努力を放棄して、ぽいとテーブルの上に手紙を放った。
「古代文字というのは理解できたが、だからといって読めるわけではない」
「え、あれ一応文字だったの?」
「あぁ……そういやそうですよねぇ。すっかり普段のノリでいましたけど、お弟子さんたちは見た目通りの年齢ですもんね。古代文字とかゲイルに教わりでもしない限り解読できませんよね」
ちょっと突っ込みたくもない言葉が聞こえてきたが、無視。下手に関わって話をこれ以上広げたくありませんよ、僕は。
「内容を簡単に説明するとですね、近いうちにやって来るらしいんですよー。主にボクとかゲイルとかに恨みを晴らすべく。まぁゲイルはこれを察知したのかどうかはわかりませんが、一人だけ一足先にとんずらしやがりましたけどねー?」
あまりにもさらっと言われたせいだろうか。一瞬僕の脳は理解するのを拒否ったような気さえする。
「えー、と……で、結局恨みを買ってる原因とか、一体どこのどなた様がやって来るのかっていう部分は僕たちは知らなくていい事ですよね? 知りたくもありませんけど。大した情報がないままなんで対処法なんて知ったこっちゃないんですけど、もうそれいっそ手紙を見なかった事にして家も何もかも引き払ってお師匠と同じように逃げた方が早いんじゃないですか?」
「いやですよー、中古物件とはいえ、ここ気に入ってるんですからー。できれば撃退したいかなーなぁんて思ってたりするんですけど……やっぱ戦力的にも無謀ですかねー?」
「戦力的って……あんまり聞きたくないけど誰と誰がカウントされてるのさ」
まさかとは思うが僕たちまで入ってないだろうね!?
そんな風に思っていたというのに、レオンは当たり前のような顔をしてこちらを指差してきた。
「誰と誰って……それは勿論お弟子さんたちとカイン?」
「何で自分が入ってないんですか戦力に!?」
「ボクがマトモに闘えるとでも?」
「あんた仮にも魔族だろ!? 少なくとも僕よりかは強いはずですよね!? ロクに魔術も教えてもらってない僕よりも弱いとかあり得ませんからね!?」
「……レオン、往生際が悪いぞ。そいつらが戦力になる事などまずないのだから、諦めて『ドール』を使え」
今の今まで大人しすぎてその存在を忘れかけてたカインが、有り得ない色のお茶が入ったカップを手に僕たちの会話に割って入る。
……カップの中身が半分くらいまで減ってるんだけど……え? あのお茶飲んでも大丈夫な代物だったの?
「えー? イヤですよ折角作ったボクの作品をみすみす壊される為だけに出すなんてとんでもないですからね?
それでなくても前に作ったのだって無残に破壊されたんだし……」
「明らかに『ドール』のがこいつらより使えると思うんだが」
「ゲイルのお弟子さんたちならうっかり捨て駒にしてもボクの心は痛みませんけど、ボクが丹精込めて作り上げた『ドール』がまた壊れたらと思うと……」
よよよ、と泣き真似をしているレオンだったが、ちょっとどころじゃなく聞き捨てのならないセリフだったぞ、今の。
「まてやコラ。何普通に僕たち捨て駒にしようとしてるんですか、冗談じゃありませんからね」
あまりにもナチュラルに言われたからうっかりしてると聞き逃すところだったよ、危ないなぁ。隣にいるメトセラも僕と同じ考えのようだ。レオンはむしろたった今殴り飛ばされなかった事を幸運に思うべきだと思う。
「あぁそうだな、言ってみただけだからわざわざ出す必要はない。どうせ時間稼ぎにもならんだろーしな」
後半のボソリと漏らされた部分はレオンには聞こえていなかったようだ。
カインも油断してると酷い事を言ってくるのでこちらも油断できやしない。
「というか……戦力とか時間稼ぎとか、この脅迫状送り付けてきた相手ってそんな厄介な人なんですか……?」
レオンと会話を続けていても僕とメトセラのレオンに対する殺意しか上昇しないと判断したので、僕はカインに問いかけていた。
「厄介と言えば厄介だな。何せ相手は……魔女だ」
何かもうどう転んでも厄介事にしかならない挙句、益々泥沼に嵌っていくような気がしないでもないんだけど。とりあえず生きて師匠に出会えたら、殴ってもいいかな……
それが、僕が真っ先に思い浮かべた事だった。
強制的に連れてこられた先で正直あまり出くわしたくなかった相手と再会、それだけならまだしも近いうちにここには魔女がやって来るそうです。
そんな話を聞かされてしまえば僕が思う事はただ一つ。
できれば今のうちに全力で逃亡したい。
師匠め……一足先に自分だけ逃げた事、僕が生きている間はしっかりと恨みますからね……?
――魔女。
とにもかくにも、その言葉に合点がいった。
外見からして明らかに人間ではないレオンにわざわざ脅迫状を送り付けるあたりとか、挙句中身は全部古代文字とか、普通の人間ならまずやらかさない事も相手が魔女だといわれれば納得できる。
師匠が逃げる理由も何となくわかったし、レオンがどうしましょうと困るのもまぁ、理解はできる。
だからといって捨て駒になるつもりは微塵もないが。
「相手が魔女だというなら尚更僕たちが出る幕じゃないですよね。何でわざわざ連れてこられたんですかホントに。嫌がらせですか?」
そんなのから送り付けられた脅迫状に対して、僕たちが何か素敵な対処法なんて知ってるわけがない事くらい、ちょっと考えればわかりそうなものでしょうに。
「…………理由はいくつかあるにはある、が、それを説明するのがめんどくせぇ」
「ねぇそれ本当に理由ある? すんごく疑わしいんですが」
どちらにしろ、僕たちがここにいてもこれ以上何かができるわけでもない。むしろ厄介事に巻き込まれるだけなのは火を見るより明らかだ。出来る事ならホントもう一刻も早く退散したい。
「えー? お弟子さんたち帰っちゃうんですかー? 折角ですからここで一蓮托生といきましょうよー?」
「イヤですよそんなの」
「お断りだ」
そもそも、一蓮托生になる意味がわからない。逃げた師匠の代わりに、とか言い出さないだろうな。
いくら僕とメトセラが師匠の弟子だからといって、そこまでの義務も義理も存在しはしない。それともあれだろうか。僕たちが一人前には程遠い半人前だからセットで一蓮托生とかいう意味になるのだろうか。
……などと考えつつもメトセラへ視線を向けると、先程までと比べて明らかに顔色が悪い。
「……大丈夫? メトセラ」
「え? あ、はい大丈夫です兄弟子殿。むしろ一秒でも早く帰りたいくらいですが」
小声で呼びかけると、即答された。とても大丈夫だとは思えないくらい動揺しているのが僕にでもわかる。
思えばメトセラは、師匠に弟子入りしたとはいえ元々素質がない。ただ知識だけを求めての師事だ。実体験的なものは何一つ求めてなかったとも言える。事実、レオンに関わる事も極端に避けていたし、時々、本当に時々師匠が教えてくれた内容の中で『魔女』という単語が出た時でさえ関りたくないというオーラのようなものが出ていたくらいだ。
こんな場所で、レオンだけならまだしも魔女の単語まで耳にして、メトセラの態度が普通であるわけもなく。
とりあえず僕はいかに速やかにこの場から立ち去るかを考える。素直に「じゃあ帰りまーす」と言ってレオンが帰してくれるかどうか……何か意味もなく巻き込みたいといった空気を感じるし。
カインが何を考えているかはわからない。ここに連れてきたのは確かにカインだけど、連れて来てその先どうするつもりなのかというのが全く読めない。本人曰く一応いくつかの理由が存在しているらしいが……本当かどうかは不明のままだ。
ここで彼らに素直に帰る事を告げるよりも、折を見て何も言わずに脱出した方が早いような気がする。
「先に言っておきますけど、黙って帰ろうとかしないで下さいねー? 森に放ってる守護獣の餌になってもボク一切責任取りませんから」
まるで僕の考えを読んだかのようなタイミングに、思わず舌打ちしそうになる。今更ながら、この場所にのこのこやって来た事を後悔した。断るならば、カインに連れられて馬車に乗る前に断固拒否るべきだったのだ……いや、朝食奢ってもらった時点で逃げられなかったかもしれないけど。
全力疾走しまくる馬車で一日の距離。徒歩で帰る事を考えると今の僕とメトセラの装備では軽すぎた。守護獣とやらが一体どんな存在かはわからないが、所々に転がっていた白骨から考えて僕とメトセラだけでどうこうできそうな代物ではなさそうだ。
……この場からの脱出が不可能に近いならば、ほとぼりが冷めるまでこの中で隠れてやり過ごすべきだろうか……居住者がレオンという時点で、この城の中がマトモである可能性は限りなく低いが。
できる事ならその魔女が、いくらか話のわかる相手でほぼ無関係の僕たちをスルーしてくれればいいんだけど……無理だろうな、脅迫状送り付けてくるような相手だし。果たし状ならまだ話通じそうだけど、脅迫状は流石にちょっと……
「訊きたくはない。訊きたくはない、が敢えて訊くぞ? その魔女の名は……一体なんだ?」
メトセラもこの状況下で、大人しく帰れそうもない事は察したらしい。巻き込まれる以上は最低限の情報を得ておくべきだろうと判断したのか、だがしかし、問いを口にした割には声がかすかに震えている。
そのメトセラの様子をどういう風に判断したのかはわからない。が、レオンは少し考える素振りを見せつつ、多分一度は名前くらいなら聞いた事もあるかもしれませんけど、と前置いてその魔女の名を口にした。
「ヴァレリアです」
その名を耳にした途端、メトセラが絶叫した。