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36良かったね、

「……怒っているのか?」

「……怒ってはいないわ。心配しているだけ」

 セレイアは横に座る男に、溜め息混じりに返す。

 

 二人を乗せた馬車はハズバ領へと向かっていた。

 エトムントの用意してくれた馬車は、外装こそ地味であったが、中は広く、凝ったつくりをしていた。特に座席は柔らかく、座り心地が良い。普通の馬車で感じる窮屈感なく、快適だ。

 しかし長旅なのに変わりなく……病み上がりのハロルドにとっては、辛いのではなかろうか、と思う。


「医者からも外出許可は出ている。心配はいらない」

 彼の折れた右腕は念のため添え木をしたままだが、ほぼ完治している。少しずつ動かす訓練をした方がよいと言われていた。

 部屋に篭ってばかりなのも健康にはよくない。しかし王都を歩き回るわけにはいかず……。その点、辺境領ならば人目を気にせず、歩くことができる。

 体は多少辛くとも、ハロルドにとって気分転換になる……とも思うのだが。


「婚約解消のお願いに行くのに、元婚約者……婚約予定の人を同行してるなんて、失礼な気がするわ」

 ディルクは気にしないと思うが、普通に考えたら非常識である。

「……ディルク・ヘルトルとは友人なのだろう」

「友人よ……もしかして、私たちの関係を怪しんでるの?」

「私()()……?」

 うろんな眼差しを向けられ、セレイアは笑う。

「何がおかしいんだ……」

「だって、そんな小さなことで、ヤキモチなんて」

 

 ほんの少し前までは、二度と会えないと思っていたというのに。

 二人とも別の人と結婚するはずだったのに、些細なことでハロルドが嫉妬している。

 そのことがおかしく、奇跡のように感じられた。


「妬いているから、ついてきたの?」

「いや……離れるのが怖かったからだ。君を失いたくない」

「……そ、そう」

 からかうように訊ねたというのに、真剣な答えが返ってくる。

 再会してからというもの、ハロルドは時折、乙女心を射抜くような発言をするようになった。

 朴念仁なところを直して欲しかったけれど、これはこれで何だか恥ずかしくて、居た堪れない。


「手を握ってもいいか?」

「……手?握るの?」

「嫌なのか?」

「……嫌じゃないわよ」


 夜はいつも、ハロルドが眠るまで手を繋いでいる。

 けれど日中に、彼の方から乞われ手を触れ合わせるのは、恥ずかしく、胸が高鳴る。

 セレイアはおずおずと、自身の膝に置いていた手を彼の方へと差し出す。

 ハロルドの左手が優しくセレイアの手を包んだ。


 馬車が揺れるたび、腕や肩が密着する。

「眠くなったら、寄りかかってもいいわよ……離れたりしないわ。あなたが起きるまで、手を繋いでいるから」

「……ああ」

 短く答えたハロルドの手に力が篭った。


 手を繋いでいることの幸せを噛み締めたあと、これからのことを、つらつらと考える。

 まずはアンネに会って、ことの経緯を説明して。それからディルクに会い、婚約解消を願い出る。

 それから、少しだけ辺境領の賑やかな街を、ハロルドと歩けたらよい。


(王都に戻り、正式に婚約をして――それから、おじ様とおば様にご挨拶をして……お父様、とお養母様にも言って、それから……結婚式は目立たないようにして、新居も探して――)

 考えているうちに、ふわふわしてくる。


「……セレイア?」

 ハロルドが名前を呼ぶ。

 低い声が耳に心地よく……セレイアはいつの間にか、眠ってしまっていた。



 それから、セレイアはしばらくして、目を覚ました。

「ごめんなさい……でも、起こしてくれればよかったのに……」

 自身の失態を反省しながらも、セレイアは恨みがましくハロルドを見る。

「君も疲れがたまっていたのだろう。気にせず眠ればいい」

「怪我人を枕にするなんて」

 セレイアは寄り掛かるどころか、ハロルドの太股を枕にして寝てしまっていた。

「怪我は右腕だけだし、もうほとんど完治している」

「……でも……あっ、髪が」

 自身の頭に手をやったセレイアは、髪留めがずれていることに気づく。頭の上で纏めていた髪が、ぐちゃぐちゃになっていた。

「すまない……つい」

「つい、ぐちゃぐちゃにしたの?」

「いや、撫でていたら、ぐちゃぐちゃになった」


 馬車とはいえ、密室である。

 髪を乱したままでいれば、御者に何をしていたのか疑われてしまう。一応はまだ仮の婚約者であり、未婚だ。おかしな想像はされたくない。

 セレイアは慌てて、手櫛で髪を梳き、纏めた。

 そんなセレイアをハロルドが興味深げに眺めている。


「……どうしたの?」

「いや……可愛い、と思っていた」

「……可愛いって……普通って、言ってたじゃない」

 いきなり何を言い出すのだろう、とセレイアは眉間に皺を寄せる。

「顔立ちは普通だが、何でだろうな……可愛くて仕方がない」

 喜んでいいのか、腹を立てるべきなのかわからないが、とにかく恥ずかしくなるような言動だった。

「ハロルド、交代よ。今度は私が膝枕してあげる」

 羞恥心を誤魔化すため、そう言うと、ハロルドは即座に首を振った。


「膝枕は結婚してからだ」

「どうして?遠慮しなくてもいいわよ。あなたも眠たいでしょう」

「遠慮ではないし、眠たくもない」

「でも」

「君こそ、寝たらどうだ?いくらでも枕になろう」

「せっかく今、髪、直したのよ。またぐちゃぐちゃになったら困るわ」

「もう、撫で回したりはしない」

「撫で回したの!」


 などと――。

 くだらない言い合いをしたり、互いの肩に寄りかかって、まどろんだりしているうちに、馬車はハズバ領へと到着した。



    ◇

 馬車はハズバ領で一番大きな宿屋で止まった。

 婚約解消のために来たのに、ヘルトル家に滞在するわけにはいかない。そのため一足先に帰ったテリーが、この宿屋に泊まれるよう、手はずを整えてくれていた。


「なんだ、ハロルドもついて来ちゃったのか」

 馬車から降り、声を掛けてきたのはテリーではなく、彼の従兄弟で、ハロルドの友人であり同僚のニコラスだった。

「なぜ、お前がここにいる」

「殿下のお使いだよ……セレイアさん、辺境伯には話をしてあるから」

 ハロルドと再婚約するのだから、ディルクとの婚約解消は決定事項だ。早めに伝えた方がよいとも思う。けれど礼儀として自分の口から説明したかった。

 そんなセレイアの不満が、顔に出ていたのだろう。


「セレイアさんの気持ちもわかるけれど、そもそも辺境伯との婚約は王家の都合で始まったことだから。彼が王家に対し不満を訴えてもおかしくないしね。こちらとしても手を打っておかないと、ってことだと思うよ。殿下的には」

 王家に押し付けられた婚約だったけれど、最初の頃はともかく、ディルクはセレイアに気を使い、好意的に接してくれていた。

 変態行為に付き合えない以上、ハロルドとのことがなくとも、婚約解消を願い出ていたかもしれないが……セレイアも王家と婚約者から一方的に婚約解消を告げられていたからだろうが……似たような立場にしてしまったディルクに対し、申し訳ない気持ちになった。


「でも、納得してないっていうか……セレイアさんの気持ちを聞くまではっていう感じだったから、彼と話すことはよいことだと思う。殿下の名も出しているから、未練があっても不埒な真似もしない……思い込みは激しいけど、思い入れが強くて、しつこい性格ではなさそうだからね」

 ニコラスはそう言いながら、ちらり、とハロルドを見た。


 話し合いの時にニコラスが立ち会うという話になるが、セレイアは断る。第三者が同席していては、自身の気持ちを正直に伝えることなどできない気がした。

 未練と不埒の言葉に反応したハロルドが、立ち会ってもらえ、と横槍を入れてきたが、そういう方ではないから大丈夫、と返す。

 おそらく、口づけを奪われていた件が頭を過ぎったのだろう。

「大丈夫、ではないだろう……」

 ハロルドが冷たい目で睨んできた。


「あれは……あの時はあの時で、今は今だから」

「……意味がわからない」

「大丈夫だからってことよ。心配しなくてもいいわ」

「何が、どう、大丈夫なのか、きちんと説明してくれ」

「説明するのは……いろいろ、難しいのよ」

 ディルクの性癖のことを、口が軽くないハロルドといえども、話すのは気がひける。

「難しいというのは、どういうことだ?」

「いろいろあるの」

「いろいろ……?……何があるんだ」


 言い合いながら、ふと見ると、ニコラスが生温かい目でセレイア達を眺めているのに気づく。

「すみません……」

 思わず謝ると、ニコラスは構わないという風に手を振る。

「面白いから、続けてよ」

「いえ、続けませんよ」

 セレイアが言うと、ニコラスは声を立てて笑った。

「良かったね、ハロルド」

 笑った後、ハロルドに優しげな眼差しを向け、ニコラスは、しみじみとした口調で言った。

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