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30後悔しないために?

「セレイアさんに教えるべきかニコラスも迷ってたみたいなんですけど……ハロルド副隊長に、もしものことがあって……後からセレイアさんが知ったら、その方が傷つくんじゃないかって」 

 テリーは苦渋に満ちた声で言う。

「……もしものこと……。そんなに酷い、怪我なの?」

 セレイアは呆然としながらも、訊ねる。

「詳しくはわからないんですけど……顔と右腕を負傷して、意識もなかったって、手紙にはそう書いてありました」

 顔はともかく、ハロルドの利き腕は右だ。後遺症が残ればきっと困るだろう。いや、それよりも、意識がない……と――。

 冷水を頭から浴びせられたみたいに、体がどんどん冷たくなっていき、足元がぐらつく。

「セレイア様っ」

 ふらついたセレイアを、背後にいたアンネが支えた。


 ミシミシミシミシ……と鳴く虫の声と、葉の浮かんだ池。

 母親が亡くなった時、死なないと約束した少年の姿を思い出す。


「……アンネ……どうしよう……ハロルドがいなくなっちゃう……」

「……セレイア様……」

 セレイアは動揺のあまり、少女の頃のような口調で不安を口にした。

 セレイアを支えているアンネの指に力がこもる。


「テリーさん。ハロルド様はまだ紛争地に?」

「いや、今は王都に戻って、王立病院で治療をしているそうです」

「セレイア様、王都に行ってください!ハロルド様に会いに行かないと!」

 真摯な眼差しを向けてくるアンネの言葉に、セレイアの心は徐々に冷静さを取り戻していく。


「……何を言ってるの。……無理よ」

「どうして無理なんです?」

「だって……彼とはもう何の関係もないし……それに、今はディルク様の婚約者なんだし」

「ディルク様には適当に嘘を付いてごまかしときます!旦那様が急病だと、知らせがきたとかいって」

 旦那様というのはセレイアの父親のことだ。

「嘘はよくないわ……それに、彼にはコルネリア様もいるのよ」


 ハロルドに会いに行ったとしても、会わせてはもらえないだろう。お叱りを受ける可能性もある。

 セレイアだけのことだけで留まればよいが、婚約者の管理不行き届きだとディルクにまで迷惑をかけるかもしれない。

 感情のまま会いに行ったところで、セレイアが彼のために出来ることは何ひとつないのだ。


「なら、セレイア様はここで、ハロルド様の回復を祈ってるだけでいいんですか?」

「良いも悪いも、それしか出来ないわ」

「それで、亡くなったら?後悔しませんか?死ぬ前に、一度だけでも会っておけばよかったって。会えなかったとしても、会う努力をしておけばよかったって、思いませんか?」

「縁起の悪いこと言わないで。……アンネ、あなたハロルドのこと、さっさと忘れて次の相手見つけろって言ってたじゃない。私が未練がましく、蛇の置き物を持ってるのに腹を立てていたのでしょう?なのにどうして、ハロルドに会いに行けって言うの?」

 まさか死ぬ前に会えば、未練がなくなるとでも思っているのか。ハロルドが死ぬこと前提で話しているアンネを、セレイアは睨みつけた。


「あれはっ……置き物のことは、本当に申し訳ありませんでした……」

 さきほどまでの威勢のよさをなくし、アンネはしゅんとうな垂れる。

「……ミアさんに言われたんです……ディルク様から、置き物を捨てたことを聞いたらしくて、どうしてそんな真似をしたのかって、訊ねられて……」

「ミア様に?」

「ミアさん、セレイア様の気持ちはセレイア様にしかわからない、って。自分の気持ちを押し付けるのはよくない、って。彼女だって、ディルク様を押し付けようとしていたくせにって、はじめは腹も立ったんですけど……でも、セレイア様、あれからすごく落ち込んでいて。私、取り返しのつかないことをしてしまったんだって、気づいて」

 アンネは双眸に涙を滲ませ、訥々と言う。

「私、セレイア様に後悔して欲しくないんです!他人じゃなくて元婚約者なんですよ!お見舞いくらい行ったって大目にみてくれます!いいじゃないですか、追い返されたら追い返されたで!会えなかったら、その時はその時です!」

 アンネはセレイアに対するコルネリア王女の感情を知らない。彼女が大目にみてくれるような寛大な心の持ち主であったとしたら、セレイアはきっとディルクの婚約者にはなっていなかっただろう。


 アンネの発言は何も知らないからこそ無責任で――いつもの彼女と同じく、『考えなし』だった。

 セレイアは思わず笑ってしまう。

「気持ちを押し付けるのはよくないって言ってるけど、今のあなたの言動も、気持ちの押し付けよ」

「……そうですけどっ……もう黙ります。セレイア様が決めてください」

 アンネはむすりと口を閉じた。


 ディルクの婚約者になるように言われたけれど、セレイアは王都に出入りを禁止されているわけではなかった。

 さきほどアンネが言ったように、父の体調が悪いからという理由で戻っても別に構わないはずだ。

 結婚すれば辺境伯夫人として忙しくなるから、その前に母の墓に参った、という理由だってよい。


「何かあれば、ニコラスがどうにかしてくれますよ!ニコラスの後ろにはたぶん、王太子もついてるんだし。心配いりません!きっと大丈夫です!」

 セレイアの迷いを晴らし、気持ちを後押しするように、テリーが言う。

 彼の発言も、後で冷静になって思い返したら、アンネに負けないくらい無責任過ぎるのだが、この時のセレイアには力強く感じられた。


「……王都に、行くわ」

 普段のセレイアなら、いくら二人に煽られても、こんな軽率な決断はしなかっただろう。

 けれど、ハロルドが大怪我を負っていて命を落としてしまうかも、と思うと、いても立ってもいられなくなる。焦燥感がセレイアを愚かにさせていた。



 ヘルトル家の馬車を利用するわけにはいかないので、乗合馬車を利用することにする。

 テリーが王都に同行すると、申し出てくれた。

 彼にも仕事はあるし、そこまで世話になるわけにはいかない。そう一度は断ったのだが――。ハロルド副団長には恩義がある、費用はニコラスに請求するし、あなたの身を守るのも辺境騎士としての仕事だ、と返された。

 女の一人旅は危険もあって、彼が同行してくれるならば心強い。

 お礼は後で必ず、と心に決め、セレイアは彼の厚意に甘えることにした。


 身支度のため、セレイアは一度部屋に戻った。

 手荷物は多くない方がよいのだけれど……何かに縋っていないと、心が揺らいでしまいそうだった。

 黒くなった蛇の置き物を握り締め、手荷物に加える。


 ディルクへの言い訳はアンネに任せたが、一応、短いが手紙も残した。

 父の体調が悪いので一度顔を見せておきたい。そのついでに、母の墓参りもしたい。急に決めて申し訳ない。王太子伝手の連絡だったので、ニコラスの従兄弟でもある辺境騎士団のテリーをお借りする、と。

 もしかしたら後で、軽率な行為を叱責されるかもしれないが、その時はその時だ。

 テリーがセレイアを連れ出したとして処分されるようなことになれば、自分が命令したから、彼は仕方なく従ったのだ、と説明すればよい。

 それでもディルクがセレイアとテリーを赦さないというのであれば、それこそニコラスから王太子にお願いし、婚約者を変えればよいだけだ。

 アンネとテリーに感化されたのか、セレイアも無責任な気持ちになっていた。

 アンネと手紙の内容を元に打ち合わせをし、セレイアは離れを後にした。



  

 馬車の中で、セレイアはハロルドの無事を祈り続けた。

 アンネはお見舞いに、と言っていたが、セレイアはハロルドと会うつもりはなかった。

 彼に会いたくて、王都に向かっているわけではない。

 セレイアは彼の怪我の具合を、はっきりと確かめたいだけだった。命を落とすかもしれないと不安に駆られながら、知らせをじっと待ち続けるなんて、出来そうになかったから。

 だから、無事だと聞けたなら――すぐに辺境領に戻るつもりだった。

 運よく会える機会があったとしても、会わずにいようと思う。

 今、会えば、閉じ込めていた想いが溢れ出してしまいそうで怖かった。


 無事でなかった場合のことは考えない。

 考えたら苦しくて、どうにかなってしまいそうだった。



 二日間馬車に揺られ続け王都に戻ったセレイアは、ハロルドの生家であるランドール家に向かった。

 ハロルドの怪我の状態を知りたかったけれど、王立病院に行けばコルネリア王女と出くわす可能性がある。

 彼の母親、ランドール伯爵夫人に訊ねるのが、最善だ。


 セレイアは幼い頃から、ランドール家に出入りしていて、使用人とも顔見知りだ。

 ランドール伯爵夫人はセレイアをいつも気にしてくれていた。ハロルドとコルネリア王女との噂が広まっても、彼女がきつく使用人に言って聞かせているのだろう、ランドール家の使用人たちは、セレイアに対し、いつも優しかった。

 しかし、正式に婚約解消してからは、ランドール家を訪れていない。

 不安に思いながら、門の前で中を窺っていると、ランドール家の庭師がすぐにセレイアに気づき、伯爵夫人に取り次いでくれた。


 小走りで現れた伯爵夫人は、セレイアを見るなり抱きしめてきた。

「セレイア!」

「お、おば様……」

 大粒の涙を零し、号泣する伯爵夫人に嫌な予感がした。

「ハロルドが、大怪我をしたと耳にして……様子だけでも聞こうと思って、訪ねてきたのです……。怪我の状態は……?大丈夫ですよね」

 どうか無事であって、とセレイアは祈りながら訊いた。

「ええ……――」


 ハロルドは寝たきりの状態だが、意識は戻っている、と伯爵夫人は涙声で教えてくれた。

 今のところ命に別状はないが、後遺症が残るかもしれない、と聞き、胸が痛くなった。

 けれど、でも……彼が生きていることに、セレイアは安堵する。


「……これから、大変かもしれないけれど……でも、安心しました。本当に、心配していたから……」

「……セレイア……こんなことお願いするの、迷惑だと思うのだけど……あの子に会ってもらえないかしら?こちらから婚約を解消して……あなたは結婚を控えているっていうのに。勝手なことを言っているってわかってるの。でも一度だけでいいのよ……生きろ、ってひと言でいいから怒鳴ってやって。……あの子、こんな怪我負う前から……あなたと別れてから生きる屍みたいで、見ていられないのよ」

 伯爵夫人が、ためらいがちに言う。

 セレイアは戸惑った。

「でも……コルネリア王女様が、いらっしゃるのでしょう?私が会いに行ったら、きっと迷惑になります」

 伯爵夫人はひどく疲れた顔をして、セレイアを見る。


「あの子ね……王女様に婚約を破棄されたのよ」

 溜め息まじりに告げられ、セレイアは言葉を失った。

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