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2縁がなかっただけ

 屋敷の西側には、セレイアの母のための庭園があった。

 重い病を患い、寝たきりになった母が寝台の上からでも眺められるよう、父が造らせたのだ。


 十歳の頃のセレイアは、母が亡くなってすぐに再婚をした父が、ひどく薄情に思えた。

 けれど今は、父は父なりに母を愛していたことを知っている。

 庭園の主体となっている花は、冬花ばかりだ。

 母は冬の初めに歩くことが出来なくなり、春を待たずに亡くなった。

 母を少しでも慰めたくて、父はその時、美しい花を集め、植えたのだろう。

 

 『先妻の子供を苛める後妻』の物語を読んだばかりだったから、幼い頃のセレイアは、新しい母親のことが怖くて、彼女を避けてばかりいた。

 そのせいか、今でも彼女とは距離があるのだが……。

 母のための庭園の手入れを指示しているのは義母である。

 華やかな春の花に植え替えることを、父が許し、庭師に勧められても、頷くことはなかった。


 幼い頃は、人はみな『悪い人』と『良い人』に分かれるのだと思っていた。

 けれど大人になった今は、物語とは違って、現実はわかりやすくないのだと知った。

 

 初夏なので、花はなく葉ばかりだ。

 味気ない庭園の四阿に、長身の人影があった。

 紺色の騎士服姿で、背中の中ほどまである長い黒髪を、後ろでひとつに縛っている。


 かさり、と。草を踏む音に気づいたのだろう。

 ゆっくりと人影が振り返った。


 いやになるくらい美しい、整った顔立ちの男だった。

 切れ長の黒曜石の瞳に、通った鼻梁。かたちのよい薄い唇。

 やや酷薄気な印象を受けるが、目を瞠るほど端正な面立ちをしている。

 幼い頃は少女のように愛らしくもあったのだが……今は、長髪でも、どこからどう見ても逞しく凛々しい男だ。


 ハロルド・ランドールはセレイアの姿に、目を眇めた。

 セレイアは黙って彼に近づき、彼の傍にあった木製の椅子に座った。


 わざわざ向こうから会いに来たのだ。

 言いたいことがあるなら聞いてやろう、と思ったのだが、ハロルドは黙ったまま何も言おうとしない。

 根負けたセレイアは、わざとらしく溜め息を吐いてから口を開いた。


「新しい婚約者を、王家が用意してくれたわ」

「……新しい婚約者?」

 ハロルドが座っているセレイアを見下ろす。

 眉を寄せていて、美形なだけに迫力もあったが、長い付き合いだ。凄まれても別に怖くはない。

「ディルク・ヘルトル辺境伯。どんな人か知っている?」

 問い掛けるがハロルドは答えない。

 僅かに視線が揺らいだので、知っているのだろうな、とは気づけたが、その先の感情はセレイアが知りたかったものではなかった。


 王命なので、嫁ぐことを拒否できるはずもなく、人柄を知ったところでどうしようもない。

 意味のないことを訊ねた自分に呆れると同時に、ハロルドに八つ当たりのようなことをしてしまった自身を恥じた。


「ごめんなさい」

「なぜ、君が謝る」

「なぜって……まあ、そうなのだけど……」


 ハロルドの黒曜石の双眸は、傷ついて苦しんでいるようで。

 婚約を解消されたのはセレイアの方なのに、申し訳ないような気持ちになってしまう。


 婚約を解消されたのも、辺境伯へ嫁ぐことになったのも、セレイアのせいではない。

 目の前の男が原因だった。

 けれど、それでも。彼を恨む気持ちになれないのは、今のこの事態が彼自身が望んだ結果ではないと、思っているからだ。

 ハロルドとは長い付き合いで、セレイアは彼の性格はよく知っていた。

 社交界で噂されるような『恋物語』が実際に、彼の中で起こっていたのならば、ハロルドはきっと、もっと早くに、セレイアに婚約解消を申し出ていただろう。

 彼は二股をかけられるほど、器用な性格ではなかった。

 ……もしかしたら、と疑う気持ちも少しはありはしたのだが、会いに来た彼のいつになく憔悴した姿に、疑いは消えた。

 

(行動が迂闊だったりしたのかもしれないし、何より顔が人一倍整っているのが悪いといえば悪いのだろうけど)

 婚約者の……元婚約者の腹の立つくらい整った顔を眺め、肩を落とす。


 そんなセレイアの様子に何を思ったのか。

 ハロルドが手を伸ばした。

 セレイアの柔らかな長い髪に触れようとした長い指は、寸前で止まる。

 石像のようにぴたりと動かなくなり、しばらくして、力なく下ろされた。


「……縁がなかったのよ」

 セレイアは風で揺らめく木々の葉に視線を向け、呟くように言った。

「幼い頃にお母様同士の口約束で、始まった婚約で、いずれは結婚するって思っていたけど、そうはならなかった……私達はそういう運命ではなかった。それだけの話よ」

 何かの縁があり、婚約者になった。けれどその縁は、結婚して夫婦になるほどの縁ではなかった。


「……諦めろというのか」

 低く、怒りを滲ませた声がする。

「諦めるもなにも、どうしようもないじゃない。駆け落ちするつもりで、私に会いに来たの?違うでしょ。……私は嫌よ。たくさんの人を傷つけてまで、あなたを選んだりは出来ない」

 王家に反抗して家が取り潰されたら、家族だけでなく伯爵家が雇っている使用人も路頭に迷う。

 セレイアにはそんな無責任な真似は出来なかったし、ハロルドが五歳年上の兄を慕っているのも知っている。

 爵位を継ぐ尊敬する兄に、迷惑をかけることなどしたくないはずだ。


「私……あなたの幸せを祈っているわ」


 本当は、文句のひとつくらいは言ってやるつもりだった。

 けれど後悔とやり切れなさと苛立ちが入り混じった黒曜石の双眸を見ると、無性に慰めたくなる。


「……コルネリア様も、まだ幼いところがおありだけれど、美しい方だし、あなたを好きだという気持ちは本物だと思うから……きっと、時間が経てば上手くいくわよ。あなたの気持ち次第よ」

 元気付けるために口にしたのだが、殺気を感じた。

 彼の方を見ると、柳眉を寄せセレイアを見下ろしていた。

「睨まないでよ……まさか、別れたくないって、泣いて縋るのを期待していたの?」

 期待をしていたのなら申し訳ないが、セレイアは感傷的な性格ではない。


「……来ない方がよかったな」

 唇を片方だけ上げる嫌味な笑みを浮かべ、ハロルドが言う。

「そうよ。会いに来たのが知れたら、コルネリア様が嫉妬でまた怒りだしちゃうわよ」

 嫌味で返すと、ハロルドの顔から笑みが消えた。


 そして、しばらく沈黙が続き、その後、

「セレイア……すまなかった」

 と、静かな声音で謝罪をされた。


「謝らないで」

 セレイアは泣きたくなる気持ちに蓋をして、立ち上がった。


 辺境領へ嫁ぐのなら、ハロルドと顔を合わすのはこれが最後かもしれない。

 泣いて別れたくはなかった。


「もう行くわ」

「……ああ」

 四阿を出ようとして、聞かねばならぬことがあったと思い出し、足を止める。

「あなたがくれた勲章……あれは、おば様に返せばいい?」


 ロラント王国では、国に貢献した者に勲章が与えられる。

 騎士学校在学中に、優秀な成績を褒め称えられ授与された勲章もあったし、卒業後、その騎士団での功績が讃えられ贈られたものもあった。

 ハロルドはそれらをなぜか……いずれ妻になる相手だからなのか……貰うとすぐに、セレイアに送り付けてきた。

 大事に保管してきたが、もう婚約者ではないのだし、妻になることもない。

 セレイアが持っていても仕方のないものだ。


「あれは、君にやったものだ」

「でも」

 勲章は容易く授与されるものではない。

 彼が特別優れていて、努力してきたから得られたものだ。

 九つある勲章は、ハロルドの二十一年間の、証だ。

 いくらくれると言われても、全くの他人になるセレイアが持っているのは、やはりおかしい。


「いらないのならば捨てればいい」

「そういうわけには、いかないでしょう」

 ジロリと睨みあげると、ハロルドは緩く笑んだ。


「君の好きにしたらいい」

 そう言い残すと、ゆっくりとした足取りで、去って行く。

 

 庭から門の方へと消えて行く後姿を見つめながら、セレイアは足を止めてしまったことを後悔した。

 見送る方が……取り残される方が、置いていくよりも、きっと――。切ない。

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