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28幸せになれない男

※たすけられた男視点。

 すらりとした長身に、艶やかな黒髪。涼やかな目元に、高い鼻梁。唇は薄く、冷たげに見える。


 ハロルド・ランドールをイアンが初めて見たのは、四年前のことだ。

 当時、まだ十七歳だった彼は、紛争地での功績を称えられ、国王から勲章を授与された。

 群衆が見守る中で行われた叙勲の儀の場で、彼は緊張した様子はなく、かといって喜びで唇を綻ばせることもなく、淡々と勲章を受け取っていた。


 二度目に彼を見たのは、その半年後。

 王宮騎士団の訓練場で行われていた公開模擬戦を観戦しに行った時だ。

 勝ち抜き形式、一対一で戦う模擬戦でハロルド・ランドールは軽々と、自身より体格の上回る者達を倒していった。

 最後に残ったのは、金髪碧眼のやけに見栄えのよい男だった。

 美形同士の戦いに観戦に来ていた女達は、興奮のあまり奇声をあげていた。

 決勝戦は今までの戦いとは違い、お互いに手こずっているようだった。

 実力は拮抗していたが、ハロルド・ランドールの方が経験が少ない分、持久戦に弱かったのだろう。足を取られた隙を逃さなかった金髪の男に敗北した。

 勝利に喜び、歓声に笑顔で応える金髪の男とはうらはらに、負けても悔しさをひとつ滲ませることなく、彼は始終淡々としていた。

 敗者だというのに、イアンの記憶により鮮やかに残ったのはハロルド・ランドールだった。


 騎士学校に通い始めたばかりだったイアンは、彼のような騎士になりたい、彼の部下になりたい、とハロルド・ランドールへの憧れを強くしていった。

 そして騎士学校を卒業した年、ちょうどハロルド・ランドールがバーム族の討伐団長に任命されたと知った。

 彼の下で働きたくて、王太子の騎士団に志望届けを出していたが選ばれず、イアンは王都警備担当の騎士団に配属されていた。

 ハロルドの部下になれる絶好の機会を逃したくなかったし、もし働きが目に留まれば、転属してくれる可能性もあった。

 四年前のバーム族との紛争で亡くなった騎士が多くいたせいか、志願者は少なかったのだろう。イアンはすんなりと討伐団に加わることができた。



   ◇

 体が鈍く痛む。

 呻きながら目を開けたイアンは、少しの間、ここがどこだかわからなかった。

 柔らかな寝台の上でないのは確かだ。天井がないので、野外だ。

 顔を仰のかせると暗闇の中、薄っすらと木葉の影が見えた。葉に溜まった水が、ぽつぽつ、と落ちてきて、イアンの頬を濡らした。

 イアンは木を背にして寄りかかっていた。俯いて、体を見ると、騎士服は泥だらけだった。


(そうだ……確か、バーム族に襲われて、人が死んで……それから雨が降ってきて、それから……)


 地鳴りとともに、大量の土砂が崩れてきた。その状景が頭の中によみがえり、イアンはぞっとする。

「……目が覚めたか?」

 少し離れた先から声がした。

「あ……はい……ハロルド・ランドール団長?」

 土砂が体を飲み込む寸前、ハロルドがイアンに駆け寄ってきたのを思い出す。

 彼に突き飛ばされるようにして、斜面に一緒に転がり落ちた。ごおお、と獣の唸るような不穏な音が、後を追ってきた。

 あの状況で、土砂に飲み込まれず、生きていたことに驚く。

「……生きてたんですね」

「かろうじてだが。しかし道は遮断されてしまった。迂回路を探さなければならないが……動くのは夜が明けてからだ」

 ハロルドは淡々とした口調で答えた。

 命の危険に晒され、何とか生き残った。そういう時ですら、彼は取り乱すことがないのだと、イアンは感心する。


「あの、ありがとうございます。団長が助けてくれなければ、俺、泥に飲み込まれていました」

「団長としては褒められた行動ではない。ニコラスが俺の代わりに、彼らを無事連れ帰ってくれればよいのだが」

 いち騎士の命を守るために、責任のある立場の団長が危険を冒すのは、確かに褒められた行動ではなかった。

 しかし、抑揚のない声色のせいもあって、助けなければよかった、という風に聞こえる。

 迷惑をかけて申し訳ないと思いながらも、もうちょっと気のきいた言い方は出来ないものか、とハロルドの冷たさに、嫌な気持ちになる。

「見捨ててくれて、よかったんですよ」

 イアンはつい、皮肉のようなことを言ってしまった。

「君は……俺の大切な人に似ていた。だから、考えるよりも先に動いてしまった」

 イアンの皮肉に皮肉で返したわけではなく、助けたことを後悔している風でもない。ハロルドは単に事実を述べている、といった感じだった。

 彼は冷たいのではない。単に気づかいの出来ない、嘘の吐けない人なだけなのだろう。

 そのことに気づいたら、さっきまで抱いていた不快感は一瞬で消えていった。


「……オレ、似てますか?」

 ハロルドの大切な人というと、コルネリア王女のことだろう。

 年齢は確か同じくらいだが、精霊のように美しい王女とイアンに共通点などない。

 もしかすると、王女は外見とは違って、性格はのほほんとした平凡な感じな女性なのかもしれない。

「顔のつくりはもちろん全然違うが……似ている。……それより、暗いので君の怪我の状態がわからない。大きな傷はないようだが、大丈夫か?」

「ええ、はい」

 転んだとき足を枝で切っていたが、そこまで深くはなさそうだ。

 泥と雨で気持ちが悪いのと、体を打ち付けたせいで鈍く全身が痛む。しかし、我慢できないほどではなかった。

「なら、朝になるまで、体を休めているといい」

「はい」

 あれほど降っていた雨も、今は止んでいる。

 イアンは眠ることはできなかったが、目を閉じて、夜が明けるのを待った。



「うわっ!団長、顔!顔!酷いことなってますよ!」

 薄っすらと明るくなり、イアンは痛む体を叱咤し、立ち上がった。

 辺りを見回し、ハロルドの顔を見たイアンは驚く。

 髪や顔に、泥が飛び散り、乾いてこびりついていた。汚れ具合も酷い状態なのだが、それ以上に、右頬の辺りが石にでも当たったのか赤く腫れた上に、皮が捲れていた。

「血は止まっているが」

「せっかくの美貌が台無しですよ!跡残らないといいけど」

 他の……たとえば自分のようなありきたりの顔ならば、男だし傷ぐらいどうということもない。

 しかし彼のように完璧に整った顔なら別だ。男であっても気になるだろうと思ったのだが……ハロルドは自身の顔に全く頓着していないようだった。

「それより、君の足の方が酷い」

 ハロルドはイアンの心配をさらりと流し、眼差しを足元に向け、険しくする。

 深傷ではなく、腕で押さえているうちに血はいったんは止まっていたと思っていたのだが――立ち上がった時に傷が開いたようだ。

 布地ごと皮膚が切れた脛の下あたりから、たらたらと血が流れていた。

「止血したほうがいいな」

 ハロルドはそう言いながら、胸元を探り、ハンカチーフを取り出した。

「自分で出来るか?」

「はい」

 イアンは白い絹のハンカチーフを受け取る。

「それは魔よけの刺繍がしてあって、大事にしているものだ。汚れるのは構わないが、後で必ず返して欲しい」

「……そんな大事なものなんですか?使うの、気がひけるんですけど」

「君の怪我も悪くならないよう守ってくれるかもしれない。返してくれさえすればいい。気にせず使ってくれ」

「……ありがとうございます」

 忘れないよう、絶対返そう。

 イアンは心に刻み付けながら、ハンカチーフを開いた。

 すみにあった刺繍に気づき、目を瞠る。

 不可解な気持ちになりながら、傷口の上部分を縛った。


「歩けるか?悪いが……手を貸すのは、できればしたくない。右腕が折れている」

「え!」

 よく見ると右腕に添え木がしてあり、シャツで固定してあった。

「利き腕でしょ!そっちの方が重傷じゃないですか!」

「今、獣かバーム族に襲われたら、走って逃げるしかないな」

 ハロルドは淡々とした口調で言う。

「オレが戦います。足はちょっと切れてるだけで歩けますし、腕は両方無事ですから!」

「……そうならないことを祈っている」

 イアンが元気付けるように言うと、ハロルドは僅かに唇を綻ばせた。



 ところどころで土砂崩れが起きており、山道が塞がれていた。

 何とか歩ける場所を探し、先へ進む。


「あの……ひとつ訊いてもいいですか?」

「迷っているのか訊かれても答えようがない」

 来た道には目印をつけていたし、一応、山道を目安にして進んでいた。

 大きい山ではないので遭難はしないと思うが、不安がないといえば嘘になる。しかし、今、イアンが訊ねたいのはそのことではない。

「いや、そのことではなくて……あのさっきの、団長が貸してくれたハンカチーフ。なんで、その……う……汚物の刺繍が?」

 運がつく、とか。そういう駄洒落的な魔よけなのだろうか。

「何を言っているんだ。あれは蛇だ」

 ハロルドは心外だ、とばかりに声を大きくした。

「は?蛇?蛇?あれが?」

 どこからどう見ても汚物にしか見えなかったが。

「とぐろを巻いている蛇だ。蛇以外の何ものでもない」

「は、はあ。そうです、か……」

 とぐろを巻いた汚物にしか見えず、蛇と言われても納得できなかったが、断言されると黙るしかない。

 もしかしたら自分で刺繍をしたのかもしれない。だったら下手なのも仕方がないし、怒るのも当然だろう。

 そんなことを思いながら、しばらく歩いていると、ようやく山道へ戻ることができた。

 見える範囲ではあるが土砂で道が塞がっている様子もなさそうだ。


「良かった!遭難せずにすみそう」

 イアンが安堵して、声を弾ませた時だった。

 トサッと音を立てて、ハロルドがその場に崩れ落ちる。

「ハ、ハロルド団長っ!」

 慌てて駆け寄り、顔を覗き込むと、腫れている右頬以外が、土気色になっていた。

「俺はもう歩けそうにない……君ひとりで行ってくれ……」

 ハロルドは消え入りそうな、弱々しい声音で言った。

 先ほどまで倒れそうな素振りすらなかった。我慢をしていたのか、山道を目にし、安堵して、一気に病魔が襲ってきたのか。

 見たところ外傷は頬と、右腕くらいだったが、あばらなどが折れていて内臓を傷つけているのかもしれない。

 それくらい酷い顔色で、四肢はぐったりと力をなくしている。

「ひとりでなんて、行けませんよ!」

 あの土砂崩れの時。ハロルドがいなかったら、イアンは今頃、土の中で冷たくなっている。

 命の恩人を見捨てることなどできない。

「……君に俺を支えることは無理だろう。……先に行って……人を呼んでくれるほうが、助かる見込みがある」

「そうかもしれませんけど!なんか、死んでしまいそうな匂いが、ぷんぷんしてるんです!もっと明るい口調で言ってくれないと!そんな冷静に言われたら、置いてなんて行けませんよ!置いて行って死んだなら、オレ、一生後悔しますから!」

 弱りきっている相手に怒鳴るなんて。どうかしていると思ったけれど、怒りに似た激しい焦りが襲ってきた。

 確かに、ハロルドの言うとおりの行動をした方が、助かる見込みはあるのだろう。けれど、置いて行ったら死んでしまう。そんな気がしてならないのだ。

「……君は、似てるな……彼女も、きっと、怒りそうだ……」

 黒曜石の瞳を揺らし、ハロルドが呟いた。

「怒りますよ。絶対!ハロルド団長の帰りを待っているんでしょう!無事に帰ってあげなきゃ駄目です」

 ハロルドは王都に戻れば、コルネリア王女と結婚するのが決まっている。

 みなから祝福され、ロラント国中で誰よりも――もっとも幸福な男となるのだ。こんな森の、山の中で、死んではならない。

 絶対、連れて帰るのだ。イアンは決意し、彼の背に手を回し、抱き起こす。

「待ってはいない。約束は果たせなかったんだ……」

 青紫色になった唇が、柔らかく笑みを浮かべていた。

 真っ直ぐ、イアンの顔を見上げていた。

 いつもは酷薄で冷たい印象を受ける黒い双眸が、優しく穏やかにイアンを映している。


「すまない……君は怒るだろうけど……それでも、俺は……幸せにはなれない……」

 声はか細くなり、そして、瞼がゆっくりと閉じていく。

「団長!ハロルド団長っ!」

 イアンは必死で、彼の名を呼んだ。

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