17意外と繊細なあの人を
「これ、入浴の時に湯船に入れると、肌がつるつるになるそうです。あとこれ、香油です。髪につけると、つやつやになるんですよ」
アンネがテーブルの上に、次々と今日の外出の戦利品を並べていく。
「……セレイア様?」
ぼんやりと、心ここにあらずな様子で眺めていたセレイアに気づき、アンネは袋から香水の瓶を取り出してた手を止めた。
「ああ、ごめんなさい。久しぶりに外に出たから、疲れたのかも」
セレイアは取り繕うように微笑む。
「何か……私だけ楽しんじゃって。ごめんなさい」
落ち込むアンネにセレイアは慌てた。
「そんなことないわ!疲れたけど……美味しいものも食べたし、色んなものも見たし、たくさんお買い物も出来たし。いい気晴らしになったわ。あなたが誘ってくれたおかげよ」
この離れで暮らし始めて、話し相手はほぼアンネだ。テリーたちと話が出来たのは新鮮だった。
王都では異民族を見かけることがほとんどない。彼らの陽気そうな雰囲気や、彼らが売っている見かけない商品を眺めるのは楽しかった。街の活気を肌で感じ、疲れたのは本当だったが、気晴らしになったのも事実だった。
「だったらいいんですけど……あ!そうだ疲れた時には、甘いものですよ」
香水の細長い瓶をテーブルに置き、アンネは袋の中を探る。
そして、掌くらいの大きさで、底の広い円形状の瓶を出した。
中には、色鮮やかな模様のついた飴がいくつも入っていた。
光沢がある飴は、まるで絹製のリボンのようで華やかだった。
「可愛い!食べるのがもったいないわ!」
セレイアは声を弾ませた。
――いや、食べないと駄目だろう。早めに食べないと溶けて、飴がくっつき、べたべたになる。
ふいに、頭の奥で懐かしい声がした。
はしゃいでいる気持ちを萎えさせるような、真面目で空気の読めない声だ。
「……セレイア様?」
「何でもないわ。それより、アンネ。彼とはどんな話をしたの?」
「うふふ。聞いてくれます?」
アンネは頬を染め、にやにやする。
よほど髭面の彼が好みだったのだろう。
未婚者だという情報も手に入れたので、何とかお近づきになりたいのだ、と言う。
まるで獣を狙う女豹のような目つきをしていた。
◇◇◇
「セレイア!いらっしゃい!」
屋敷を訪ねると、ランドール伯爵夫人が、思いっきり抱きしめてきた。
「うぐ……おば様、痛いわ」
「あら、ごめんなさい」
亡くなった母の友人でもある彼女は、セレイアのことを実娘のように可愛がってくれていた。
「あなたが来てくれると聞いて、ケーキと焼き菓子を用意したのよ。お茶にしましょう」
ケーキに焼き菓子。すごく胃袋が惹かれるが、セレイアは我慢をする。
「せっかくですけど、それは後で。ハロルドの様子を見に来たんです。戻ってきたのに、手紙だけで。待ってても会いに来ないのだもの」
ハロルドが王太子とともに紛争地に行き、戻って来て十日が経っていた。
無事に帰ってきた、と報告の手紙はあったものの――。待てど暮らせど、姿を見せない。
セレイアの婚約者は乙女心は全く理解出来ないが、礼儀的なこと。もしかしたら母親に強く言われているのかもしれないが、誕生日の贈り物を欠かしたことはないし、一般的に恋人たちの記念日とされる日は、必ずセレイアの元を訪ねて来た。
帰って来た報告を手紙だけで済ませるなど、彼らしくなかった。
セレイアの前に出られないような大きな怪我でもしてしまっているのだろうか。不安は日に日に大きくなり、いても立ってもいられなくなった。
「ああ……あの子ね……」
「怪我でもしているんですか?」
さきほどまでの陽気さが失われ、肩を落とし、暗い雰囲気になった伯爵夫人に、セレイアはどきりとする。
「違うわ。……落ち込んでいるというか……実戦を体験すると、だいたいみんなあんな風になるみたいね。放置しとく、というのがうちの流儀なのだけど、セレイアが会いたいならあの子も拒みはしないでしょう」
ノックをした後に、返事があったので、セレイアは彼の私室の扉を開けた。
何度か訪れたことのある私室は、彼の人柄のままに、実用的な簡素なものだけが並び、飾り気のない面白みのない内装をしていた。
「何してるの?」
窓際にぼんやりと立つ男に近づき、訊ねる。
「別に。何もしていない」
昔は短かったのに、最近、婚約者はなぜか髪を伸ばしている。
いつもは紐でひとつに縛っているのだけれど、今日は縛っていない。
鎖骨につくかつかないか辺りで、黒髪が揺れていた。
前髪も長いので、ただでさえ陰鬱な雰囲気が三倍増しだ。
「眠れないの?食事も、ほとんど口にしていないって、おば様が言っていたわ」
顔を覗き込むと、白い肌は少し焼けてはいるものの血色が悪い。いつもは羨ましくなるくらいツルツルの肌も、かさついているようだ。
頬もこけ、目の下もくぼんでいる。
顔から下へ視線を這わすと、荒れた手が見えた。
擦り傷がところどころにあり、爪が割れている。
紛争地に行く前から、手は訓練などでマメが出来たり、傷が出来たりしていたので、別に驚きはしないのだが、指先が小刻みに震えていることに気づいた。
「震えてるわ。寒いの?」
「いや……」
「大丈夫なの?」
「…………初めて、人を殺した」
薄いかたちのよい唇が、暗く低い声を漏らす。
「その時は……殺さなければ殺されていたから、仕方ないと思っていたが……帰ってくると、俺が殺した彼らにも、帰りを待つ誰かがいて、守りたい誰かがいたのだろう……そんな当たり前のことに今更気づいて、眠れなくなった」
国のために戦う騎士なのだから、仕方のないことだ――とは思えなかった。けれど、彼のことを殺人犯だとも思えはしない。
自分の元に生きて戻ってくれたのだから良かった、とも言えない。彼が口にするように、この地のどこかで、帰りを待っていた人が、帰らない人を想い泣いているのかもしれないのだ。
けれど、だからといって、彼が見知らぬ誰かに殺されてよいとなど、思えない。彼が生きてくれて良かったと、心の底から思う。
何を言えばよいのかわからなかった。
何を言っても間違っている気がした。
セレイアは震える彼の手に、自身の手を重ねた。
かさついた右手を取り、自身の両手の中に入れる。
「あ。そっちも出して」
セレイアが言うと、大人しく左手を出す。
両方の手を纏めて、自分の掌で包んだ。――彼の方が大きい手なので、はみ出しているけれど。
「……震えるの、止まるといいわね」
「……ああ」
彼の苦しみはわからない。何をしてあげるのが正解なのか、セレイアにはわからない。
だから手が震えて困るなら、手を繋いでいてあげたいと思った。
眠れないなら、弟にするように、眠れるまで子守唄を歌い、添い寝してあげようと思う。
傷ついた彼の傍にいてあげることが、セレイアが彼のためにしてあげられる唯一のことだった。
◇◇◇
(意外と……繊細なのよね……)
食べ慣れないものを食べると、食あたりになると言っていたことがある。
寝台が代わると眠れない、とも。
無愛想で、冷徹そうで。乙女心もわからない朴念仁だけれど。意外と、繊細な男なのだ。
再び紛争地に行き、また前のように傷ついたりしないだろうか。
傷ついて、震えたりはしないだろうか。
コルネリア王女は、傷ついた彼を労わり、慰めてくれるだろうか――。
もう、どれだけ、してあげたいと望んでも……彼がどれだけ震えていたって、セレイアは手を握ってあげることは出来ない。
今のセレイアには、遠く離れたこの地で、彼の無事を祈り、彼の幸せを願うことくらいしか出来ないのだ……。




