26嫉妬<ハロルド>
北の辺境地へ向かう前日。王宮では壮行会を兼ねた夜会が開かれていた。
討伐の指揮を任されているハロルドは、義務として出席したが、コルネリアのエスコート役をするとは聞いていなかった。
王宮に到着すると、近衛騎士に待つように言われ、嫌な予感がした。案の定、少しして豪奢な白いドレスを纏ったコルネリアが現れる。
近づいてくると甘ったるしい香水の匂いがして、気分が悪くなった。
「行きましょう、ハロルド」
血の気を失っているハロルドに気づくはずもなく、コルネリアはハロルドの腕に指を絡めた。
「今日はね、私たちの正式な婚約発表の場なの」
上目遣いでコルネリアが言う。
ハロルドはセレイアとの婚約を解消して五日後には、王命によりコルネリアと婚約をしていた。
しかし、こうして公の場に二人で出るのは初めてのことだった。
ハロルドは自分が追い詰められ、逃げ場がなくなるのをひしひしと感じた。
「殿下」
「コルネリアって呼び捨てにしてって言っているでしょう?」
「……たとえ婚姻したとしても、私はあなたを決して愛さない。それであなたは満足なのですか?」
言っても無駄だとわかってはいたが、問い掛けずにはいられなかった。
「あなたは私を愛するようになるわ。いいえ!もう愛し始めているはず。だって、私を愛さない男なんて、どこにもいないもの」
二重の大きな空色の瞳を瞬かせ、コルネリアは自信満々に言う。
「そうやって、つれない態度で、私の気を惹こうとしているのかもしれないけれど、もう婚約したのよ。私はあなたのもので、あなたも私のものなの。もう、自分の心に正直になっていいのよ、ハロルド」
目の前の女の言っている意味が、ハロルドには全く理解出来ない。
生まれた頃から、美しい王女だ、と褒め称えられ続けると、これほどまでに頭がおかしくなるのだろうか。眉を寄せ、頭のおかしい女を見下ろしていると、ほっそりした白い指がハロルドの頬に触れた。
「ハロルド、あなたは本当に美しいわ。あなたは私の隣にいるのが相応しいのよ」
「……そうですか」
ハロルドは抑揚のない声で答えた。
容姿が気に入っているのならば、時が流れるうちに、いつかは飽きてくれるだろう。それに期待するしかない。
ハロルドは自身が『つまらない男』だという自覚があった。
女性を楽しませる会話など出来ないし、趣味も無かった。
祖父や父、兄も同じ種類の人間で、母などは『堅苦しい仕事人間』だといつも文句を言っている。
幼い時から、母が不在の時の食卓は、大体いつも無言だった。
セレイアといる時も、彼女が一人で喋ることの方が多かった。
しかし彼女は聞き上手なところもあって、頻繁にハロルドに話を振った。
ハロルドの答えを待つ間、焦げ茶色の瞳が向けられる。少し返答が遅れると、どうしたの、とばかりに目を僅かに眇める――その仕草が、ハロルドは好きだった。
何も喋らず、ぼんやりと二人で過ごすこともあった。
セレイアはもしかしたら面白みのない男といて、つまらないと感じていたのかもしれない。しかしハロルドの方は彼女といて退屈だと思ったことは一度もなかった。
彼女の薄茶色のふわふわした髪が揺れているのを、ハロルドはいつまででも、飽くことなく眺めていられる自信があった。
セレイアとはどれだけ一緒にいても、苦痛を感じることなど一瞬たりともなかったが、コルネリアとはほんの少しともにいるだけで、吐き気がするくらい苦痛だった。
声高なお喋りを聞き流しながら、大広間へと向かった。
多くの貴族達、王家の者たちがいる中で、宰相の口から、ハロルドとコルネリアとの婚約。そしてハロルドが討伐に向かう騎士団の団長に任命されたことが発表された。
国王が祝いの言葉を口にすると、みな盛大に拍手し、口々に喜びの声をあげた。中にはあからさまに嫉妬の視線を向ける者もいた。
その後、ダンスは得意ではないと断わったが許されず、周囲から囃し立てられるまま、大広間の中央でコルネリアと踊った。
コルネリアはダンスが得意なのだろう。強張った動きのハロルド相手でも、華麗に踊っていた。
ハロルドの顔色が悪いのに気づいたのか、一曲終わると、エトムントがハロルドに仕事を言いつけてくれた。
コルネリアは不満顔であったが、王と宰相に挨拶をし、ハロルドは大広間を後にした。
「お綺麗な顔で、うまく取り入ったなあ。伯爵家の次男坊が大出世じゃないか」
王宮の広大な庭に出たところで声をかけられた。数人の貴族が寄ってくる。
見覚えのない顔もあったが、中心にいるのはコルネリア付きの騎士だった。
「せいぜいコルネリア様に捨てられないように励むんだな」
嫌味なのか負け惜しみなのか。にやついた顔で言う。
「降嫁ってことは、爵位も貰えるんだろ。あんな美しい人と結婚できるだけでも、羨ましいっていうのに」
無視して通り過ぎようとすると、別の男の溜め息交じり声が耳に入ってくる。
胸の奥がじりじりと痛んでいるというのに、ハロルドの心を知らない男たちは、さらに追い討ちをかけてきた。
「長年の婚約者を捨てたとかさ。お前、一部の淑女からは、クズ男呼ばわりされてたぞ」
「そりゃあ、女のひがみだろ。男なら誰だって、王女を選ぶに決まってる」
「ファルマ家の令嬢もそこまで酷くはなかったけど、コルネリア様と比べたらな~」
ハロルドは反論しかけるが、やめる。
セレイアの愛らしさを、こんな男たちと共有したくない。
「お~、ハロルド、ここにいたのか。探したぞ」
男たちの会話を割るような、飄々とした声が庭に響いた。
暗闇の向こうから、騎士学校からの友人で、ハロルドと同じく王太子の信頼を得ているニコラス・ヘイワードが姿を見せる。
「お前らさ、ハロルドに絡むくらいなら、夜会で令嬢たちの相手してろよ。婚約者持ちのやつもいるだろ。いないヤツは、出会える機会を逃してるぞ」
からかうような口調ではあったが、ごもっともな意見だと思ったのだろう。文句を口にしながらも、男たちは大広間へと戻っていった。
「あいつらも、暇だねえ。……帰るのか?」
「……ああ」
「間に合ったし、明日、俺も一緒に行くからな」
ニコラスが討伐の騎士団に加わるかは、正式には決まってはいなかった。
「……そうか」
急遽結成された騎士団だ。コルネリアの婚約者という立場を妬むものもいるだろうし、年若いハロルドを信用できぬ者も多いだろう。
同い年ではあったが、人当たりが良く、顔も広いニコラスならば、その辺りを上手く取り持ってくれるに違いない。
「明日は早い。お前も早く帰れ」
「……ハロルド」
言い残し去ろうとすると、いつになく真剣な顔をして呼び止められた。
「ハズバに行って、セレイアさんに会って来たよ」
「……そうか」
「ディルク・ヘルトルに虐げられてるって噂も聞いてたんだけど、元気にしてた。不当な処遇を受けてるなら、婚約を白紙にするとも言ったんだけど、彼女、今のままでいいってさ。……ディルク・ヘルトルは、コルネリア王女から聞かされたセレイアさんの話を信じてたみたいで、だから辛くあたってたっぽかったけど……その誤解は解いてきたよ」
「そうか」
「……ハロルド。彼女ならきっと、もう、大丈夫だよ」
ニコラスはハロルドを安心させるために、そう言ったのだろう。
もう、後戻りは出来ないのだから、前へと進むようにと――。
ハロルドは彼の言葉に、ああ、とだけ返し、足を進めた。
早く、ひとりになりたかった。
ディルク・ヘルトルとは、数度、会ったことがあった。
傲慢な態度なうえに、なぜか異様に敵視されていて、正直なところあまり良い印象がない。
しかし――女に好かれそうな色気のある男だった。淑女と一緒にいるのを見かけたこともあったが、腰に手を回し、慣れた様子でエスコートをしていた。
ハロルドとは違い、年上だ。きっと包容力があるに違いない。
自分のような『つまらない男』とは違い、きっと会話も弾むだろう。
乙女心がわからない、と彼女はよくハロルドを怒っていたが、あの男ならば、彼女の繊細な乙女心を理解し、彼女の望む言葉を与えられるであろう。
彼女はハロルドに向けていた笑い顔を、あの男にも向けるのだろうか。
拗ねたり怒ったり、手を握ったりするのだろうか。
そして、いつか――。ハロルドが知らない顔を、ディルク・ヘルトルに見せる日がくる。
胸が苦しく、痛い。
明日は早朝から、王都を出発する予定だった。
早く寝なければならないと思うのだが、嫉妬のあまり吐き気までしてきて、ハロルドはその日、一睡も出来なかった。




