19膝枕は結婚後に
◇◇◇
「眠れないのでしょう?一緒に寝てあげるわ」
睡眠は大切だ。睡眠がおろそかになれば、体調を崩す。
幼い弟の昼寝に付き合うことがあるのだが、メイドたちから寝かしつけるのが上手いと褒められたことがある。
それもあって紛争地から帰った彼が眠れないのだと知ったセレイアは、添い寝をしてあげようと思った。
セレイアは腕を引いて、彼を寝台へと誘う。
彼の寝台は狭くはないが広くもなく、簡素な作りをしていた。
「横になって」
「……それはならぬ。同衾なるものは、婚姻後にするべき行為である」
「いきなりどうしたの?喋り方、おかしいわよ」
なぜか、物語に出てくる老賢者のような口調になった彼を不審に思いつつ、寝台に座らせる。
ほら早く、と肩に手をやり押し倒そうとすると、手首をきつく掴まれた。
「こ、子どもが出来たら、どうするつもりだっ!」
視線をおどおどと揺らし、頬を紅潮させ、声を荒げる。
珍しく、動揺をあらわにした彼の姿にセレイアは呆れた。
「おかしな想像しないで。添い寝よ?クリスにしているのと一緒。子どもなんて出来やしないわよ」
弟の名を出すと、彼の態度がいったんは落ち着く。掴んでいたセレイアの手首も離したのだが、すぐにまた慌て始めた。
「そ、そうか……ま、待て。なぜ君も寝台にあがるんだ」
「え?膝枕してあげようかなって思って。クリスも膝枕すると喜ぶの。あの子小さいから膝枕っていっても、抱っこしてるような感じになっちゃうけど」
「抱っこ、だと…………膝枕は……膝枕は、膝枕は結婚後に頼む」
「どうして?」
なぜ膝枕を三回も噛み締めるように口にしたのだろう。
結婚後に頼む理由もわからない。セレイアは首を傾げた。
「とりあえず、寝台から早くおりるんだ。大声を出して、人を呼ぶぞ」
険しい顔で睨まれる。まるで暴漢扱いだ。
異性の寝室で二人きり。それも寝台の上にいるのは淑女として咎められる行為である。しかし結婚を間近に控えた婚約者同士であり、彼の実家である。使用人や彼の母に見つかっても、大目に見てもらえる気もした。
けれど、彼は何とかセレイアを遠ざけようと必死だ。本気で嫌がっている風な相手に、無理強いしたくはない。
「そんなに嫌なの?」
「嫌ではない。ただ、婚姻前は適度な距離感をもって接するべきだ」
真面目な顔で、窘めるように言われる。
彼が紛争地から帰り、落ち着いたら婚姻する予定だった。
もうすぐ夫になるのだから、弟相手にする行為くらいの接触はあってもよいのでなかろうか、と思う。けれど、堅苦しい性格の彼にとっては、行き過ぎた行為に感じるのだろう。
セレイアは溜め息を吐き、寝台から下りた。
そして、部屋のすみ。机の前にある木製の椅子を、寝台の傍まで、引きずって移動させる。
「これでいい?」
椅子に座り言うと、ああ、と短い答えが返ってくる。
「なら、寝て。早く」
「……まだ昼間だが」
「でもずっと寝てないんでしょ。あなたが寝たら、おば様が私のために焼き菓子とケーキ用意してくれてるって言ってたから、食べに行くわ。だから、早く寝てね」
「……そうか」
寝台に彼が横たわると、セレイアは腰を浮かし、毛布を彼の体に掛ける。
弟にするように、胸の上辺りに掌を乗せ、とんとんと優しく叩く。
そして、とんとん、とリズムを取りながら、子守唄を口ずさんだ。
「……音痴だな」
ぼそりと呟かれ、セレイアはバシッ、と強く力を入れて叩く。
「文句言っている暇があったら、早く寝て」
「……ああ」
再び子守唄を歌い、とんとんと、優しく叩いた。
どれくらい経ったころか。しばらくして、耳に心地よい息遣いが聞こえてきた。
「……ハロルド?寝たの?」
名前を呼ぶけれど、寝息だけで、返事は返ってこない。
上から顔を覗き込むと、目は閉じられていて、かたちのよい薄い唇が僅かに開いていた。
「……ねえ、本当に心配したのよ。怪我でもしたら……帰ってこなかったらどうしようって。亡くなった人もいるって聞いて……あなただったら、どうしようって……」
子守唄を口ずさむのをやめたセレイアは、眠っている彼に愚痴を零した。
セレイアは階下から彼の母親が様子を見に来るまで、飽くことなく彼の寝顔を見つめ続けた。
◇◇◇
人の気配を感じ、目を開ける。
「……目を覚まされましたか?」
穏やかな女性の声した。
「アンネ?」
と口にしてから、彼女の声色とは違うことに気づく。
「ミアです。わかりますか?」
「……ミアさん。ゴミ……じゃなくて辺境伯の愛人で……辺境伯を私に押し付けようとしているミアさん?」
寝起きと、痛む頭のせいで、失礼なことをつい口にしてしまう。
「そうです。そのミアです」
彼女はセレイアの失言に、楽しげな笑い声をたてながら答えた。
「お医者様が来られて、疲労と風邪のひきはじめだろうとのことです。けれど、熱もあるので、用心しながら経過を看るようにと」
「私……ここは、どこですか?」
体調が悪く寝台に横になったまでの記憶はあるのだが、そこからのことがあやふやだ。
「ヘルトル家の屋敷です。しばらくの間、離れでなく、こちらで療養した方がよいとのことです。アンネさんもこちらで寝泊りされることになったので、支度のため離れに行かれています。すぐに戻って来られますよ」
「そうですか……ご迷惑おかけしました」
「迷惑だなんて……ごめんなさい」
なぜかミアが謝罪をする。
「どうして、謝られるのです」
「私の都合をあなたに押し付けてしまったことも、あなたの負担になっていたのだろうと思って。もちろん、一番の責められるべきは、あなたに精神的苦痛を与えたディルク様ですけれど」
「……ディルク様……?」
セレイアが眠れないのは彼のせいではない。
ディルクに精神的苦痛を与えられたことなど、一度もなかった。
胸がちぎれてしまいそうなほど苦しいのは――。
「セレイア様!」
ドアが開く音がしたかと思うと、けたたましい声とともにアンネが現れた。
「良かった!心配したんですよ!」
涙目でセレイアを見下ろすアンネと入れ替わるように、ミアが静かな足取りで部屋から出て行った。




