【書籍化お礼SS】髪結い
ハロルドがまだ、怪我で右手が使えず、入院をしていた頃――。
「やっぱり、左手だけだと大変じゃない? 特に髪……長いし洗いにくいでしょう?」
「断る」
セレイアが浴室から出てきたハロルドの濡れた髪を見ながら言うと、すぐさま冷たい答えが返ってきた。
(まだ、洗ってあげると言っていないのに)
ムッとして、彼を睨むと、視線を外される。
「もし、必要ならば、君ではない者に頼む」
「……ランドール家から侍女を呼びつけるの?」
王立病院には女性も多く働いている。
治療に当たる者以外にも、食事や着替えの介助をしてくれる女性もいた。
もちろん侍女にしろ、彼女たちにしろ、自分の仕事をしているだけだ。
嫉妬など愚かだとわかってはいるが、何となくモヤモヤした気分になった。
「部下の騎士に頼む」
「男の?」
「ああ」
なら別によいかなと思うけれど……自分がいるのに、他の者の手を煩わせるのも、どうかと思った。
「いずれ婚約するのだし、遠慮することないのに」
「君は何もわかっていない」
未婚の若い男女だからというのも理由なのだろうか、すでに密室に二人きりでいて、ここに寝泊まりまでしていた。
セレイアの体面を考えてくれるのは嬉しいが、今更、他人の目を気にしても仕方がない気もする。
けれど相手が嫌がっているのに、強引に浴室に侵入するほど、礼儀知らずではない。
あくまで厚意で、ハロルドの入浴の手伝いをしたいだけだ。
「髪を拭いてあげるわ。それくらいならいいでしょう?」
「……ああ」
長椅子に座ったハロルドの背後に回り、丁寧に布で拭き取っていく。
手が不自由な今だけでなく、長髪だと、いろいろと不便であろう。
貴族の淑女としてセレイアも髪を伸ばしてはいるが、許されるなら短髪にしたいと思うこともある。
男性で髪を伸ばしている者は多くはないし、ハロルドは見かけにそう気を使う性格でもない。
なぜ伸ばしているのか、不思議でならない。
(けど……まあ……)
長いのもよく似合っているし、艶やかな髪は触っていて楽しい。
ある程度拭いて乾かした後は、丁寧に櫛で梳かした。
「そこにある紐で縛ってくれ」
セレイアは棚に置いてあった黒い紐を手に取った。
「そういえば……自分の髪を梳いたり、結ったりするのはあるけれど、誰かの髪にこうして触れるのは初めてだわ」
「そうか」
黒髪を手に取って、紐で結ぶ。
「今度……髪紐を作って、あなたに贈るわ」
「……君に作れるのか……」
「失礼ね。髪紐くらいなら作れるわよ」
髪留めでなく髪紐だ。それくらいなら、作れるに違いない……と思ったが、不器用だと自覚のあるセレイアは少しだけ不安になった。
◆◇◆
「結局、作らずじまいだったけれど」
帰宅した夫の着替えを手伝っていたセレイアは、夫の髪に土埃がついているのに気づき、指で払う。
短くなった髪に触れて、あのあと糸を買ってはみたものの、思ったようにいかず途中で止めてしまったことを思い出した。
「作る? 何をだ」
「髪紐。作ってあげるって言ったでしょ。……忘れているかもしれないけれど」
「ああ……そういえば、言っていたな……。君が作りたいなら、また伸ばす」
結婚し、王都に戻ってきてしばらくして、ハロルドはある日突然、長かった髪をばっさりと切った。
長い髪を見慣れていたので、少し寂しくはあるのだが、これはこれで似合ってはいる。
「別に作りたいわけではないから、いいわよ」
挑戦したけれど断念したのだ。
作りたくなどない。
「そうか」
「ええ。……ハロルド?」
ハロルドがセレイアの髪を一房、手にした。
「俺が君に髪紐を作ろう」
「は? あなたが?」
長い付き合いだが、物作りの趣味があるとは知らなかった。
「俺が作ったものを髪につける君は、可愛いと思う」
「……そう」
女心のわからないはずなのに、ときおり赤面してしまうほど恥ずかしいことを言う。
本人にそのつもりはないのかもしれないが。
セレイアは落ち着かない気分を誤魔化すように、手にしていた騎士服に視線を落とす。
「……こっちも砂だらけね」
髪だけでなく、ハロルドの騎士服にも土埃がついている。
パンパンと手で払うが……よく見ると点々と泥も散っていた。洗わなければならないだろう。
「入団希望者の試験があって、その相手をした」
ハロルドは騎士団に復帰していた。
相手というのは……取っ組み合いでもしたのだろうか。
「大丈夫なの?」
以前怪我をした右手は、何の問題もなく使えていたが、念のため訊ねると、「ああ」とハロルドは、短く答える。
「無理はしないでね」
「無理はしない」
騎士服姿のハロルドは格好がよいし、復職するのは喜ばしいことではあるのだが、やはり心配はしてしまう。
心の奥にハロルドを失うかもしれないと思った、あの時の衝撃が残っているからかもしれないけれど。
「土埃が酷いし、食事の前に体を洗ってきたほうがいいわね」
「……一緒に入るか」
「入らないわよ」
結婚前はあれほどセレイアが入浴の手伝いをすることを嫌がっていたくせに。
冗談とも本気とも言えない誘いをされたセレイアは、端正な顔をぺしりと指で軽く叩いた。
後日、ハロルドから髪紐を渡された。
セレイア並に下手くそで、お世辞にも上手だとは言えなかった。
けれどそれをつけると嬉しそうな顔をする夫の姿が可愛くて、しばらくの間、セレイアは彼から贈られた髪紐で、髪を結い続けた。
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後日談を1万字ほど書き下ろしています。
気になった方はどうぞよろしくお願いいたします。
そして、改めまして、読んでくださった皆様に感謝を!
本当にありがとうござました。
これからも地道に、少しでも面白いと思って頂けるお話を書けていけたらと思っています。
もしまたどこかでお会いできることがありましたら、応援していただけたら嬉しいです!




