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29それからと、知らせ

 蛇の置き物が焼け焦げてから、二十日ほど過ぎていた。

 あれからセレイアは離れへと戻り、生活している。

 部屋まで用意してくれたディルクには申し訳ないと思ったが、一人になり考える時間が欲しかったし、強引に荷物を運ばれたことも納得できなかった。

 ディルクには引き止められたが、セレイアの私物を処分してしまったという負い目もあったうえに、どうやらミアが無理強いするのはよくないと助言をしてくれたようで、渋々ながらも離れに戻ることを許可してくれた。

 その代わり……というわけではないのかもしれないが、食事は離れではなく、屋敷で取ることになった。

 もともと、アンネに食事を運ばせていたことだけでなく、ヘルトル家の使用人に自分たちのぶんだけ別に用意してもらっていることも、セレイアは気が引けていた。自分が移動した方が早く、その決め事はセレイアにとってはありがたかった。


 夕食はディルクは仕事で遅くなる日もあり、同席はしないことの方が多かったが、朝食はたいてい広いテーブルに向かい合って、一緒にとった。

 彼はいつも、愛想良く、流暢に『お喋り』をした。

 最初の頃の態度が嘘のような豹変ぶりで、未だに少し戸惑いがある。

 誤解があったからあのような失礼な態度だっただけで、こちらが本来のディルクなのか。それともセレイアに何かを期待していて、必死でご機嫌を取ろうとしているのか。


(どれだけ期待されても、彼の変態行為に付き合えはしないのだけれど……)

 知り合っていくうちに、悪い人ではないというのはわかった。

 身分だけでなく、見かけも良いというのに、人に理解され難い嗜好の持ち主だというのも、哀れだと思う。

 けれどやはり、無理なものは無理なのだ。


 ニコラスに相談し、婚約者を変えてもらった方がよいのだろうか、と――セレイアは最近、思うようになってきた。

 あの日。蛇の置き物が黒焦げになった日に、アンネに向けられた言葉が、胸の中に残っているせいだろう。


 セレイアも決して、不幸になりたいわけではない。

 彼女の言うとおり、ハロルドのことなどさっぱり忘れてしまうことが、一番、幸せになれる近道なのだろうとも思う。

 けれど、忘れろと言われたところで、記憶喪失にでもならない限り、忘れることなどできやしない。

 それに、こうして未練がましく彼のことを想う自身が、不幸だとも思えなかった。


 ハロルドと別れた時、セレイアは彼の幸せを祈った。

 恋心を自覚した今も、その気持ちは変わらない。あの不器用な人が、不幸になる姿は見たくない。

 たとえ隣にいるのが自分でなくとも、幸せでいて欲しかった。もちろん、嫉妬がないといえば嘘になるけれど。


 もしかしたら、セレイアが彼の幸せを祈ることも、彼にとっては迷惑だったのかもしれない。

 アンネの想いを、余計なお世話だと、押し付けのように感じてしまうセレイアのように。


 アンネはあの後すぐ……焼却場の前で佇むセレイアを見つけて、謝罪をしてきた。

 燃えカスを拾いに行くほど大切な物だと、認識していなかったことへの謝罪なのか。主人であるセレイアの私物を、使用人という立場だというのに、勝手に処分してよいと、ディルクへ言ったことに対してなのか。

 それとも、感情のままにセレイアに向けて放った言葉の数々を、失言だと感じているのか。

 彼女は嗚咽の合間に何度も、ごめんなさい、を繰り返していた。


 セレイアはハロルドとアンネが接する機会はもうないからと、婚約解消に至った経緯を彼女に話していなかった。

 事情を知らないアンネは、セレイアを想い、ハロルドへの恨みを強くしたのだろう。

 アンネのことは友人だと思っている。隠さなければならない理由もなかったし、きちんと話をしておけば良かったと反省もした。

 けれど――彼女の謝罪に、気にしていない、とは返せなかった。

 どんな理由があれ、私物を勝手に捨てるのは許し難い。たとえ主従が逆であったとしても同じだ。セレイアはアンネの私物を勝手に捨てたりはしない。

 黒焦げになった蛇の置き物は、決して元通りにはならないのだ。

 セレイアは頭を下げるアンネに、もういいから、とだけ言った。

 赦すことはできなかったけれど、怒ることもできなかった。

 彼女が感情的で軽率なところがあるのは、セレイアもよく知っていた。

 そういう欠点とともにある、屈託のなさや明るさに救われていたのも事実だった。


 もういいから、が『赦し』ではないことは、アンネもわかっていた。

 傷ついた顔をした彼女は、申し訳ありませんでした、と深々と頭を下げた。


 あれから、アンネに対しセレイアは普段どおりに接するようにした。彼女もまた以前と同じような態度をしようと心掛けているようだった。

 しかし蛇の置き物が元の姿に戻らないように、アンネとの関係も何事もなかった以前のようには戻りはしない。

 二人でいても、落ち着かず、気まずいままだった。


 ディルクとの関係もこの先どうするべきか答えを出せず、アンネに対してもどうすればよいのかわからずにいた頃だった。

 離れに、ニコラスの従兄弟で、前に街に行った際に護衛をしてくれたテリーが訪ねて来た。



「あの……セレイア様。テリーさんがいらっしゃっているんですけど」

 部屋で本を開いたまま、ぼんやりとしていると、アンネがノックの後、顔を覗かせて言った。

「テリー?」

「前に護衛をしてくれた……」

 一瞬、誰のことがわからなかったが、アンネに言われて思い出す。

「何の用かしら。……ディルク様に頼まれて?」

「いえ、違うみたいです。セレイア様に会って、お話がしたいって……そう仰っているので、外で待ってもらっています」

「すぐに行くから、そのまま待ってもらっていて」

 ディルクの愛人であるミアの時とは違う。彼の部下で、辺境領の騎士といえども、男性だ。ディルクの許可なく中に通すわけにはいかなかった。

 セレイアは軽く身なりを整えてから、離れの外へ出た。


「いきなり訪ねてきて申し訳ありません」

 テリーはセレイアを見るなり、頭を下げた。

「いえ、大丈夫よ。話というのは何かしら?」

 ディルクの使いでないのなら、従兄弟であるニコラスの使いだろうか。

 以前、ニコラスはセレイアに、何か困ったことがあれば、テリー経由で相談するように言っていた。

 セレイアが未だにディルクに虐げられているという噂があって、再度確認をしに来たのかもしれない。

 この際だ。ディルクとは別の婚約者を探してくれるよう頼もうか、と迷うけれど、婚約者変更になれば、虐げていたことが確定し、ディルクの評判が下がるかもしれない。

 以前はともかく、今はセレイアに気を使ってくれている。悪者にするのは、何だか心苦しい。


 婚約を解消してもらうにしても、ディルクと一度話し合って――。

 セレイアが考えを巡らせていると、

「ニコラスから連絡があって……ハロルド副隊長が……バーム族との戦いで大怪我を負ったそうです」

 テリーは青褪めた顔で、そう告げた。

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