38どこが好きだと問われたら1
日中、ディルクは仕事なはずなので、夕方になるのを待ち、ヘルトル家を訪ねることにする。
午前中に到着したセレイア達は、部屋で少し休んだ後、食事をとるため宿を出た。
ハロルドと並んで歩き、宿の近くにある食堂に入った。
テーブルを挟み、向かい合って食事をする。
以前にテリーからおすすめされたものと似た料理もあったが、ハロルドは辛いものが苦手なので、別なものを頼んだ。
ハロルドはまだ右手が上手く使えないので、食べやすいように切り分けたりして彼の食事を手伝う。
「傷、目立たなくなってきたわね」
ハロルドの頬の傷は、完治していた。
傷口があった部分は、色が僅かに変わってはいるものの、ぱっと見だとわからない。
コルネリア王女はこの程度でも気に入らないのだろうか……。どうでもよいことを思いながら、セレイアはハロルドをじっと見つめた。
「傷が、気になるのか」
「別に、気にならないわ」
「ならどうして、そんなに見るんだ?」
「……相変わらず、腹が立つくらい美形ね、って思ってたの」
コルネリア王女の名を出したくなかったので、セレイアは誤魔化すように早口で返した。
「……君はこの顔が好きなのか?なら顔に怪我をしないよう気をつけるが」
「傷くらい、気にしないわよ。その顔でないと駄目っていうほど執着もしていないし」
幼い頃から飽きるほど見ている顔だけれど、いまだに見惚れることもある。
けれど彼だって、いつかは老い、皺だっていく。艶やかな黒髪も、白くなったり、薄くなったりするかもしれない。
体型も、今のまま保つのは難しいだろう。
しかし彼の外見が変わってしまったからといって、自分の心は変わらないと思う。
「顔が好きでないなら、君は俺のどこが好きなんだ?」
「どこが好きって……いきなり聞かれても、わからないわ」
改めて訊ねられると、思いつかない。
「あなたこそ、私のどこが好きなの?顔も普通だし、取り柄だって特にないのに」
思いつかなかったので、セレイアは逆に質問し返した。
「普通のところと、取り柄が特にないところが、好きだ」
セレイアの問いに、頬をほんのり赤く染め、ハロルドが答える。
「……馬鹿にしているの?」
「馬鹿になどしていない。……なぜ、怒るんだ」
「顔は普通なのは認めるわ。けど取り柄が特にないって……失礼なこと言わないで」
「……君も自分で、取り柄がないと言っただろう」
「言ったわよ。でも自分で言うのと、あなたが言うのは別でしょう」
「……取り柄が特になくとも、君が好きだということを言いたかったんだが」
乙女心を理解するようになってきたと思っていたが、気のせいだったらしい。
「すまない」
はあ、と盛大に溜め息を吐くと、ハロルドが困惑顔で謝罪を口にした。
自分の発言のどこが悪かったのか、理解していないのかもしれない。
「今度ね、料理を作るわ。あと掃除もする。裁縫は苦手だけれど、私にだって取り柄はあるのよ」
彼の性格を改めさせるより、自分の取り柄を見せ付けたほうがよいだろうと思い、言ったのだが――。
「料理も掃除も苦手なのだろう。する必要などない……すまない……いや、君に、その、使用人のようなことをさせたくないという意味だ」
じと、と据わった視線を向けると、ハロルドがしどろもどろに、釈明をした。
◇
ハロルドはついて来ると言ったが、セレイアは断り、ひとりでヘルトル家の屋敷へ向かった。
屋敷へ着くと、メイド長がセレイアを迎えてくれた。出払っているのか、アンネの姿は見当たらない。
応接室に通され待っていると、しばらくしてディルクが姿を見せた。
「セレイア……」
ディルクはなぜか憔悴したような眼差しで、セレイアを見下ろす。
「ディルク様。嘘を吐いて王都に行き、申し訳ありませんでした。もうお聞きになっていると思いますが」
「いや、いい。……わかっている」
今までの経緯と自身の気持ちを説明しようとすると、ディルクは首を振り、セレイアの言葉を止めた。
「あなたの望むとおり、婚約を解消しよう……」
事情を知れば、わかってくれるとは思っていた。しかし思っていた以上にあっさりと快諾され、セレイアは安堵する。
「ありがとうございます」
セレイアは満面の笑顔で、礼を口にした。
ディルクは口を開きかけてやめる。セレイアから視線を外し、小さく息を吐きながら目を閉じた。
「……あの、ディルク様?」
「……ひとつ訊ねてもいいだろうか?」
黙ったまま動かなくなったので訝んで声をかけると、ディルクはゆっくりと目を開いた。
「何でしょうか?」
「……私のどこがあの男に……ハロルド・ランドールに劣っていたのだろう?誤解とはいえ、あなたに酷いことをした自覚はあるが……やはり最初の頃の態度のせいなのだろうか」
ディルクは碧玉の双眸で、セレイアの心の奥を探るように、じっと見つめた。
.
セレイアはディルクと出会ってからのことを思い返した後、先ほどまで一緒にいた男を想う。
最初からディルクが、最近のセレイアへの態度のように婚約者として丁重に扱い、思いやってくれていたなら……。
ハロルドが大怪我をしたと知っても、王都へは行かなかったのだろうか。会いに行ったとしても、復縁は断っていたのだろうか。
自分の心に問いかけてみたが、答えは見つからない。
婚約解消で疲れきっていたセレイアの心を、ディルクが癒してくれていた気がした。けれど、たとえどれだけ優しくされていたとしても、胸の奥に根付いているハロルドへの想いは、消えなかった気もした。
――君は俺のどこが好きなんだ?
ハロルドの問い掛けが、脳裡に浮かぶ。
「ディルク様、私はあなたがハロルドより劣っているから、婚約解消を望んだわけではありません。ハロルドにも欠点があって、一緒にいると腹が立つこともあります。でも……彼といると落ち着くというか……幸せな気持ちになるんです」
顔も好きだし、声も好きだ。時々無性に苛立つこともあるけれど、性格も嫌いじゃない。
けれどハロルドとこれからもずっと一緒にいたいと思う一番の理由は、彼といると心が満たされ、幸せな気持ちになれるからだ。
きっとハロルドも――。特に取り得のないセレイアを選んでくれるのは、一緒にいる時、幸せを感じるからだろう。そうであってくれたならいいと思う。
「私ではあなたを幸せにすることは出来ない、ということか」
どこか寂しげにディルクは言う。
「ディルク様を幸せにしてくれる人も、きっとどこかにいますよ」
「そうだろうか?」
「え……ええ、……た、たぶん……」
期待を込めて訊ねられ、セレイアは視線を泳がせた。




