24恋心
王都の街は多くの人で賑わっていた。
街のいたるところで、括りつけられた黄色と赤色のリボンが風で揺れている。黄色に赤の線が三本並んだロラント王国の国旗も、ところどころで掲げられ、はためいていた。
彼の後を、セレイアはついて歩く。
頻繁に騎士服姿の男性とすれ違い、その度に、彼は軽く頭を下げていた。
どうやら、制服姿で参加するのは決まりだったのだろう。深緑色の騎士服を着た人も、ちらほら見かけた。
たまに話しかけてくる人もいたが、彼の返答は誰に対しても素っ気無かった。中にはじろじろと、セレイアに意味深な視線を向ける者もいて、少しだけ不快な気持ちになった。
そうこうしているうちに目的地である王宮前の大広場に着いた。
「わあ、すごい」
いつもは散歩や日向ぼっこをする人がいるくらいで閑散としている大広場は、街と同じく、大勢の人で込み合っていた。
それだけではない。華やかな看板を掲げた露店がいくつも連なっている。
「セレイア」
ぱちぱちと瞬きしながら周囲を見回していると、彼がセレイアに手を差し出す。
「……手?繋ぐの?」
「迷子になったら困る」
「……そうね」
幼子扱いを不満に思うが、喧嘩しても仕方がないので、セレイアは素直に彼の手を握った。
「……手、かさかさしてる」
触れ合った手はかさついていた。
「タコと、それからマメがつぶれた」
「まめ?」
「剣もだが、訓練で重いものを持ったりする」
重いものを持つと手の中に、蛸や豆ができるのか。セレイアは先を促されるまで、不思議に思いじっと彼の手を見つめていた。
「あれ!見て!可愛い」
最初に目に留まったのは、飴細工の露店だった。
模様のついた指先ほどの大きさの飴が、平たい瓶に入れられ売られている。
「欲しいのか?」
「うん」
セレイアは握っていた手を離し、肩から斜めに掛けていた鞄から、銅貨を出そうとした。
「どれがいるんだ?」
「……これ」
セレイアが指差すと、彼はすぐさま露店の店主に話し掛け、銅貨を支払う。
「ほら」
飴の入った瓶を手渡される。
「……お金」
「いい」
「……いいの?」
「今日は君に金を使わせるなと母からきつく言われている。その分の金も貰っているから、心配いらない」
「……そう」
彼はまだ働いていないので、彼自身のお金でないことは当たり前なのだが、母からのくだりは正直なところ聞きたくなかった。
「ありがとう」
「ああ」
礼を言ったセレイアは、瓶を掌に乗せ、飴を見つめた。
近くで見ても精巧な飴細工に、セレイアは目を輝かせる。
「可愛い!食べちゃうのもったいないわ!」
「いや、食べないと駄目だろう。早めに食べないと溶けて、飴がくっつき、べたべたになる」
「……そうね」
冷静な声で返されて、はしゃいでいるのが馬鹿らしくなり、セレイアはそそくさと鞄に飴の瓶をしまった。
「あれは何かしら?」
少し行った先の露店の前。小型のナイフのようなものを手にした若者が並んでいるのが見え、気になったので近くに寄ってみる。
丸や四角や三角など、大きさも形も異なる絵柄のついた板が、露店の奥にいくつも掛けてある。どうやらそこに向かって小型のナイフを投げているようだ。
「ナイフを投げて、あの的に当れば、あそこにある景品がもらえるのだろう」
彼の指差した先には棚があり、置き物や、人形、菓子箱などが置かれていた。それらの下には的と同じ絵柄の紙が貼ってある。
その中に茶色いぬいぐるみがあった。目がくりりと大きく、顔の大きさに比べて体は小さい。赤い舌をぺろっと出している。
猫のようにも見えたが、熊のようにも栗鼠のようにも見えた。その絶妙な何かわからない具合が愛らしい。
「わあ!あれ、可愛い!」
「……どれだ?」
「あれ!あの可愛い、茶色い舌出してるの!」
セレイアの指差した先に、茶色い舌を出した可愛い景品はなかった。
「あれだな。わかった」
セレイアが一目惚れしたぬいぐるみを手に入れるために、挑戦してくれるのだろう。彼は任せとけ、とでも言うように力強く頷いた。
順番待ちで五人ほど並んでいたが、その五人はみな絵柄のついた板に当てることすら、出来なかった。
彼の番になり、もし失敗しても残念がらずに迎えようと決め、どきどきしながら見守っていると――。
「おおお」
という歓声が周りからあがった。
彼の放ったナイフは、パシンッと軽やかな音を立て、板に突き刺さっていた。
「すごい!」
周りや店主が拍手を始める。
感心して見蕩れていたセレイアも、慌てて拍手をした。
「ほら」
景品を受け取り、戻ってきた彼が手にしている物を見て、セレイアは笑顔を引き攣らせた。
「えっ……ああ」
狙った的に当たるとは限らない。狙っていた的を外したのだろうと思ったのだが。
「これが欲しかったのだろう?」
得意げな顔つきで言われ、これを狙ったのだと知る。
確かに、茶色いし、舌も出している。しかし――どう見ても。どこから見ても可愛くはない。
ぐるぐると、とぐろを巻いていて、口からは細い舌を、つるるんと出している。精巧に造られているがゆえに気色の悪い蛇の置き物だ。
「……違ったのか」
黙ったまま、受け取らず、じっと蛇の置き物を見ているセレイアに、彼は自身の間違いに気づいたようだ。
「違うに決まってるじゃない。どうして私が、これを欲しがってるって思ったの?蛇よ、蛇。可愛さ、かけらもないじゃない」
「いや……てっきり……。すまない」
「せっかく、一投げで当てて!すごいって思ったのに!」
「いや……だが、東方の古い民族の間では、蛇は、悪いものから身を守ってくれる言い伝えがあるそうだ」
「だから。だから何?」
セレイアは別に悪いものから身を守ってくれる置き物が欲しかったわけではない。
あの可愛くて、猫か熊か栗鼠か、もしかしたら狸か。何なのかわからない、ぬいぐるみが欲しかったのだ。
「……待っていろ。もう一度、行ってくる」
焦った顔をした彼が再び、ナイフ投げをしている露店へと向かう。しかし店主と話すと、すぐに戻ってきた。
「……すまない。成功した客は、もう出来ないと言われた」
その時、おおお、という歓声が再びあがった。的当ての成功者が出たらしい。
そちらを何気なく視界に入れていたセレイアは、二十歳くらいだろうか。長身で金髪の男が、セレイアの欲しかったぬいぐるみを手にしているのを見て、あっ、と声をあげた。
「行って、交換を頼んでくる」
彼も気づいたのだろう。
そう言って追いかけようとする彼を、セレイアは腕を掴んで止めた。
「……もういいわ」
「だが……欲しかったのだろう?」
柳眉を寄せ、黒い瞳を翳らせている。
自慢げだった顔が、意気消沈していることに気づき、セレイアは反省する。
せっかく自分のためにと挑戦してくれたのに、違うものだったからと怒るなんて、心が狭すぎる。そんなセレイアに対し怒り返すことなく、必死にセレイアの欲しかったものを手にしようとしてくれている彼に申し訳なくなった。そして、そんな彼の態度に、胸の奥がふわりと浮遊するように揺らめいた。
「いいの。これで。だって……この蛇、私を守ってくれるんでしょう?」
「……いいのか」
「うん。いいの。可愛くはないけど。怒ってごめんね……ありがとう」
「……ああ」
セレイアが蛇の置き物を受け取りながら、謝罪とお礼を口にすると、彼は頬を少し紅く染め、セレイアから視線を外した。
大広場の中心では、簡易の舞台が設置されていた。
ちょうど舞台上では、騎士たちによる剣劇が行われていて、黒い長髪の騎士が、襲いかかってくる蛮族に扮した者達を、軽やかに剣を振り、倒していく。
「すごい!あの人、かっこいいね!」
「あの人?」
「騎士の方。長髪の人」
「……あれは付け毛だ」
「そうなの?」
「ロラント建国王は長髪だったという。その劇だから付け毛をつけている」
騎士が動くたびに黒髪が靡き、舞台での見映えも良い。
「へえ。でも、かっこいいね」
少しだけ、隣にいる婚約者と舞台上の騎士を重ね合わせ、呟く。
セレイアは他の客たちと一緒に時々歓声をあげながら、劇を楽しんだ。
大広場へは朝から来ていた。
正午を過ぎてずいぶん経つし、ひと通り見て周り、お腹も空いたし、そろそろ帰ることにする。
この後は彼の家で、食事をご馳走になる予定だ。
「楽しかったね」
「ああ」
「また、来たいね」
「ああ」
「また、一緒に来る?」
「一緒に、来よう」
手を繋いで帰りながら、次の約束をする。
ふと彼を見上げると、横顔が僅かに微笑んでいるように見えた。
後から考えたら、彼は騎士だから、建国祭は警備に当たらなくてはならない。つまり仕事で、セレイアと遊びに来れるわけがないのだが――彼の方も楽しくて浮かれていたのかもしれない。珍しく『事実』を口にしなかった。
ゆっくりと肩を並べて歩いているうちに、このままずっと歩いていたいような気持ちになる。
お腹も空いていたし、たくさん歩いたので、足も重い。
けれど繋いだ手に彼の温もりを感じる。意識すると、体がほんのりと熱を持つ。まるで風邪をひいて熱が出た時みたいに、頭の奥がぼうっとして頬が染まった。
けれど風邪の時と違い、心の中が、ふわふわとした砂糖菓子で、溢れかえりそうになっている。
彼の方も、もしかしたらセレイアと同じ気持ちなのかもしれない。
歩幅が徐々に狭くなり、ゆっくりとした足取りになってくる。
「ねえ……」
言いかけてやめる。何だか今、口を開くと、ものすごく恥ずかしいことを口にしてしまいそうだった。
代わりに、ぎゅっと繋いだ掌を握る。
すると、ぎゅうううと、きつく握り返された。
「痛いわっ!」
「すまない」
「もう!」
怒りながらも、セレイアは繋いだ手を決して離さなかった。
◇◇◇
焼却場の火に水をかけてもらったセレイアは、熱くなくなったのを確認した後、手やドレスが、水に濡れ粘ついた煤で汚れるのも厭わず、目的のものを探す。
火をつけてそう経っていないこと、そして布製ではなく木製だったことは幸いだった。あの時、本当に欲しかったぬいぐるみだったら、跡形もなく灰になっていただろう。
緻密な彫刻がわからぬほど真っ黒になっていた。つるるんとした舌もなくなっていた。
セレイアはそれを大事に拾い上げ、掌で包んだ。
(どうして、今頃になって、気づくのだろう)
母親同士が決め、互いの家に利益があるから続いた婚約だった。
気づいたら傍にいて、初めて会った時から将来の『旦那様』だった。
好きとか嫌いなど思ったこともないし、甘い恋心などないはずだった。
腐れ縁とか同士とか、そんな友情に近い感情なのだと思っていた。
けれど、違っていた。
本当はずっと。いつの間にか。
いつからか、はっきりとはわからないけれど。
セレイアはずっと、彼に――ハロルド・ランドールに恋をしていたのだ。
「失ってから気づくなんて……本当に馬鹿ね……」
どうせなら一生、気づかなければよかったのに。
セレイアは愚かな自分に呆れながら、消え入りそうな声で呟いた。




