25いっそ不幸であって欲しい<ハロルド>
「お前は私の騎士だ。あれの我儘を聞いてやる必要はない。私が説得する」
ハロルドがバーム族討伐を任されたことを報告に行くと、エトムントは聞いていなかったのだろう。渋い顔をして、そう言った。
――説得など意味はなく、我儘を聞かざるを得なかったというのに……何を今更……。
ハロルドの心の声が聞こえたわけではないのだろうが、エトムントは自身の口にした言葉を恥じるように、目を伏せる。
「すまない」
半年前くらいからだろうか。彼の謝罪をハロルドは何度も、飽きるほどに耳にするようになった。
「……ああ」
ハロルドはいつもと同じく、短い返答をする。
気にするな、と言えないし、胸の奥にある恨み言を、彼に向けても空しいだけだ。
エトムントがハロルドに対し、コルネリアの件で罪悪感を抱いているのは知っていた。
王太子という立場にありながら、無力な自身に苛立っていることも――。
エトムントの母であり、ロラント王国の母でもある王妃が亡くなったのは六年前のことだ。
卓越した資質はないものの勤勉だった王は、その頃から政務を疎かにしはじめ、側室であったバーバラへの寵愛――依存を強くしていった。
王妃を亡くした喪失感のせいなのか、王妃という歯止めがなくなり己を律することが出来なくなったのか。
どちらにせよ、しばらくすれば元の勤勉な王に戻るであろうと、エトムントや臣下達は軽く考えていた。しかし彼らの願いをよそに、年月が過ぎるごとに、王は後宮に入り浸るようになり、側室との子、コルネリアとアランを溺愛するようになった。
色ぼけになった王への不満が臣下達の間で出始め、エトムントは何とか父王を目覚めさせようとしたが、徒労に終わった。それどころか、王は我が子であるエトムントを目障りに感じたのか、彼に出征を命じたり、謹慎を言い渡したりするようになった。
過激な臣下達の間では王を排除すべきという声もあがっていたが――。エトムントは父王への幻想を捨てきれないのか、それとも自らの手で父を裁くのが怖いのか、最後の決断をできずにいた。
「王女は陛下に、おねだり、をしたと言っていた。じきに王命が下るだろう」
先日会った時、あなたが私のために戦う姿が見たいってお父様にお願いしたの、と桃色の唇を綻ばせコルネリアは言っていた。
紛争地へ行こうとも、コルネリアのために戦ったりはしないのだが、それを言ったところで無駄なことは今までの経験から知っていた。
「……ハロルド……お前が私の弱さの犠牲になっていることは知っている。だが、それでも、私は……まだ望みを捨てることができない」
彼がもっと直情的で決断力のある性格ならば、ハロルドは婚約を解消することはなかっただろう。
エトムントの弱さを詰りたい気持ちはある。しかし、自分に置き換えて考えると、父親を切り捨てることが容易ではないことも、理解できた。少なくとも六年前までは、エトムントにとって王は、善き王であり善き父だったのだ。
ロラントの国王は自らの意志で玉座を退くことはできない。退位はすなわち、王の死を意味した。
エトムントが二の足を踏むのも当然で、迷うこともせず父殺しをするような男であったら、ハロルドは彼を主、いや友だとは思えなかったであろう。
「……ああ」
ハロルドは先ほどと同じ、短い返答をする。
理解はできても、彼を慰められるほど心は広くない。かといって責めるほど独善的ではなかった。ああ、としか応えようがなかった。
気まずい沈黙が続いた時。バタンッ、とノック音もなく王太子の執務室の扉が開いた。
お待ち下さい、と外で控えていた騎士の声が続く。
「邪魔をしないでちょうだい……ハロルド!酷いわ。お兄様のとこには顔を見せるのに、私のとこに来てくれないなんて!」
ひらひらとした薄紅のドレスを纏ったプラチナブロンドの女が現れる。
「……コルネリア。私は入室を許可した覚えはない」
「だって、お兄様がハロルドを隠していらっしゃるんですもの」
エトムントの冷たい叱責にも堪えた様子はなく、コルネリアは朗らかに笑んでいる。
「ねえ、ハロルド。私の部屋に来て。一緒にお茶をしましょう!」
ほっそりした指が、ハロルドの腕に触れた。
ハロルドは思わず、その指を振り払う。……それでもコルネリアは朗らかな笑みを絶やさなかった。
「そういう、つれない態度も、愛しているから、許してあげるのよ」
「ハロルドを愛しているなら、なぜ戦地へ送るような真似をする」
エトムントが睨むと、コルネリアは首を傾げる。
「だって騎士ですもの。愛する女性のために戦うのは当然でしょう?」
「コルネリア、お前は」
「お兄様のお説教はもうお腹いっぱい。ようやくお邪魔虫もいなくなったというのに、今度はお兄様が私とハロルドの仲を邪魔するの?」
「……お邪魔虫?」
エトムントの問い掛けに、コルネリアは笑みを深くさせた。
「あの、地味でつまらない伯爵令嬢のことよ。ふふ。お兄様はお父様から聞いていらっしゃるかもしれないけれど、ハロルドは知らないわよね。良いことを教えてあげる。ヘルトル辺境伯って私のことを好きだったの。私に降嫁して欲しいってずっと願ってらっしゃったのよ。私には愛するハロルドがいるから、彼の想いには応えられなかったのだけれど……。辺境伯にはね、お邪魔虫がどれだけお邪魔虫であったか、たっぷり教えてあげたの。だから、あの伯爵令嬢は、どこまで行っても邪魔者扱い。私とハロルドの恋を散々邪魔したのだから、当然よね。ざまあみろよ」
何がそこまでおかしいのか、コルネリアは声を立てて笑った。
「コルネリア。すぐに出て行け」
「ハロルドが一緒ならば出て行くわ」
コルネリアは唇を尖らせる。
エトムントは我慢できなくなったのだろう。
護衛騎士の名を呼び、コルネリアの私室まで送るよう指示する。
二人の騎士に背中を押され、わあわあと喚き立てながら、コルネリアは慌しく出て行った。
「……すまない」
聞き飽きた謝罪をされる。
「すぐに使いを出し、セレイア嬢に話を聞き、彼女が望むのであれば辺境伯との婚約はなかったことにしよう。……コルネリアは、単に王都から、お前から離れさせたいから、辺境へ嫁がせたのだとばかり思っていた。セレイア嬢も、王都を離れた方が良いと思ってはいたが……調べを怠った私の失態だ。彼女は被害者だ。不幸な婚姻をさせるつもりはない」
「……そうだな」
ハロルドは抑揚のない声で言った。
「ハロルド?」
元婚約者の話なのに、気乗りのない様子なのをエトムントは不審に思ったようだ。
――私……あなたの幸せを祈っているわ。
穏やかな、耳に心地よい声を思い出す。
彼女がハロルドに対し祈ってくれたように、ハロルドも彼女の幸せを祈らねばならないのはわかっている。
彼女は巻き込まれただけだ。
ハロルドの婚約者でさえなければ、辺境の地に嫁がされることなどなかった。
だからこそ、彼女が幸せに暮らすことを、ハロルドは誰よりも、心から願わなければならなかった。
不幸せになどなって欲しくない。いつも穏やかに、笑っていて欲しい。時々、怒ったり、拗ねたり、呆れたりして。
そもそも、こんなことになる以前から、彼女の幸せを誰よりも強く願っていた。
しかし――自分ではない誰かの手で幸せになるくらいなら、いっそ不幸であって欲しい。
そんなことを思ってはならないというのに、じくじくと痛む胸の奥には醜い望みがあった。汚らしく、暗い願いをハロルドは消すことが出来なかった。




