王子と呼ばれた僕と、味の染み込んでない煮物
僕の目の前で繰り広げられている光景。
大鎌を難なく振り回すメトセラと、それを紙一重でかわし、時として自らの拳で受け止めている女性。
黒い髪を二つに結い上げたその女性は、血のように紅い目を何故か僕に向けたままだった。メトセラの攻撃を受け流しながら。
黒を基調としたドレス。城という場所柄違和感はない。
おかしな部分があるならば、メトセラと交戦中という部分だろうか。
その光景を、冷めた眼差しで見つめている少女。
黒髪黒目の、街中ですれ違ったとしてもきっと記憶にも残らないような平凡な少女。メトセラと戦っている女性と比べると着ている物だってそこらの村の女の人が着ているようなもので、むしろこちらの少女の方が違和感が激しいくらいだ。
けれど、そんな平凡にしか見えない少女こそ、メトセラと彼女が戦っている原因の一端だと言えよう。
一体僕はどうしたらいいんだろうと思いながら、鍋を手に途方に暮れる。
あの二人のバトルに割り込んだところで、即退場になるのは誰に言われるでもなく僕自身が一番理解している事だった……
――時は少しばかり遡って。
人様の家、というか城の厨房という明らかに僕の人生においてはこれっぽっちも縁のない場所で、とりあえず食材と調理器具の場所を確認して料理を作り始めたのがついさっきの事だ。
今となっては到底そうも思えないけど。
最初は簡単に食べられる物を作っていた。
クライヴはどうだか知らないが、カインあたりなら戦いながらでもご飯くらい食べるだろうと思って、片手で食べられる、という点でおにぎりを作り始めたのだが。
作ってからどうやって相手に届けるんだろうかという疑問が浮かんだよね。
まぁ、きっとレオンがどうにかしてくれる。
僕に与えられた任務は、あくまでも料理を作る事であってそれらを届ける事ではない。後で届けろとか言われる気がするけど、そこは今考えない。
おにぎりだけなら作るのにそう時間はかからない。米を炊くのに時間がかかるけど、その後は具にこだわらなければさくさく作れる。
ところが途中でレオンの使い魔であるコウモリが隠し通路を使って飛んできた。
一枚の紙を咥えて。
『煮物が食べたいです』
たった一言添えられた紙。
……要するに作れと。そういう事ですか。
でも煮物って味染み込むのに時間かかるんだけどなぁ……なんかそれっぽい感じのであればいいんだろうか。下手に雑に作って不味いとかレオン以外から文句が来たら僕の命が危ないよなぁ……めんつゆあたりで芋でも煮詰めるのが一番手っ取り早いんだけど、流石にそれは駄目かなぁ……
とりあえず自分の身の安全のために、準備に取り掛かる。
そうしてどうにかこうにか肉じゃが(ただし味は染み込んでないのでまだ薄味)を完成させたのがついさっき。見張りをしてくれているメトセラは、そういや大丈夫なんだろうかと思い声をかけようとしたその時だった。
「美味そうな匂いじゃの」
僕たち以外に誰もいるはずのない場所。だというのに、僕たち以外の声がした。咄嗟にあげそうになる悲鳴を無理矢理飲み込みつつ声がした方へと視線を向ける。
声の主は一体いつからいたのだろうか。僕のすぐそばにいた。
僕を見上げるように立っているその少女は、外見だけならば本当に普通の少女だった。これがどこか別の町か村で遭遇したならば、印象に残る事もなく即座に忘れ去っているだろう。それくらい、どこにでもいそうな人だった。
しかしここはレオンの城だ。今現在この城にいるのは、僕たちと、敵対しているヴァレリアとその配下であって。
「えぇと……君は……?」
いきなり攻撃でも仕掛けてくれば、僕もすぐさまメトセラに助けでも求めていたかもしれない。情けない事この上ないが。しかし彼女はただ、肉じゃがの入った鍋を見ているだけだった。敵意があるかと問われれば、少なくとも僕には感じ取れない。
「……そなた……いや、何でもない」
「え?」
鍋から僕へと視線を移動させて、怪訝そうな表情を浮かべられる。いや、むしろこっちがその表情を浮かべたいくらいなんだけど。
「――兄弟子殿? どうかしたんですか……?」
厨房でそう大きな声を出した覚えはない。けれど食堂にいたメトセラに声が聞こえたか、もしくは何らかの異変を感じ取るような事はあったのだろう。メトセラが厨房に足を踏み入れる。
「我が名はウィンディ。――魔女だ」
少女の言葉は、メトセラの姿を僕が確認したのとほぼ同時だった。当然メトセラにもそれは聞こえていただろう。素晴らしく素敵な反応速度でもって、メトセラは大鎌を振り上げ今しがた名乗った魔女へと斬りかかっていった。
「兄弟子殿! 下がって!!」
「ウィンディ!! 一体何をやってる!?」
メトセラの鎌がウィンディに届く直前、更なる第三者の声と同時に。
鎌が、止まる。いや、正確には止められた。
「素手で……受け止めた、だと……!?」
魔女を庇うようにして現れた黒いドレスの女性。ウィンディと違ってこちらからは敵意というか殺気のようなものが発せられているのが、僕にでも感じられた。
「メトセラッ、大丈夫!?」
あの鎌を素手で受け止めるような相手と、魔女。対するこっちは戦力外の僕というお荷物付きのメトセラ。明らかに分が悪い。
「――っ!?」
何かもう、とりあえず皆殺しにしかねないくらいの目付きでもってメトセラを睨みつけていた女性が、僕の声につられるようにこちらへと視線を向けて――何故か驚愕の表情を浮かべる。
いやだから、その表情を浮かべたいのはむしろこちらの方なんですが。
その一瞬の隙を見逃すつもりはなかったのだろう。メトセラが、攻撃を仕掛けた。
こうして今現在僕の目の前で繰り広げられている光景になったわけなんですが。
……この人たち、一体どこから沸いて出たんだろう?
どうにかしなきゃと思いはしても、どうすればいいのかわからない。
幸いにしてメトセラと女性が戦っている間に魔女がこちらに攻撃を仕掛ける素振りは無かった。
けれども、じっと僕を――いや、僕が手にしている鍋を見ている。
眼力だけで野良犬くらいなら死にそうな程に強烈な視線を向けられて、僕も正直身動きがとれなかった。
魔女だけじゃない。メトセラと戦っている女性もずっとこっちを見ているのだ。
女性からの熱烈な視線、けれどもちっとも嬉しくないその眼差しに、僕の精神がガンガン磨り減っていってるのを感じる。
そのうち力尽くで鍋を奪いにくるんじゃないかと思えるくらいに魔女が見ている。素直に鍋を差し出せばいいのかもしれないけれど、魔女がお腹いっぱいになった途端にじゃあもう用はないと攻撃を仕掛けてこないとも限らない。
それ以前に、本当にこの二人は一体どこから入り込んできたのだろうか。クライヴのように正面玄関から入って来たとしても、僕のいる厨房はメトセラのいる食堂を通過しなければ辿り着く事はできない。メトセラに気付かれる事なく厨房に現れたという事は、マトモなルートでやって来たわけじゃない。
先程レオンの使い魔がやってきた隠し通路があるにはあるが、それはどちらかというと通風孔のような代物だ。通るにしても僕よりももっとずっと小さい子供がやっと通れるくらいの広さしかない。ある意味使い魔専用通路と言い切った方が正しいだろう。
その通路からなら、ギリギリでウィンディはやってこれたかもしれない。本当にギリギリだろうけど。
しかし、もう一人の女性は確実にそこを通ってなんて無理だ。関節がめちゃんこ柔らかいとかでも不可能だ。
メトセラ連れてさっさと逃げるのが恐らく最善の方法なんだと思う。けれど、果たして簡単に逃がしてくれるだろうか……?
レオンとかカインとかクライヴあたりなら見捨てて逃げても僕の良心はこれっぽっちも痛まないけれど、流石にメトセラを置いていくわけにはいかない。
ぐぎょるるるるるるるる……
どうにか二人で逃げ出す算段を練っていると、それ本当に腹の音? ねぇ腹の中に別の生命体とか存在してない? と聞きたくなるような音が響いた。音の出所は言うまでもなく魔女からだ。
見ると、雨の中捨てられた子犬のような目でもって僕を――じゃなくて鍋を見上げている。視線そのものは相変わらずの強さでもって主張していたが。
一体どうするべきだろうか。鍋だけ差し出しておにぎり持ってメトセラと逃げるべきだろうか、などと考える。まさか食べながら追いかけてはこないだろう。こないよね!? 向こうの女性はどうだかわからないけど。
「のう、そなた。我らは無益な争いは好まぬ。ここへは呼ばれてやって来たのだが……まずあの者をどうにかしてもらえぬか?」
ちらと視線を向けた先には、当然ながらメトセラがいるわけで。
確かに、仕掛けたのはこちらが先だ。でもこの状況で魔女と名乗る者が現れたのだから、そこら辺は仕方がないと思う。
「呼ばれて? 誰に、っていうのはともかく、一体何処から?」
「この城の者とは少々知り合いでな。そこに移送方陣を敷いてある」
そこ、と言われた場所を見ると、確かに師匠の持っていた本にも載っていた魔法陣が床に描かれていた。なるほど、それなら確かにいきなり現れたのにも納得がいく。
それにどうして僕が気付かなかったかというと、よく見ないとわからないくらいうす~く描かれていたからだ。言われてようやく気付くくらいに薄いんじゃ、普通に気付けるわけがない。
「って、ことは……レオンの知り合い……?」
「レオン……? あぁ、そういう事か。まぁそうなるな。とにかく、あの者を止めてくれ」
その反応に何か引っかかったが、とりあえず争う意思はないらしい。実際向こうの女性もたまに反撃しているとはいえほとんどはメトセラの攻撃を受け流しているだけのようだし。
「メトセラー、とりあえずこの人たちレオンの知り合いっぽいから戦うの一旦中止してー」
「カノン、おぬしもじゃ」
僕と魔女の言葉に、双方同時に動きを止める。とはいえ、メトセラはまだ困惑しているようではあったが。
「すまぬな」
「え、あ、いえ」
ちらっと脳裏に騙し討ちの可能性も捨てきれなかった僕は、思わず言葉に詰まる。
「えぇと……それはそうと呼ばれてって、この状況下で?」
「この状況だからこそ、であろうな。全く、あやつはいつもそうだ」
どこか遠い目をしながらそう呟く。あれ? 何だろう、何故だか妙な親近感が……
「ところでそなたら、見た所レオンの『ドール』ではないようだが……?」
「え? あぁはい。僕たちはレオンの知り合いっていうか、師匠がレオンと知り合いっていうか」
「師匠……? 念の為そなたの名を問うても?」
「シオンです」
僕の名を耳にした途端、露骨に吐かれる溜息。
「そうか……それではやはりそなたが……いや、いい、何でもない」
何故だかやたらと憐れむような眼差しを向けられたけど、え? 何? 一体何なの?
むしろ中途半端に言葉を濁される方が余計気になるんですが。
「ウィンディ、もしやその方が……?」
「どうやらそうらしい」
いつの間にかすぐ傍までやって来ていたカノンと呼ばれていた女性が、やはり先程と変わらぬ鋭い視線をこちらへと向けてくる。すいません、僕にもわかるような会話をして下さい。
困り果てて思わずメトセラへ視線を向けた。メトセラ自身、まだ状況を把握しきれてないらしく彼女も困惑しているようだ。
僕の視線の先を遮るように、カノンが移動する。女性、ではあるが僕よりも高い背によって、必然的に僕は見下ろされる形になる。
「一つだけ、訊かせていただきたい。その髪の色は、生まれつきですか……?」
敵意や殺気といったものが無くても鋭すぎる視線は充分剣呑なものだ。少なくとも僕にはそう感じられた。
しかし何故、今この髪の色を……?
適当に誤魔化そうとも思ったが、それすら許されそうにない雰囲気に僕は戸惑いながらも頷いた。
「やはりそうか……」
すぐ近くにいるはずの魔女の呟きが、何故か遠いものに思えた。
それとほとんど同時だったように思う。カノンが、僕の前で音もなく跪いたのは。
「――数々の非礼をお許しください、王子」
「……は?」
ただでさえ現状把握するので一杯一杯な所に更なる燃料投下するような真似はやめてほしいんだけど……僕もメトセラも、何が何だか分からない顔をするだけだった。




