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37どこから間違ったのか<ディルク>

「それは……どういうことなのだ……」

「どういうことって、言ったままのことですよ」


 数ヶ月前にも王太子の使いとして辺境領に訪れた男――ニコラスの言葉を、ディルクは理解できなかった。

「コルネリア様がハロルド・ランドールと婚約破棄したからといって、なぜ私達が婚約を解消せねばならないのだ」

 ハロルド・ランドールは紛争地で大怪我をしたという。そんな男相手に王女が降嫁を取りやめるのは、仕方がないことなのかもしれない。

 しかし、そのことと自分達、ハロルド・ランドールの元婚約者であるセレイアは関係ないはずだ。


「以前、あなたに忠告しましたよね。セレイアさんのことは、王太子殿下も気にしておられるから、丁重に扱った方がよいと」

「前はともかく……今は婚約者として丁重に扱っている!」

 コルネリア王女のことを信用しきっていた頃は、確かにセレイアに対し、婚約者としてあるまじき行為をしていた。

 だが今は違う。彼女を将来の妻として、ディルクは大切にしている……つもりであった。


「ですが……セレイアさん、今も離れで暮らしていますよね」

「それは」

 離れでの暮らしは、セレイアが望んだことであった。

 ディルクは屋敷に用意した部屋で暮らして欲しかったのだが、セレイアが離れでの暮らしを希望した。ディルクは彼女の想いを尊重しただけだ。

「いまだに、愛人を囲っていらっしゃるようですし」

「ミア……彼女とはすでに話を終えている。出て行く日も決まっている!」

 ミアとは長い付き合いだ。用済みになったから出て行け、などという薄情な真似はできない。

 これからの生活に困らぬよう、今後も出来る限りのことはする予定でいた。

 ミアに関してはセレイアも寛容で、少しくらい嫉妬してくれれば、とディルクがじれったく思うくらいであった。


「あなたにも言い分があるのは当然です。しかし事実はどうであれ、傍目から見れば、今もセレイアさんを蔑ろにしているようにしか見えませんよ」

 ニコラスは朗らかな笑顔を浮かべ、続ける。

「あなたのセレイアさんに対する仕打ちは決して許されるものではありません。しかし、そもそもこの婚約は、王家の事情で、あなたの意志とは関係なく決められたものです。あなたにも事情があったのでしょう。王太子殿下はあなたをお咎めにならないそうですよ」

 笑顔とはうらはらに、ニコラスの眼差しは鋭い。

 咎めない代わりに、婚約解消に大人しく従えということなのだろう。


「私の想いはともかく……セレイアの気持ちはどうなる?大怪我をした……コルネリア様にいらないと言われた男を、セレイアに押し付けるのか」

 無理矢理ディルクと別れさせられ、意に沿わない結婚をさせられるセレイアがあまりに哀れだ。

「いや、セレイアさんは納得……というか、ハロルドとの復縁を望んでいるんで」

「そんなわけないだろうっ!」

 ディルクは思わず声を荒げた。


 誤解から酷い扱いをしたことを謝罪すると、セレイアは穏やかな笑みを浮かべ赦してくれた。

 彼女は控えめな性格をしているので、真っ向から好意を見せたりはしない。しかしディルクに向ける態度は、将来の夫へ対する尊敬が窺えた。

 そんな彼女が自分以外の男との結婚を望んでいるなど、考えられない。

 

「セレイアは大怪我をしている元婚約者を、放っておけなかったのかもしれないが……」

 セレイアは思いやり深く、優しい。怪我をした元婚約者に迫られ、冷たくその手を振り払えるような薄情な女性ではない。

 しかしそれは愛ではなく、同情だ。こういう場合は男の方が彼女の将来を考え、解放すべきだ。

 同情に縋るなど、誠実さのかけらもない。卑怯な男だ。

 ディルクはこの場にいない、すかした顔の男を脳裏に思い浮かべ、苛立ちを募らせた。


「セレイアが不幸になるのを黙って見ていることなどできない」

 いくら王家の指示だといえども――。

 ディルクが決意を込めて言うと、ニコラスは肩を竦めた。

「セレイアさん、婚約解消はあなたと話し合ってからにしたいって言ってましたから、近いうちに、こちらに来ますよ。正直なところ、あなたにそこまで礼儀を通す必要なんてないと思うんですけど。彼女が不幸せかどうか、その時に確認されてみては」

「……彼女が私の妻になりたいと言ったら……」

 婚約解消はなかったことになるのだろうか、とディルクは期待を込めてニコラスを見る。


 丁重に扱っていないことが婚約解消の理由だというが、当の本人である彼女がそのことを問題視していなければ、理由にはなりえない。

 彼女が望むならば、ディルクとの婚約の継続――結婚を許されてもよいはずだ。


「仮に……セレイアさんがあなたを選んだとしたら、その時は、僕から殿下に掛け合いますよ。彼女を不幸にしたくないのは、みな同じですから……それはそうと、コルネリア王女と、やり直すつもりは全くないのですか」

「……なんだと?」

「コルネリア殿下、ハロルドの次にあなたの顔を気に入っているらしいですよ。ハロルドが駄目になったから、あなたに降嫁してもよい、そう仰っています」

「……断る」


 恋焦がれていた王女を手に入れることができる。澄んだ空色の瞳を思い出すと、僅かだが胸が疼く。

 全く迷わなかったといえば嘘になるが、いくら外見が美しくとも、王女を妻にして喜びを得られたとしても、それは一瞬だ。セレイアとともにいるときの、穏やかなひと時。あれこそが夫婦として一番必要なことなのだと、今のディルクは確信していた。

 それに――ハロルドの次、という言葉も気に障る。


 嫌なら仕方がないですね、とニコラスは皮肉気な笑みを浮かべて言った。



   ◇

 ディルクは三年ほど前、王都で初めて、ハロルド・ランドールに会った。


 都会に憧れる若者だけでなく、辺境領に夢見る者も少なからずいたことから、王都の騎士団とハズバ領騎士団では、二年に一度、数名の騎士を一定期間交換していた。

 交流という名目で、二十年ほど前から始まり、今も続いていた。

 ディルクはその手続きをするため王都を訪れ、知人から頼まれ、公開模擬戦に参加することになった。

 ハロルド・ランドールはその時の、決勝戦での対戦相手だった。


 男のくせに長い黒髪。男のくせに、やたらに綺麗な面立ち。

 軟弱そうな容姿のくせに、腕が立つのが気に入らなかったし、自分と同じくらい淑女達の目を惹いていたのも腹立たしかった。

 決勝戦。ディルクは辛勝した。

 みなの声援に応えたあと、健闘を称えあうためハロルドを見たディルクは、勝利の快感を忘れるほど苦い気持ちになった。


 ハロルドは悔しがっていなかった。かといって準優勝に満足し、喜んでいるわけでもなかった。

 戦う前の淡々とした態度のままで、表情には感情の色がない。

 黒い双眸はつまらな気で、はしゃいでいる姿を見下されているような気がした。

 彼に勝って、気分をよくし浮かれている自分が、ひどく滑稽に感じられたのだ。




 あれから――年月が経った今。

 あの時と同じように、いや、それ以上に、ディルクは自身を滑稽に感じていた。


 話し合うためにセレイアがこちらに戻ってくると聞いていたディルクは、彼女付きのメイドであるアンネを部下に見張らせていた。

 アンネがセレイアに同行していた騎士テリーと会っていたのを知り、彼を呼び出す。

 テリーはディルクの問いに、包み隠さず王都での経緯を話した。話の中には、セレイアが戻ってくる予定の日付もあった。


「ディルク様、念のため言っておきますけど、おかしなことをしては駄目ですよ。二人には王太子殿下がついていますから、横槍をしたら怒られてしまいます」

「おかしなことなど、するわけがないだろう」

「失恋って悲しいですけど……好いた女が幸せになるのを祝福し送り出す……それができる男こそ、男の中の男なのだと思います」

 テリーはなぜか、ひどく哀れんだ顔をして、ディルクに言って聞かせた。


 経緯を知り、テリーから慰めのようなことを言われても、ディルクはまだ、セレイアの心は自分に向いているのだと信じ込んでいた。

 同情から、昔なじみの元婚約者とよりを戻そうとしているのだろうと、思っていた。


 身分を比較しても、自分は辺境伯で向こうは伯爵家の次男。向こうには継ぐ家も、領地もない。

 顔も人により好みはあれど、決してあの男に劣ってはいない。

 そのうえ、大怪我をしている。

 コルネリア王女に捨てられた途端、元婚約者であるセレイアに乗り換えるような、自分本位な男である。


(セレイアに愛を告げ、ハロルド・ランドールに諦めるよう説得するのだ!)


 そう思いながら、ディルクはセレイアが滞在している宿へと向かった。

 そこでディルクは、男と腕を組み、無邪気な笑顔を浮かべる彼女を見た。

 二人で肩を寄せ合って食堂に入ったセレイアは、笑顔の合間に、時折拗ねたような表情も浮かべながら、かいがいしく男の世話を焼いていた。

 どれもが、ディルクの見たことのない表情で、仕草だった。

 そして……彼女の姿と同じくらい驚いたのが、ハロルド・ランドールの態度だった。

 ハロルド・ランドールは、かつてのような淡々とした態度ではなかった。

 セレイアの隣にいる男は、街中でよく見かける――恋する男の顔をしていた。


 鈍いディルクにも、セレイアの心が、今どこにあるのか、わかった。それくらい二人は、親しく……いちゃついていた。

 

 いったい、どこから間違っていたのだろう。

 彼女が王都に行く前に、引き止めていたら、奪われはしなかったのか。

 それとも駆け引きなどせず、早く迎えに行っていたならば、彼女はディルクを選んでくれていたのか。

 彼女と初めて会った時、婚約者として丁重に迎え入れていたら、そうすれば、彼女はあんな風な笑顔を、ディルクに向けてくれていたのだろうか。

 それとも、最初から、あの男にかなうことはなかったのか――。

 どこから間違っていたのか、ディルクにはわからなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ……いちゃついていた で、思わず吹き出しちゃいました笑 重い内容のはず?なのに、所々に入る ヘビネタwとかで、楽しく読ませて頂いてます( *´艸`)
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