9人をゴミと言ってはいけません
「それは……いくら何でもミア様に失礼な話ではありませんか?」
おおまかな経緯を聞いたセレイアは、不快になった。
恋い慕う女性がいて、その人と今は結婚出来ないから、恋い慕う女性に似た人を恋人にする。
恋人にも、恋い慕う女性にも失礼な話であり、女性を軽視し過ぎだ。
「お互いに納得した上での関係なのです。私も彼の恋人になることで、得たものがありますから、失礼なことをされたとは思っていません。……ディルク様は王女様が結婚の頃合になれば、自分のところに降嫁してくださると、そう思い込んでいたようです。……思い込みの激しいお方ですから。けれど、王女様は別のお方を選んでしまった」
ハズバ領地に接する隣国とは同盟を結んでいて、長らく争いごとがなかった。
おそらく今現在、王家にとって辺境領ハズバは、王女を降嫁させ、機嫌を取らねばならぬほど重要な土地ではないのだろう。
「王女様はディルク様を降嫁先に選ばなかっただけでなく、ハロルド・ランドールの婚約者を娶るように、お願いされたのです。そのうえ、ディルク様はもともとハロルド・ランドールのことが、王女様とのことがある前から、お嫌いだったみたいで」
「知り合いだったのですか?」
「詳しくは知りませんが、ちらっとそのようなことを仰っていました……。とにかく、そういう経緯があったので、セレイア様に厳しく接されたのです」
恋敵の後始末を押し付けられたのだ。それだけでなく、コルネリア王女が頼むときにいろいろ吹き込んでいたりもするのだろう。
出会ったときの態度が酷かったことに納得がいった。
「なら、なおのこと……複雑な思いを抱えていらっしゃるなら、私が歩み寄ったところで、怒らせてしまうだけだと思うのですが」
「今は先入観で動いていらっしゃるだけです。きっとセレイア様のことをお知りになれば、態度も変わられますわ」
「……はあ」
「ディルク様は顔もよいですし、ああ見えて仕事も出来るのですよ。少し女癖が悪いですけれど、そこはセレイア様が手綱を引っ張ってあげれば、きっと大丈夫です」
にっこりとミアは微笑む。
「けれど、辺境伯はコルネリア様のことは別として、今はミア様と」
「いえ、あの方は私を都合のよい身代りとして傍に置いてくださっているだけです。それに私はセレイア様の顔をつぶすような真似したくないのです。……どうかセレイア様、あの方を、よろしくお願いいたします」
ミアが手を伸ばし、セレイアの手の甲に触れた。
真摯な眼差しで懇願され、セレイアはひきつった笑みを浮かべた。
「……っ、あ、あなたねっ!ゴミをセレイア様に押し付けないで下さい!」
黙っていられなくなったのだろう、アンネが自身の手で口を押さえていたのを外し、怒鳴った。
「確かに、男としてどうかと思うところもあります。しかし、ゴミではありません」
「あなた、いらないんでしょ。捨てたくてたまらないゴミを、セレイア様に押し付けているのが丸分りなんですよ!」
「いるかいらないか聞かれたら、確かに、いりません。けれどゴミを押しつけているわけではなく、セレイア様と彼のこれからの幸せを願ってのことです。……ねえ、セレイア様。この結婚は王命だと聞きました。どちらにしろ、結婚はしないとならないのでしょう?なら、多少のことには目を瞑り、ディルク様と穏やかな夫婦関係を築けるよう努力された方が、セレイア様も幸せになれるはずです」
どれだけ女性関係が酷くとも、矜持の高い傲慢な男であったとしても、結婚は避けられないのだ。
ならば、セレイアが折れ、少しでもまともな夫婦になれるよう努力すべきだというのはわかる。
しかし――。
「ゴミと夫婦になって幸せになれるわけないでしょ!」
セレイアが心の奥で思っていたことを、アンネが口にした。
「今はゴミのように見えたとしても……将来はわかりません。女関係にアレで性格に多少難もありますが、仕事も出来るし、顔もいいですし、セレイア様が磨けばきっと綺麗な宝石になるはずです」
「あなたが磨けばいいじゃない。何でセレイア様に押し付けるのよ」
「ですから……私は、これから夫婦になるお二人の邪魔をしたくないのです」
アンネが怒鳴りかけるのを、セレイアは手を軽く挙げ、制する。
「ミア様、正直な気持ちを教えてください。どうして、そこまでして夫婦の仲を取り持とうとしているのですか」
ミアは空色の瞳をゆっくりと瞬かせた。そして思案するように瞼を伏せ、朗らかな笑顔を浮かべた。
「私には幼い頃から、劇場を持ち舞台の演出をしたいという夢があって、彼には支援者になってもらっていました。援助してもらう代わりに彼が結婚するまで……期間限定の恋人になったのです。けれど……。包み隠さず正直に言います。ディルク様がセレイア様を妻として礼儀をもって迎え入れ、その裏でこっそりと愛人になって関係を続けて欲しい……もし、そう頼まれていたなら快くお受けしていました」
ミアは恥じ入るように眉を顰めながらも、はっきりと口にした。
「けれどディルク様は私に、妻のような役割を求められた。私を手放すのが惜しくなったのではなく、コルネリア様やハロルド・ランドール。そしてあなたへの複雑な想いがあるからでしょう。……彼には感謝もしていますし、情もあります。しかし、どう取り繕ったところで私は貴族の貞淑な妻代わりにも、母にもなれはしません。遠まわしにそう言って説得をしたのですが……聞いてもらえませんでした。黙って出て行くことも考えたのですが、一応の恩もあります。ディルク様に納得してもらい、お別れをしたいのです。どうかセレイア様……あなたがこれからヘルトル家の女主人として、皆に敬意をもって迎え入れられるよう協力いたしますから、セレイア様も私たちが円満に別れることが出来るよう協力していただけないでしょうか」
ずっとここで、暮らして行くのならば、彼女の誘いを受け入れたほうが良いのかもしれない。
けれどセレイアはディルクの妻として彼の横に立ち、女主人としてヘルトル家の屋敷をしきり、母となり子を産む、自分の姿を想像することができなかった。
「まずはゴミがセレイア様に働いた無礼を謝罪してからです」
アンネが顔を真っ赤にさせ、口を挟んだ。
「お二人が話せる機会を作ります。そこでセレイア様、あなたもハロルド・ランドールの被害者だと主張してください。彼に弄ばれ、捨てられたのだと。そうすれば、ディルク様も同情されるはずです。単純なお方ですから」
「それは出来ません。……それからアンネ、人のことをゴミ呼ばわりしてはいけないわ」
セレイアはミアの案を断った後、アンネを窘める。
そうしてから、ミアの空色の双眸を見つめた。
「ミア様、ディルク様に矜持があるように、私にも伯爵令嬢としての矜持があるのです。お飾りの妻だと言われ、屋敷にも入れてもらえず離れに追いやられ、そんな屈辱を受けたのに、私のほうからディルク様のご機嫌をとることなど出来ませんし、したくありません」
「セレイア様……」
「けれど、一応は、あなたのお気持ちはわかりました。ディルク様の事情も理解しました。私から歩み寄るかは別として、もしディルク様とお話しする機会があるならば、その辺りのこともふまえて、お話を出来たらと思います」
コルネリア王女があることないこと吹き込んでいるならば、自身の名誉のために釈明くらいはしてもよいだろう。
それを信じるか信じないかは、ディルクの勝手だ。
ミアはまだ説得し足りなさそうであったが、昼食がこれ以上遅くなるのも困るので、帰ってもらうことにした。