(一番綺麗な花火はさ、)
一応、設定を連載中の自小説から借りています。
シロ-主人公(高1) 天才的に上手いHr吹き、ただしコミュ障人見知り
やわら-シロの吹奏楽部の先輩。Hrパート。(高2)
紺-同上。パーリー。
みどり-やわらと紺の同期。Tb吹き。
アブラゼミがひぐらしに変わった、と思っても、それは多分気のせいだ。
シロは斜陽の差し込む教室でふと我に帰った。真夏の8月の夕方は、この時間でも十二分に太陽が横行している。開け放した窓を閉めるため、ガラス越しの日なたに入ったシロは、思わず顔をしかめた。廊下に響く音は もう随分少なくなっていて、自主練習の時間もいよいよ終わりだと思われた。
「はなびはなび、」
教室に誰もいないという事実が、シロの胸中を独り言にさせた。手際よく戸締りをし、楽器を片付け、足取り軽く帰路に着く。といっても今日は、まっすぐ家には帰らないのだが。
シロの高校から電車で南に二駅、地元の製造工場が、その大きな敷地を開け放って毎年夏祭りをしている。今日もその日だった。
かき氷でも焼きとうもろこしでも浴衣でも金魚すくいでもないーシロが夏祭りに行く理由、それはとにかく打ち上げ花火だった。いつもは気怠げな足取りがただただ雲の上を歩いているかのように軽い。たった二駅の距離で花火が見られると言われれば、シロにとって行かない手はない。
駅から大通りに沿って道なりに、どんどん周りに隣に前に後ろに人が増えていって、少しだけ仰々しい守衛室のある門を抜け、立ち並ぶ倉庫を掻き分ければ、砂利の広場に夏祭りが広がっていた。立ち並ぶ屋台、色めく浴衣、音の割れたスピーカー、ごった返しの雑踏。
「わぁ…」
目の前に広がる光景に、シロが思わず声を漏らしたその時、。
「シロさん、何から食べる?」
視界の左からにょきっと突然、そして同時に重みの増す後方のリュック。
「うわぁぁぁぁぁ」
やわらが突然、シロのリュックを掴み、反動をつけて左から覗き込んだのだ。
「え、ええ、やわら先輩、、?!??」
シロはきょろきょろと周りを見回した。
「シロさんもお祭り来るんやーん、いいやんなぁ、あ、さぁ、シロさんはどれから行く、かき氷か、それとも焼きそばか、、?!」
シロさん困っとるやん、と紺が呆れたように笑って言った時には、やわらはもうシロそっちのけで みどりと雑踏の中へと繰り出していったところだった。
「ごめんなぁ、シロさん、いつも絡んで」
と言いつつシロの左横に紺が回り込むと、シロはばっちり紺と目が合ってしまった。紺はやわらについて行く気はないらしい。
「いや…」と言いつつ苦笑すると、紺は変わっていたずらっぽく笑った。
「シロさん的にはさ、野球応援どうやったん?」
みんながほとんど「シロさんの1人の時間を邪魔しちゃ悪いね、」とシロから離れていくところで、なんとなーく話したいことがあるのか、それともこれは雑談なのか、という微妙なラインの会話を振ってくるのが紺だ。シロはその感覚が実はとても好きだったのだが、多分紺に どうなのか、と訊いてみても「別にええやん、」とのらりかわされそうな気はしている。
「やっぱり音程最悪ですよね。」
「やっぱシロさん的に見逃すなんてありえへんだか…」
紺は苦笑した。
今日は午前中に野球部の応援に行っていたのだった。炎天下の中、上がっていくのはテンションと期待と…音程。とにかく、音程。シロは試合中永遠に そこら中から聞こえてくる針の振り切れた音程に苛まされ、耳が麻痺するかと思ったくらいだった。もちろんシロ自身は、どんなにベルで目玉焼きが焼けようと 正しい音程に、それが不可能に近い場合でも、音色やらなんやらを駆使して、少なくとも 気持ちよく聴けるくらいの音を出すことができる。
「みどりが、シロさんこんな時も"聴ける"音吹いてるからキモい、言うてたで、キモいは言うたらあかんけど」
と 紺はそれをただ事実として話した。そこには込み入った感情は何も感じられない。
それくらいの誹謗中傷なら 青雲館生には日常茶飯事、シロは特段言うべき言葉も見つからず 黙ってお祭りの雑踏を眺めていた。
その、誹謗中傷に対しては。
「ほんで?」
紺には分かっているのだ、シロがまだ 肯定的な発言を続けることを。シロにとってそれを見透かされるのは、少し自尊心が邪魔をして、しかし少し心地が良かった。青雲館生と分かられながら、人間として扱ってもらえてるみたいで、嬉しかった。
シロは、その感情を悟られないようにあえてお祭りの雑踏に目を向けながら、なるべくつまらなさそうな顔をして言った。
「あんな風な 音の届き方もあるんですね、…音程あってないのに。」
シロは試合後スタンドに駆け寄り、気持ちよく礼をした野球部員達を思い出しながら言った。確かに自分たちの音は彼らの背中を押していたのだと、感性が理解していた。
シロの言葉を聞いて ふっ、と紺は笑った。
「あんなんもたまにはええやろ?」
「そうですね、いい景色でした。」
「景色 てなんなん、笑」
ぽつぽつと2人で話している内に、あたりはすっかり暗くなって 屋台の明かりが人々の顔を照らし出していた。まとわりつくような湿気が、少し淀み流れていく。
「シロさんは ほれで今からどうするん」
紺は一歩前に出ると、シロに体ごと向き合った。
「え…特に…花火さえ見られたらそれでいいので…」
「まだ花火まで何分かあるんちゃう、シロさん一緒に来てよ」
「えっどこにですか…」
くるりと背を向けて歩き始めた紺にシロは問いかけた。
「屋台に決まっとるやん、」
ふふ、と後ろ姿から聞こえてきた笑い声は、いつも通り柔らかかった。
まずシロが連れていかれたのは、ペットボトル飲料が氷水を張ったプールの中でぷかぷかしているところだった。会議机の上にはラインナップが並べられている。
「どれにします?」
と どこぞのおじさんが元気よく顔色を伺ってくる。
紺に目を向けると、紺は「ラムネで」と水色の瓶を指差した。
「シロさんは?」
と そのまま目を向けられる。
「何がいい。あ、炭酸あかんのやったっけ」
「炭酸じゃないのはねー、これしかないわぁごめんなー」
たん、とおじさんが氷水から引き揚げたのは、アクエリアスだった。
「あーごめん シロさん」
と紺が言う。
「えっ ええ…??」
「アクエリでもええ?」
流れがよくわからないままに こくこく、と頷く。
「じゃあアクエリでー」
300円、と言ったおじさんに、紺はちゃらちゃらと小銭を手渡した。
はい、とおじさんに渡されたペットボトルを、シロは戸惑しながら受け取った。氷水かれ引き揚げたばかりのボトルはまだびしょびしょだった。
「あの」と紺の方を向く。
「お金ないからさ、先輩やのにこんなしょぼいのしか奢れんでごめんな しかも炭酸ばっかで」
「えっ いや…?」
ふら と歩き出した紺の後ろ姿に、やっとシロは何をすべきか分かって、ありがとうござい
ますと言った。
隣までシロが追いつくのを待ってから
「また来年 後輩に奢ってあげて、」
と 紺は笑って言った。
一通り紺に屋台を連れ回され(ここで必要以上に奢ってくれないのが紺のシロさんを理解しているところで、シロにはこれがとても心地が良かった)、2人は刻々と迫る花火の開始時間を、緩やかに話しながら待っていた。
「あ、そういや紺先輩、やわら先輩達と合流しなくていいんですか」
「ええよ…あ、シロさんが1人で見たいか…ごめんなウザい先輩やな わた」
「あっ ちが、違くて」
シロは食い気味に紺の言葉を遮った。何気なく言った言葉が紺の顔を思いの外暗くした。
それをどうにか塗り直そうと、シロはなけなしの会話力をかき集めてくる。
「いてもいいです、あ、違う…いてください…も違うな…いて欲しいです…?えっいやうそ待って」
雑踏と夜の暗さが、境界線を曖昧にする。
紺はちらとシロの方を見てから、前に向き直り黙った。シロもそれ以上何も言葉を続けられる気がせず、やけに体に悪い心拍を聞いていた。
ふ、と 屋台の灯りが一斉に消えた。
わぁ、と 期待の歓声が一瞬湧いた。
、静寂、。
シロさん君なぁ、と 刹那に紺の声が聞こえた。
えっ と 横を向いたその時、
その日一発目の花火が打ち上がった。
シロは今まで見た中で一番綺麗な花火を、その瞳の中に見た。
アクエリアスのボトルから、ぽたっと雫が一滴落ちた。