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34道化<挿話>

※ミア視点の挿話。重要なところは本編でもやるので、読み飛ばしても大丈夫です。


――容姿は劣るが……あの方と同じ瞳と髪の色をしている。


 うっとりと目を細め、自分を通して他の誰かを見つめていた。

 その時は気づかなかったけれど、恋はあの時に終わっていたのだろう。


  ◇

「よろしいのですか?」

 ミアが訊ねると、ディルクの碧玉の眼差しが揺れた。

「……何がだ?」

「セレイア様のことです。お迎えに行かなくて、よろしいのですか?」

 セレイアが手紙を残し、王都に帰ってから、一週間が経とうとしていた。

 父親の体調が悪い、母親の墓参りをしたい――。そんなことが書かれていたというが、ミアは本当は別の理由があるのでは、と訝しんでいた。

 セレイア付きのメイドであるアンネの様子があきらかにおかしいのだ。

 もともと軽率で愚かで……おかしなところのあるメイドだが、仕事ぶりは真面目であった。しかしセレイアが王都に戻ってからは挙動不審で、心ここにあらず。仕事も手に付かないようで、失敗も多いと耳にしてる。

 そのうえ、いつもは無礼なくらい、はっきりとした物言いだというのに、話しかけたら異様なくらい畏まっていたのも怪しい。


 セレイアには領地の騎士が同行しているというが……。

(騎士と駆け落ち……それは流石に、ないでしょうけれど)

 いくらディルクと結婚するのが嫌だったとしても考えにくい。

 セレイアは理性的な人に見えたし、彼女の中に根付いた恋心がそう簡単に移ろうとも思えなかった。


「迎えにいく必要はないだろう……むしろ、少し放置するのもよいかと考えている」

「放置、ですか?」

「ああ。これは彼女なりの恋の駆け引きだと私は思っている。迎えに来てくれると、期待しているのだろう。ここ最近、彼女に対し積極的だったからな。しかし、だ。ここは追うのではなく、一度、引く。彼女が自分から戻ってくるのを待つのだ」

 ディルクは絵筆を走らせていた手を止め、不敵に笑った。

 彼の絵のモデルとして、窓の前で椅子に座っているミアは、表情を変えず、心の中で盛大に溜め息を吐いた。


 ディルク・ヘルトルは顔がすこぶる良い。若い頃から父親の代わりに領地の管理をしていて、要領も良く、仕事ぶりも真面目だ。

 女性の扱いも基本的には、上手い。しかし――根本的なところで女心を理解していなかった。

 その辺りの鈍感さが、今まで交際していた女性と長続きしなかった理由なのだろう。


 セレイアがディルクに恋心を抱いていないことは、二人を知る者はみな知っていた。知らないのはディルクくらいだ。

 ディルクに対するセレイアの態度は義務的だった。彼がご機嫌を取ろうと話しかけても、セレイアはつまらな気に相槌を打つだけで、嬉しそうにしている姿は見たことがない。

 屋敷の者たちは、初対面の印象が悪過ぎたせいで、いつかはセレイアの気持ちも軟化するだろうと期待しているようだ。

 しかし、セレイアのあの態度は、ディルクのせいではなく、彼女自身の心の問題だと、ミアは思う。


「ディルク様。心というのは複雑だけれど……単純でもあるのです」

「……どういう意味だ?」

「駆け引きなどせず、想いを真摯に伝えるのが先なのでは」

「想いはすでに伝えてある」

 ディルクは心外だ、とばかりに眉を顰めた。


 ディルクは伝えていると言っているが、おそらくセレイア本人には伝わっていない。しかし当の本人であるディルクは自信満々だった。この件は、いくらミアが忠告したところで無駄だろう。

 どちらにしろ、ミアはすでにディルクとの話し合いを済ませていた。屋敷を去る日も決まっている。

 自分が出て行った後、ディルクとセレイアがどうなったとしても――ミアには無関係の話だった。


「君が去る前に、この絵を完成させたい」

 独り言のようにディルクが言う。

 ディルクは余暇の合間に、ミアをモデルにして肖像画を描いていた。

 三年かけて、ようやく完成するらしい。


――容姿は劣るが……あの方と同じ瞳と髪の色をしている。

 初めて出会った時の、嬉しげにそう言ったディルクの姿を思い出す。

 ディルクはいつも、ミアを通してコルネリア王女を見つめていた。

 肖像画のモデルはミアであったが、描かれているのはコルネリア王女のはずだ。


 コルネリアの代りの立場と引き換えに、ミアはディルクから援助を受けていた。

 損得のうえに成り立っている関係なので、ディルクを恨んだり、身の程を弁えない嫉妬など抱いたりはしない。

 しかし、人の心というのは複雑で、一緒に過ごす時間が長くなれば、情もわく。


 幼い頃に両親を亡くしたミアは、縁戚の旅芸人一座の座長に育てられた。座長はミアに厳しく、様々な芸を仕込んでくれた。座長のおかげで今があるのだ、と感謝はしているが――優しさには餓えていた。

 ディルクに優しくされれば、心は揺れた。


 ディルクに恋をしているのかもしれない。

 そんな風に思いかけるたび、ミアは初めて会った時のディルクの言葉や態度を思い出す。

 王女に髪と目の色が似ているから傍に置いているだけで、色が違えば、彼はミアに興味も抱かなかった。その事実を思い出すと、熱くなりかけていた心は急速に冷え、ミアを冷静にさせた。

 彼に愛情と同類のものを向けられそうになっても、一定の距離を置き、それ以上の関係は決して築かなかった。


(今となれば……恋などしなくて正解だった……)

 コルネリアに騙されていたディルクは、良くも悪くも『普通』なセレイアに癒しを求め、惹かれていった。

 それと同時に――コルネリアへの恋心を失ったからなのか、単に婚約者に誠実であろうとしているのか――ミアへの関心も薄くなっていった。

 身分の違いもある。嫡子を産むための愛人になど、なりたくなかった。貯えも出来たし、幼い頃からの夢を叶える時なのだ。そもそも夢のために、ディルクに近づいたのだから、これで良かったのだと、そう思う。しかし……。


 もし初めて会った時、ディルクが別の言葉をかけていたなら。せめて、『容姿は劣るが』の前置きさえなければ、どうなっていたのだろう。

 もしかしたら、恋をしていたのかもしれない。

 セレイアに嫉妬し、意地悪をしたりして、彼に縋りつき、捨てないで、と泣いていたのだろうか。

 そんな悲劇的な女優のような自分も見てみたかった気もした。



   ◇

 辺境領に王太子の使いが訪ねて来たのは、その五日後のことであった。

 使いは以前にも辺境領へ訪ねてきたことがある、ニコラスという名の優男だった。


 セレイアの元婚約者であるハロルドが紛争地で負傷し、コルネリア王女との婚約が破談となったらしい。

 王家は外聞のためか、セレイアとハロルドの復縁を決めたという。

 

 王家の都合により振り回されるかたちとなったディルクは、当然納得しなかった。

 けれど、愛人がいて離れにセレイアを追いやっていたことを責められては、彼も頷かざるを得なかったようだ。

 一度は屋敷に入れておきながら、最近になり、再び離れに追いやった。そのことが特に印象を悪くさせていたらしいが――それに関しては、セレイア自身の願いだったのが皮肉だった。

 最初から丁重にセレイアに接し、婚約者として受け入れていたならば、これほど簡単に婚約解消を言い渡されはしなかったのだろうが、後悔してももう遅い。

 王家からは、お詫びのように、コルネリア王女の降嫁も匂わされたらしいが、流石にそこまでディルクも愚かではなかったのか、固辞したという。


 ニコラスが訪れてから十日後。

 セレイアが辺境領へ戻ってきた。

 彼女なりの誠意なのだろう。ディルクに婚約解消の説明をしに来たらしい。

 彼女()()の姿を見るまでは、自分の時のようにセレイアが復縁を王家から強要されているのだと、ディルクは信じていた。彼女が求めれば、救ってやる用意もある、と豪語もしていた。

 しかし鈍感で愚かな男も、ようやく、セレイアの気持ちがどこにあるのか知ったらしい。

 

 己の矜持を守るためか、それともセレイアのことを思いやってか。

 恋心など、ひとかけらもなく、友情だけだったと。ディルクはセレイアの前で、道化のようにことさら明るく振舞っていた。



 ディルクとセレイアの婚約は解消されたが――約束は約束である。

 多少の未練はあったが、ミアはディルクの元を離れた。


 持っていくようにと渡された荷物の中に、一枚のキャンバスがあるのに気づいたのは、新居に移って数日が経ってからだった。

 覆っていた布地を外したミアは、精緻なタッチで描かれた、穏やかに微笑む女性の姿を見て驚いた。

 描かれていたのは、コルネリア王女ではなく、ミアだった。

――心というものは、複雑だけれど……単純にできている……。

 ディルクが三年かけて描いた絵が、自分だったことが嬉しい。けれど少し寂しくもあって。

 ミアはディルクの描いた『肖像画のミア』のように、穏やかな笑みを浮かべ、少しだけ泣いた。



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