8駆け引き、あるいは戦い?
「セレイア様。セレイア様にお会いしたいと仰る方が来ているのですけど」
昼食の入った籠を下げ戻って来ると、アンネは顔を険しくさせて言った。
「食事のあとでは駄目なのかしら……」
香ばしい肉の匂いが漂ってきて、ぎゅるるとセレイアのお腹が鳴る。
「お待たせするのはどうかと……。来てるのは辺境伯の愛人です。ここはがっつり、伯爵令嬢としての威厳を見せておいたほうがいいです」
拳をつくり、勇ましい目でアンネが言う。
アンネは女同士の駆け引きや、戦いを期待しているのだろう。
正直なところ面倒くさくてたまらない。威厳をがっつり見せるより、がっつり肉に、かぶりつきたかった。
しかし食欲を優先し、追い返すわけにはいかない。
愛人である女性が、お飾りであったとしても妻の立場を得るセレイアに、駆け引き、あるいは戦いを挑みにやって来たのかもしれないが、二人の関係を思い知らせるために辺境伯が寄越した可能性もある。
もしそうであったならば、『お飾りの妻』の立場をセレイアが受け入れる気満々だという姿を見せておいたほうが、これから穏やかに過ごすためにはよいだろう。
「わかったわ。お通しして。それから、アンネ、あなたは腹が立ったとしても、黙っていないと駄目よ」
辺境伯の恋人を怒らせたことを理由に、アンネが追い出されるのは困る。
アンネは一瞬不満顔を見せたものの、神妙な表情で、はいと返事をした。
「はじめまして。私はミアといいます」
辺境伯の恋人は、艶やかなプラチナブロンドの髪をした、柔和な雰囲気の女性だった。
年の頃は辺境伯と同じくらいだろうか。顔立ちはそれなりに整ってはいたが……あの華やかな辺境伯の隣に立つには少々『地味』だ。
セレイアに地味だ冴えない、と言った割には、愛人である女性が華やかな容姿ではなかったのが意外だった。
「はじめまして……セレイアです」
「お食事どきに、お邪魔をしてしまって申し訳ありません。ご迷惑だったでしょう」
「いえ……」
「ディルク様はつい先ほど、領地の視察に出られました。最近、屋敷で仕事をされることが多くて……。早めにお話をしておきたいのもあって、いきなり押しかけてしまいました。ごめんなさい」
辺境伯が寄越したわけではないらしい。
そして――駆け引きなのかはわからないが、少なくとも女の戦いを挑みにきたわけでもないようだ。
ミアの態度からは敵意が全く感じられなかった。
「それから……。何よりも……あなたという正式な婚約者がいるというのに、愛人という立場でいることを謝らなければ……本当に申し訳ないです」
ミアは深々と頭を下げ、セレイアは戸惑った。
「……大丈夫です。あの……謝らないでください」
「けれど、どうかご安心なさって。セレイア様、私は近いうちにディルク様の元を離れるつもりでいます」
顔をあげたミアは、決意の篭った双眸でセレイアを見つめた。
そこでセレイアは、目の前の女性が空色の瞳をしていることに気づく。
プラチナブロンドに、空色の瞳――。
顔立ちは全く違ったが、ミアはコルネリア王女と同じ髪と目の色をしていた。
偶然なのかもしれないが、セレイアは落ち着かない気持ちになる。
「離れるとは……どういうことでしょう?」
動揺を抑え、セレイアは穏やかな声で訊ねた。
「私はもともと旅芸人で、踊りと歌の芸を披露し、生活をしていました。二年前、辺境領に訪れたときに、ディルク様に見初められ、恋人になったのです。でも……恋人にはなりましたが、奥様がいる方の愛人になるつもりはありません」
「ですが……ヘルトル辺境伯は、私はお飾りの妻で、あなたが本物の妻と仰られていました。嫡子を産むのもあなただって」
ミアはかぶりを振った。
「奥様がいるのに、そんな大それたことっ……私はご夫婦の邪魔をするつもりは一切ないのです。ですからどうか、セレイア様もディルク様の軽はずみな言動を信じないでください」
信じるなと言われても、目の前で『お飾りの妻』発言をされ、離れに追いやられたのは事実である。
「セレイア様……あの方は愚かなところもありますが、根は悪いお方ではありません。どうか、セレイア様の方から歩み寄ってはいただけないでしょうか?」
「……は?」
思いもよらなかった頼みに、セレイアはまじまじとミアを見た。
「……っ!どうしてっ!こっちが歩み寄らないとならないのよ!」
黙っているよう約束したのに我慢ならなかったのか、アンネが声を荒げる。
じろりと睨むと、慌てて口を押さえた。
「本当に、仰る通りなのですが……ディルク様は矜持が山のように高いお方なので、自分から歩み寄ることはないと思うのです」
アンネの敬語も使わない乱暴な口調に、ミアは気分を害した様子はなく、申し訳なさげに言う。
アンネが口を押さえたまま、セレイアに目で訴えている。
アンネの言いたいことはわかる。セレイアだって納得はいかない。
「ミア様」
「どうぞ、ミアと呼び捨てになさってください」
「いえ、呼び捨てにするわけには……」
「私は貴族でも何でもない平民ですし」
「平民だとか、身分など関係ありません」
「……セレイア様っ!」
アンネがまどろっこしい会話に我慢出来なかったのか、口を挟んだ。
セレイアははっとし、咳払いして話を先に進める。
「私から歩み寄れと言われましても、ヘルトル辺境伯は私を拒まれるのでは?私のことは嫌っておられますし、愛しているのはあなただと仰っていました」
「いいえ。私はディルク様の恋人ですが、ディルク様が愛されているのは別のお方です」
「……そうなのですか?」
「はい。そして、セレイア様に対し嫌悪のような感情を抱かれているのも、それが原因なのです。……ディルク様は、コルネリア様を恋い慕っておられました」
三年ほど前。
ディルクは王都に行った際、コルネリア王女に会った。
その精霊のような無垢な美しさに一目惚れしたものの、王女はまだ十四歳。降嫁を望むには、幼かった。
ディルクは婚姻を許される年齢を待ちながら、王に数年後の降嫁を願い出る。コルネリア王女とも手紙のやり取りをし、親交を深めていった。
その裏で――コルネリア王女と同じ髪の色と瞳の色を持つミアを見初め、結婚までの期間限定という約束のもと、恋人にしていたのだ。




